第238話 チェックメイト

「それは…当然だろ」


 他に言葉が見つからなかったんだろう、声量は尻すぼみだったが確かに彼はそう言った。


「解った。それならやはり、大佐はシルヴィを受け入れるべきだね」


「い、いや! それとこれは別問題だろ!?」


「まったく同じ問題だよ。大佐は自分が既に妻子がいる身でシルヴィを受け入れることは許されないと考えているんだろうけど、そもそもマホロバの内部規定には婚姻制度に関して明確なものがまだ無いんだ。加えてマホロバはルシフェランザやフォーリアンロザリオなど特定の国家に属する組織でもないからどこかの国の法律に縛られることも無い。一夫一婦制を採用しているフォーリアンロザリオと同じ感覚で語ること自体、意味が無いんだよ。郷に入っては郷に従えとも言うしね」


 制度はすぐにでも整備すべきだし、個人の主義にまで何かを強制するようなこともあってはならないのだけど今はあえて触れない。


「そして大佐自身が言ったように、大佐にとってシルヴィは掛け替えの無い戦友であり特別な部下…そんな彼女の幸せを大佐も望んでるのなら、まさかその望みを叶えるための努力を他人任せにはしないだろう?」


 フィリル大佐の表情が、目に見えて変わった。女性陣も合点がいったのか、微かに笑みを浮かべながらぼくらの会話を見守っている。


「一夫一婦制であるフォーリアンロザリオ国内ならば法が彼女を邪魔しただろうがここでは通用しない。つまり今現在大佐は、大佐にしか叶えられない彼女の願いを叶えられる環境にいて、彼女に幸せになって欲しいと願い、そのために出来ることが明確に存在している…なら、もはや大佐が選択すべき道は明らかだと思うけど?」


「う、うぐぐ…」


「これだけ条件が揃っていて、それでも彼女を受け入れるのは難しいのかい? 大佐、あえて言いたくは無いのだけど…」


 一呼吸置いてから、真っ直ぐ彼の眼を見据える。


「君がそうやって抵抗することで幸せになるのは誰だい? 君が幸せを願う人は果たして君のその選択を望んでいるのか? シルヴィの幸せを願いながら、彼女を遠ざけようと言うのか? そんなの…願っていないのと同じじゃないのかな」


 三年前、ぼくがフォーリアンロザリオに残ろうとした時にフィリル大佐やティユルィックス中佐、そしてエルダに言われた言葉のアレンジ。よもや忘れたなどとは言わせない。ぼくの人生を大きく変えた言葉だ。


「君は幸運だ。君自身の望みであるシルヴィの幸せを、その手で作ってあげられる機会が得られたのだから…。今は素直に受け入れられないかも知れない。それは当然だろう、そういう文化に触れる機会も無かったのだから。だけど受け入れ難いものを受け入れ、苦しみ悩みながら歩んだ先にこそ新しい世界が拓ける…人の世とはそういうものなんじゃないかな。それにきっと…それほど悪くない世界であるはずさ。少なくともぼくはあの時フォーリアンロザリオに残らなくてよかったと今ではそう思えているし、エルダと共に過ごせる日々に感謝しているよ」


 もはやフィリル大佐の口からは反論も呻きも聞こえてこない。表情を覗き込むと、まるで苦虫を噛み潰したかのような顔をしているが…どうやらこの状況が既にチェックメイトであることは認識出来ているらしい。しばらく沈黙が続いた後、とても長くひたすら重たい溜息をひとつ吐いた彼は「もういい」と脱力し切った声を零した。


「さすがにこれだけのメンツに包囲されちゃ逃げられなさそうだしな…。だがこれだけは言っておく。オレは…オレは何一つ納得しちゃいないからなッ!?」




 あとは当人同士に任せようと、イーグレットと共に部屋の外に出るとカイラス中佐とアトゥレイ少佐が待っててくれていた。「話は…纏まったようですね」と私の顔を見て微笑むカイラス中佐に、肯定の意味を込め頷く。


「では確かに、シルヴィ・レイヤーファルは我々マホロバが預からせていただきます」


「多少癖のある子ですがフィリル大佐が一緒ならなんの心配もありませんし、能力は折り紙付きです。あの子のこと、よろしくお願いします」


 深々と頭を下げるカイラス中佐。フォーリアンロザリオとしても彼女の処遇に関しては様々な思惑が交錯しただろうことは、想像に難くない。マホロバに預けるという判断は…もちろん彼女自身の意思もあったのだろうが、マグナード夫妻にも劣らぬ英雄であり、高い能力を持っていると言っても国家元首殺害を企てた組織に参加していた過去を持つ彼女。そんな彼女を国家の重要なポストに起用することは難しく、かと言って監獄に留め続けるわけにも野放しにするわけにもいかず…。マホロバに預けることで国内外には国際協調をアピールし、体よく彼女を国外へ追放しながら監視体制も完璧の最善策…とまぁこんなところか。


「感覚的には違和感を覚えなくもない形だが…ま、落ち着くとこに落ち着いたってことかね?」


「その違和感は時間が解決してくれるさ。世界には特定の国家が唱える常識だけでは語ることの出来ない風習や文化が沢山ある。そうした文化の違いも認め合っていかなければね」


「そうですね、その受け皿となる寛容さを身に着けるには…それこそ時間が必要だとは思いますが、目を逸らすことも出来ない課題です。例えばセレスティア家にも特殊なしきたりがあるのをご存知ですか?」


「セレスティア家のしきたり…聞いたことがありますね、徹底した女系一族でしたっけ?」


 せっかく来てくれた彼らともう少し話がしたい。執務室へ歩きながら問うた私にカイラス中佐が答える。


「残念、その言い方ですと少し違います。女系になってしまったのは能力者として異能を発現させられた人間が女性に多くいたからというだけであって、いわばセレスティア家は能力者のみの一族なのです。何故女性ばかりに発現するのかは解明されていませんが、歴代遡ってみても男性の当主は片手で収まってしまう程度ですね。それ故、今ではカイラス中佐の言うように女系一族…というイメージがついてしまいました」


 その男性当主というのも調べてみるとさほど有能な能力者でも無かったらしく、どちらかと言えば異能に頼らない純粋な政治手腕で上り詰めたような人間だったらしい。

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