第6話 バスと駄菓子屋
ギラギラした真夏の太陽が、私たち4人の身体から水分を奪っていた。
バス停に着くと、私たちはベンチに座って水をゴクゴクと飲んだ。
「なぁ、駄菓子屋に寄って行こうぜ。日没までかなり時間があるよな?」
ブギが思いつきでそう言い出したのを、私が却下した。
「もうすぐバスが来るぞ。何が起こるかわからないんだ。早めに行こう」
「ちぇっ、ケチ、ホントに大先生だな」
ブギはそう文句を言ったが、そもそも彼のせいで当初の予定が大幅に遅れていたので、私は気分をひどく害して黙り込んだ。
「おい、喧嘩するな。……ほら、バスが来る」
匠がそう言ったとき、錆びかけたおんぼろバスが街角を曲がって姿を現した。匠はバスの運転手に思いっきり手を振った。
しかし、バスは停車せず、私たちの前を無情に通過して行った。バスに素通りされたとき、車内が見えた。大人達がおしくらまんじゅうするほど鮨詰めに乗っていた。
今村とブギは走り去るバスに向かって口々に悪態をつき、匠はその後ろ姿をじっと睨みつけた。
「なあ、史人。あのバスはいつも、この時間にあんなにたくさん人が乗っているか?」
「いいや。今日は何かあったんだと思う。あっちは区役所の方だから……たぶん、デモ帰りだ。去年もこうだった」
1945年、戦況悪化と終戦により、大陸からの食料移入が絶たれた。にも関わらず、戦地から次々と帰還する人々で、街は溢れかえった。
焼け野原で家庭菜園は出来ず、さらに台風の直撃により、この国は未曾有の食糧難に陥った。
餓死者・病死者は合わせて1000万人に上ったとも言われている。食料を求めて各地で暴動が起き、さらに人は死んだ。
戦争が終わっても、人々は死に続けたのである。
それから4年が経過したが、この頃もまだ食糧事情は満足に改善されていなかった。夏になると各家庭の貯蔵食料に底が見え始め、人々の飢えへの恐怖が煽られた。
そんな状況下で、「生活困窮者に配る救護米が余っている」という噂が立ち、大勢の区民が区役所に押しかけたのだ。
1949年は、そんな年だった。
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「どうする? もう一本待つか?」
今村が匠に指示を仰いだ。
「次は何分だ?」
匠が私に尋ねた。私は近くの八百屋の時計を覗き込んで答えた。
「15時15分だ」
すると匠がニヤッとした。
「まだ時間あるよな?」
この辺りは運良く空襲から逃れたため、戦前からの古めかしい駄菓子屋がそのまま再開していた。
私たちは駄菓子屋に駆け込み、ラムネやら梅ジャムやらを買い込んだ。
この頃の駄菓子は、まだ普通の子供が気軽に手を出せる値段では無かった。しかし、私たちにはお金があった。決して綺麗なお金とは言えなかったが。
私たちは駄菓子を買い込むことで、万能感を感じていた節がある。「普通の子供に出来ないことを、自分たちは出来るのだ」という。
しかし、1949年には上白糖や水飴がまだ禁制品だった。そのため、駄菓子には怪しげな甘味料を大量に使用したものも多くあった。
中には明らかな毒性を示すものもあり、駄菓子を食べた幼児が死に至るという痛ましい事故も、しばしば起こっていたほどだ。
それでも甘味は、私たちにとって最高の誘惑だった。
駄菓子屋の入り口に、氷水の入ったたらいが置かれていた。
急にはしゃぎ始めた匠が、たらいの中からビール瓶のようなものを取り出した。
「これ知ってるか?」
私たちは一斉に首を横に振った。
「冷やし飴っていうんだ。ガキの頃によく妹と飲んだ。
このとき、駄菓子屋の外のコンテナに腰を下ろして飲んだ冷やし飴の味を、私は忘れない。
匠は茶色い小瓶を開け、ゴクゴクと一気飲みした。彼の喉の動きが面白くて、私はつい見入ってしまった。喉が音を立てて凹むたびに、顎下の南十字星もグネッグネッと動くのだ。
冷やし飴を飲み干した匠が顔を下げると、南十字星のホクロも見えなくなった。
「コレ美味しいな」
と今村が言い、ブギも同意した。
出遅れた私は慌てて小瓶を開け、口を付けた。求めていた通りの、甘ったるく冷たい液体が脳に滲みて、頭がキーンとした。
悶絶する私を見て、3人はゲラゲラ笑ったのだった。
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