第22話 泥道の戦災孤児

「すごいだろ。オレのお陰で近道できた。感謝しろよ」


 ぬかるんだ道に足を取られながら、ブギが得意げに言った。匠、今村、私は、もう3時間以上彼の自慢話に付き合わされている。


 隅田川で舟に乗せてもらってから、もうそれくらい歩いているだろう。私たちは、渡らなくてはならない4本の川のうち、すでに3本を渡り終えていた。残すは江戸川のみだ。


 今朝、少し雨が降ったせいだろうか、纏わりつくような泥道が続いていた。金物屋の主人が言っていた通りだ。

 ブギを除く3人は、この泥田のような歩き心地にイラついていた。


 ずっと調子に乗っているブギに、とうとう今村が嫌味を言った。


「オマエ、普段は小心者のくせに、ホラを吹く段になると急に肝が座るよな」


 ところが、ブギはそれを褒め言葉として受け取った。


「そうなんだよ、自分でもスゲェ才能だと思う」

「気持ち悪いけどな」


 同様にイラついていた匠が、ブギに説教めいたことを言った。勿論、自分のことは棚に上げて。


「ほどほどにしろよ。今回みたいに社則を曲げさせるくらいならいいけどさ、その特技は諸刃の剣だぞ」


 しかしブギはまるで気にしていない。


「コツがあるんだ。かしらに当たりをつけるのさ。女ってのは何でも集団で話し合って物を決めたがる。だけど集団に圧倒的なかしらがいる場合は大抵そいつの思い通りになるのさ」


 すると今村が「ゲェッ」と嘔吐する仕草をしながら言った。


「くっだらねぇ、ババアの力関係なんて」

 

 自分もいずれはババアになると言うのに。


「それにしても歩きにくい道だな」

 と、今村がまた言った。もう何度目だろうか。文句タラタラの今村に、やっとブギも同意した。


「オレ、こういう道は嫌いなんだ。長野を思い出す」


 ブギの疎開先は長野だった。長野といえば観光地として人気が高いが、当時の疎開組が観光気分を味わうことは一切無かった。

 

 シラミによる痒みや空腹との戦いの日々。その中で子供たちは、東京に残して来た家族を恋しがった。


「家族が全員空襲で亡くなった」というショッキングな報せを、ブギは長野で受けたそうだ。


(さっきの舟の上での話は、本当はホラでは無いのかもしれない)


 ふと、私はそう思った。

 ブギのすいとんの話は、妙にリアルだった。彼も戦災孤児だ。もしかしたら、在りし日の母との思い出を語っていたのかもしれない。

 そんなことを考えていると、ブギを見る目が変わってきそうだった。



 しかし幸運なことに、そのとき急に匠が目を輝かせて叫んだ。


「おい、見ろよ! あれが最後の川じゃないか?」


 ぬかるみに文句を垂れていたことも忘れて、私たちは泥だらけの足で走り出した。


 目の前には、陽光を浴びてキラキラと輝く江戸川が横たわっていた。

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