第25話 パイン缶と未来

 東京を脱して感動を共にした私たち4人だったが、実際にはそこからの道のりの方が遥かに長く厳しかった。


 道は相変わらず泥々しく、食料はパイン2缶きりだった。それも「非常食」ということで、食べずに歩き続けた。


 昼頃、新京成電鉄の駅にたどり着いた。駅前で物乞いをしたが、都内の駅のように人通りが多い訳でもなく、食料にはありつけなかった。その代わり、裸足で歩き続けて足を痛めていたブギは、駅で長靴を手に入れることが出来た。


 駅には、泥道を長靴で歩いてくる通勤通学者のために、会社や学校用の靴に履き替える「下駄箱」が設置されていたのだ。ブギはそこから自分の足に合う長靴を盗み出して満足げであった。

 駅を出発したとき、時計は午後1時35分を示していた。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 駅からさらに1時間ほど歩いた頃、私たちの疲労と空腹は限界に達していた。歩く道の左側は急な下り斜面になっており、竹林が果てしなく下へ下へと続いていた。右側は荒地で、私達の背丈より高い雑草がびっしりと生い茂って巨大な壁を作っていた。


 この雑草は何という種類なんだろう。そんな事を考えながら歩いていると、今村が「もう無理だ」と座り込んだ。

 今村は水筒の水をゴクゴク飲みながら言った。


「なぁ、この缶詰食っちまおうぜ。腹減ったし、重いし」


「そうだよ、オレたち朝から芋ひとつしか食ってないよ」


 ブギも座り込んで泣き言を言った。実際、匠も私も空腹に限界を感じていた。


「よし、開けよう」


 匠が今村からナイフを受け取り、丁寧に缶詰の周りを切り開いていく。

 甘い匂いがふわぁっと広がった。

 缶を開け切り、匠が中身を確認した。


「黄色い輪っかみたいな実なんだな……1、2、3……10切れある。1人2切れと半分だ」


 匠、今村、ブギは手掴みでパインの実を口に入れた。

 私は「お手拭きのようなものがあればいいのに」と思った。でも、それを言うとまた「坊ちゃん」と揶揄われそうなので、思い切って3人と同じようにパインを口に入れた。

 

 美味しいものを食べたときに「脳に電撃が走る」という表現があるが、このときの感覚はまさにそれだった。当時滅多に食べられなかった上白糖が、そのパイン缶にはふんだんに使用されていたのだ。


 私たちは夢中になってパインの実を齧り、かわるがわるシロップを飲み干した。

 2缶目も開け、同様に食べ尽くしてしまった。

 遅めの昼食としては不足だったが、思いがけないご馳走に、私たちはすっかり気を良くして、また歩き出した。


 私は匠と横並びで歩いていた。

 今村とブギが、私たちの10mほど前で、缶詰の蓋を曲げたり捻ったりしながら「これは武器になるんじゃないか」などと話し合っていた。


「僕、反抗ばかりするのは一旦やめるよ」


 私は隣を歩いている匠に呟いた。匠は目をパチクリさせて私を見た。私は続けた。


「考えたんだ。僕は恵まれていることに無頓着だった。自分の辛かった事ばかりに焦点を当てていた気がする。もう一度始点に立ち返って両親と話してみる。ダメかもしれないけど……やっぱり漫画家になりたい」


 匠は頷いて言った。「それがいい」


「匠は高校に行けよ。勉強するんだ」

 私がまたそう進言すると、匠は笑った。


「おまえ、口うるさいお母ちゃんみたいだな。今日のご飯は何?」


 母を亡くした匠にとって、それが渾身の冗談だと私には分かったが、笑う気にはなれなかった。

 匠は多才だが、冗談のセンスだけは当時から酷いものだった。

 それはさておき、私は言った。


「母親でいい。君だって僕にそうしてくれた。僕たちには導いてくれる親はいないから、互いがその役をやるんだ。それもいいじゃないか。君の頭脳を路傍で腐らすのは、国の損失だ」


 匠は「大袈裟だな」と笑ったが、私は全く大袈裟とは思わなかった。

 すると、匠は急に私に向き合い、真剣なトーンで言った。


「今朝、山谷の橋のところに昔の仲間が来ただろ。オレさ、史人と昨夜話さなかったら、あんなにキッパリと誘いを断れなかった。だから感謝してるぜ」


 すると、そのとき前を歩いていたブギが振り返った。


「将来の話をしてただろ? オレはなぁ、大金を元手に商売を始めるのさ。それで忍者と美女をたくさん雇って芸能界のドンになるんだ」


 ブギの大言壮語に、私は吹き出した。匠が

「なんだ、詐欺師の親玉にでもなるのかと思ったら」と茶化すと、ブギは「うるさいなぁ」と鼻の頭を掻いた。


「アタシはさぁ」

 今村がパッと振り返り、ニコッと笑った。その向日葵のような笑顔に、不覚にもドキッとした。


「婦人警官。婦人警官になってチャカをぶっ放しまくる! それで悪人を次々とお縄にするのさ!」


 今村らしいといえば今村らしかった。癇癪さえ直せば、彼女には適職のような気さえした。


 私は西の空を見上げた。あと2時間半もすると空は暮れてくる。このまま何もなければ1時間足らずで着くだろうが、なにせトラブル続きだ。急がなくては。


 

 そのときだった。



 後方から、4輪駆動の警察車両が物凄い速さで泥道を走って来た。車窓から警官が拡声器で怒鳴った。


「君たち、止まりなさい、止まりなさい」


「ヤベェ、逃げろ!」

 私たちは前方へ逃げようとしたが、前からもパトカーが迫ってきた。挟み撃ちだ。


 匠が号令した。

「一旦解散! 日没に現地集合だ! 何としてでも辿り着け!」


 私たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

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