第7話 強行

 午後3時5分、私は3人の尻を叩いてバス停に戻ってきた。何か起きれば日没までに『狗里の森』に着かないかもしれない。そう思うと心が焦った。


 私には懸念があった。それは、デモに参加した区民がまたしてもバスを占拠しいるかもしれない、という考えだった。


「またバスが停まらなかったらどうする?」

 ブギがポツリと言った。

 みんな同じことを考えていたようだ。


「アタシは死んでも行く」

 今村が力説した。


「何てったって、黄金の骸骨だ。捕まえればアタシたち、新聞に載るかもしれない。そうしたら父さんに自慢するんだ。なぁアニキ、百合子だって新聞を見るかもしれない、そうだろ?」


 今村は匠に訴えた。百合子というのは、生き別れになった匠の妹の名前だ。


 匠も決意に満ちた顔で頷いた。

「オレも、歩いてでも行く。史人とブギは好きな方を選べよ。引き返すならこれが最後の機会だと思え」


「勿論オレも行くよ。帰ったらまた佐々木に折檻されるもん」

 とブギが条件反射的に言った。


 佐々木は、私たちが『しあわせの村』でもっとも恐怖していた指導員だった。保護児たちにすぐ体罰を与える凶悪な男で、好きな言葉は「連帯責任」。児童保護法施行前には、彼に木刀で殴られた保護児が死亡したこともある、そうまことしやかに囁かれている人物だった。


 私は弱気になっていた。

 既に喫煙、転売と悪事を重ねていたが、逃亡の罪まで加わったとなれば、連れ戻されたときの罰はより重くなるに違いなかった。引き返すなら今しかない、匠の言う通りだった。


 しかし、私にはもうひとつの思いがあった。今日施設に戻れば、4人で遠出する機会は2度と巡ってこないだろう。それは罰を受けるより辛いことだった。


 目を閉じると私の脳裏に、踊る女学生の姿が浮かび上がった。締め切った和室で、白いトウシューズを履いて踊る従姉いとこは、とても美しかった。


「行くよ」




 私の決意に満ちた返答を聞いていたのは、匠だけだった。返事に時間がかかったせいだ。

 今村とブギは、いつの間にかヤクザごっこを始めていた。互いに腰を落とし、声を張り上げている。


「おひけえなすって、お控えなすって!」

「あんさんこそ、お控えなすって!」


 下らない。私は呆れ、今村とブギに言い含めた。

「バスでは目立たないようにしてくれよ。車掌に勘づかれたら、バス会社から養護施設に連絡が行くかもしれないからな」


「分かりやした、親分」

と、ブギと今村は腰を落として返事をした。本当にわかっているのだろうか。


 丁度そのとき、バスが八百屋の角を曲がって出現した。


 今度は4人で両手を振ってバスに合図したが、またもや停まらない。バスは減速せずに向かってくる。



 ゴクリ。



 私の隣で、今村が唾を飲み込む音が聞こえた。今村を盗み見ると、思い詰めた表情をしている。


「おい、やめろ!」


 匠と私が同時に叫んだが、遅かった。

 今村は物凄い勢いでバス道の真ん中に走り出て、四股を大の字に広げた。赤いスカートがふわりと翻り、下着が見えた。


 混乱する私とブギを他所よそに、匠が疾風のごとくバスの前に飛び出し、今村の胴を抑えた。

 匠は「ふざけんな」と青筋をたてながら今村を道の端へ退かそうとするが、不屈の今村はてこでも動かない。


 2人が揉み合っているうちに、バスはどんどん迫ってくる。私とブギは、間抜けな顔でその様子を見守るしかなかった。


 そのとき、匠が今村の脛を蹴り上げた。今村が呻いてよろけたところを、抱えて引きずっていく。

 その間にもグングンとバスは近づいてくる。2人は間に合わない。


 もう少し、もう少し……もうダメだ……!


 ブギと私が目をギュッと瞑ったとき、ガクンッとバスが急停車した。


 匠と今村は、2人してその場にヘナヘナと崩れ落ちた。


 すぐにバスの扉が開き、車掌が鬼の形相で飛び出してきた。ゲンコツを覚悟しながら、それでも私は心底安堵した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る