其之三

 「富士のけぶりに思いを寄せて、仮名序の【煙たたずなり】(※一)不立たたず不断たたずかと論じ、同じく長柄の橋に心を掛けて【橋もつくるなり】(※一)つくるかつくるかと疑うことは、言の葉をいたづらもてあそぶにあらず、狂言戯語きょうげんぎぎょにてもあらず、おのが心得の浅きを揉みほぐしてやわらげ、ついにはおくぶかきへと至らしめんとする作用はたらきなのです。

 とは申せ、【吉野山の春の木末こずえの花を雲か】(※二)と眺め、【立田川の秋の浪に流るる紅葉をば錦か】(※二)と見立てます。花を眺めてながむれば心はその花と重なり、月に向かうて思うれば尽きせぬ心はその月にぞ映ずる……ここに花に如何なるとがのあり、月に如何なる思いのありましょうや。和歌は邪念妄想じゃねんもうぞうを除くのみならず、我等衆生しゅじょうを彼岸へと導く妙道に通ずるのです。

 和歌によって神明しんめい仏陀ぶつだが願いをお聞き届けになることとてありましょう。石清水の八幡大菩薩は【神木かみのき諸木もろきも共に老にけり】(※三)おのが不遇を詠んだ良岑よしみねの宰相さいしょう衆樹もろき官階つかさこうぶりを進め、また住吉の大明神は神殿こうどの千木ちぎひまより降り掛かる霜の寒さに驚かれて【夜や寒き衣やうすき】(※四)御自おんみづから詠じましましたのです。

 そして歌仙の三十六人みそむたり人丸ひとまろ家持やかもち遍昭へんじょう素性そせい業平なりひら、小町に躬恒みつねに、貫之……彼らより始めて、悉皆ふつくにこれ仏陀ぶつだ化現けげん、それ故に人丸ひとまろは【ほのぼのと】(※五)の一首にただことそえかぞえなずらえたとえいわい六義りくぎ風体おもむきをばそなえて本朝の陀羅尼として唱えてこれを和歌のもといとしたのです。

 また分けても歌に心を深く詠み込むことたぐいなき仏菩薩ぶつぼさつの化身こそ在原業平と小野小町でありましょう。共に御身は戯男たわれお戯女たわれめとなって、悟りと救いの弘誓ぐぜいの道に衆生しゅじょうを引き結ぶのですから……。

 然様さよう在五中将ざいごちゅうじょう業平は極楽世界の歌舞の菩薩、正観音しょうかんのん化現けげんなのです。内心には秘めたる弘誓ぐぜいの道を守りつつも、外身そとみみだりに色を貪るようにも映じますけれど、ただ、それ故にこそ三七三三人にちぎりながら一人として犯すことなしとも云い、歌にも、


 【知るらめや我にあふ身の世の人のくらきに行かぬたよりありとは】(※六)

(ご存じあろうか、麻呂と結びし契りには人々が無明むみょう世界の惣闇つつやみに行かずして済むよすがのあることを)


ながみて、おのちぎるところの女性にょしょうを皆々、仏果に至らしめるのだということです。伊勢物語にもありましょう、住吉への行幸みゆきに伴っては、衆生しゅじょう済度さいどせんとする大悲だいひ垂迹すいじゃくを思いいだして【岸の姫松いく代へぬらん】(※七)と詠じ、五条の茅屋あばらやにては本地ほんじの風光を忘れず【月やあらぬ】(※八)と歎きます。とは申せ、衆生しゅじょう化度けどする菩薩の因縁にも限りこそ在れ、元慶がんぎょう四年五月廿八日の戌刻いぬのこくに、春秋五六にして北に向かうて臨終を迎えたのです。

 そして嗚呼、小野小町は大日如来の変化へんげであって、わか女盛めのさかりにあっては、一体、幾人いくたり男子なんし懊悩なやませたることか……潦倒おとろえてからはひな流離さすらい、都に彷徨さまよい、ついには関寺せきでらほとりに庵を結び、野辺のべの若菜に命支えられて鬱々と侘棲わびずまいしていたのを、智証大師(円珍)がご覧になって『寺での七日の御説法におでなさい』とお招きになったけれど、うらぶれた身様みざまをばじて参上せなんだ折、それでも重ねて御使おつかいのあったので『お召しは(小野)にはやいばの如く思われまする』と悲しみ歎いたことも誠に心撼こころうごかさるることに思われます。そのまま乞食こつじきとなり果てても麗しき往昔むかしを偲びつつ、さらぼえにし今や人にいとわれて、ついには路傍ろぼうかばねさらしてさえ、和歌への執心はなおも【秋風の吹くにつけてもあなめ〳〵】(※九)と詠んだのです。これぞまさしく盛者必衰のことわり世人よひとに示す、仏菩薩ぶつぼさつ仮姿かりすがたたる権者ごんじゃの振舞ということでありましょう、とくとお心得あるべし」と。


【私註】

※一:古今集仮名序に「今は、富士の山も煙たたずなり、長柄の橋もつくるなりと、聞く人は、歌にのみぞ心をなぐさめける」とあるによる。

※二:古今集仮名序に「秋のゆふべ、龍田川に流るる紅葉をば帝の御目おほむめに錦と見たまひ、春のあした、吉野の山の桜は人麿が心には雲かとのみなむ覚えける」とあるによる。

※三:石清水に詣でた良岑よしみねの衆樹もろきが「ちはやぶる神の御前の橘ももろき(諸木・衆樹)とともに老いにけるかな」と詠み官位を得た逸話が『大鏡』(第六、第一〇段)に見える。

※四:「夜や寒き衣や薄きかたそぎの行きあひの間より霜やおくらむ」(新古今集 巻一九・神祇歌一八五五)。『俊頼髄脳』は「住吉の御社は、二つの社さしあひてあれば、その二つの社の朽ちにたるよしを、詠ませ給へるにや」とする。

※五:「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ」(古今集 巻九・羈旅歌四〇九)。

※六:「玉伝深秘巻、神代小町などに載る」(底本脚注)。

※七:「住吉の岸の姫松人ならばいく世か経しと問はましものを」(古今集 巻一七・雑歌上)。「よみ人しらず」とされるが、「玉伝深秘巻は、業平が住吉の化身であり、「岸の姫松」の歌は昔の住吉垂跡の時を思いやって詠んだものだとする」(底本脚注)。

※八:「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(在原業平、古今集 巻一五・恋歌七四七)。『伊勢物語』第四段にも見える。

※九:『小町集』に「秋風の吹くたびごとにあなめ〳〵小野とはなくし(てカ)すすきおひけり」とあるが、後に「秋風の吹くにつけてもあなめ〳〵(秋風が吹くと私の眼を貫くすすきの葉が揺れて嗚呼、眼が、眼が痛む)」と小町の髑髏しゃれこうべが詠むのを聴いた業平が「をの(と)はいはしすすきおひけり(小野小町の最期とおのこは言うまい、ただすすきが生えているだけだ)」と下句を付けたとする伝説を生じた。


※引き続いてタイユフェールの“Concertino pour flûte, piano et orchestre de chambre”を聴きながら

 https://youtu.be/1cEVBi0NsB0

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