第234話 危うい切っ先

「この十年、色々なことが変わりました。私は一度あなたの傍を離れ、女王が裏で行ってきた暗い事実を探り、そしてグロキリア計画の破綻を画策して戦力を集めて戦いました。でも、それでも変わらないものがあるんです」


 言葉を続けながらスッとソファから立ち上がると、テーブルを回り込んでオレの方に近づいてくる。


「私がエルダ・グレイと共に祖国に弓引く行為に加担したのは、グロキリアのパイロット…いいえ、あれに搭載される生体コンピュータの最有力候補者としてあなたの名前があったからです。たとえ阻止が間に合わず、あなたが既にグロキリアそのものになってしまっていたならあなたを殺してから私も死ぬつもりでした。それすら叶わず、あなたに撃墜されたなら…それでも構わないと思っていた。あなたにだったらこの身も、この命すら捧げたって惜しくはないんです。離れ離れになっても、どれだけ時間が経っても、私の魂に刻まれたあなたへの想い…これがあったから私は生きてこれた。戦い続けることが出来たんです」


 ゆっくりと、しかし確かな足取りでオレのすぐ隣に立ち、柔和な表情で椅子に座るオレを見下ろしてくる。


「ですが、それも限界…想いだけで自分を支え続けるのも難しくなってきました。フィリルさん、私は十年前から何も変わってません。あなたと同じだけ時を重ねて少し外見は変わりましたが、中身は何も変わっていない。そしてきっとこれからも、変わることはありません」


 以前にも感じたような覚えがある、何をされたでもないのに体が言うことを聞いてくれない感覚…。目に映る光景も、まるでテレビニュースでも眺めているかのように自分の目で見ているものとしての認識が薄いような…そんな感覚。知覚する情報に対して、体の方が追い付いてくれないような…。ファルの右手がオレの左頬に添えられたかと思ったら、こちらが反応するよりも早く彼女の顔が接近してきて唇を重ねられた。




 十年ぶり…そう、この感触も十年ぶりだ。思えばあの時もこんな風に…言ってしまえば不意打ちのような形でフィリルさんの唇を奪ったんだった。ああ、この人の体温、この人の鼓動、この人の呼吸…この人のすべてが私の心を潤してくれる。

 どれくらいそうしていただろう。名残惜しさを尽きないけど唇を離して至近距離から顔を見つめる。


「私は今でも、あなたを愛してます。私はいつまでも、あなただけを愛し続けます。この気持ちは絶対で、永遠で…私にとって命の灯火そのものなんです。どんな形でも構いません、あなたの傍にいさせてください。もう離れ離れは嫌です」


 真っ直ぐ空色と金色に輝く瞳を覗き込みながら、思いの丈をそのまま伝える。フィリルさんは…十年前にも見た悲しいような困ったような顔を浮かべる。


「ファル…。気持ちは嬉しいが、オレはもう妻も子もいる身で…」


 この言葉も表情も想定内だ。この人がきっと、ティクスさんを捨てられないことも解ってる。子供だって三人目が生まれたとあれば優しくて責任感の強いこの人のことだ、こういう風にしか言えないことも解っている。でもそんな建前だけじゃ、私の気持ちは止まらない。否、どんな言葉であれ止めることなど不可能なところまで来てしまっている。だから解らせてあげなくてはいけない。そして気付かせて、認めさせてあげないといけない。私の想い、そしてこの人自身の想いを…。


「そんなことは解ってます。ですがフィリルさん? だったら今、何故私を突き放さないんですか?」


「そんな…君に対して、そんなこと…」


「出来ませんか? だったら、もっとしちゃいますよ? 私たちがこんなことをしてるって、ティクスさんが知ったらどう思うでしょうね?」


 そう言った途端、視線を私が持ってきたバッグに向けるフィリルさん。


「ふふ、隠しカメラなんて仕込んでませんから安心してください。ですが…そうすることも出来た、そうしている可能性だってあったとすぐに思い付いたでしょう? あなたはその危険性を少なからず感じながら、それでも私を拒絶しようとはしなかった。それは…あなたも私のことを愛してくれているからでしょう?」


「え、あ、いや…そんな、ことは…」


「取り繕わなくていいんですよ、私には解ってますから。十年前のあの時だって全部解ってたんです。気付いてたんですよ? フィリルさんが、私を愛してくれていたこと…」


 いつも私を気にかけてくれて、優しい言葉をくれて、私が自信を失って道に迷った時にはうわべだけの言葉で安易に慰めるでもなく、自分自身で新たな一歩を踏み出せるよう導いてくれた。私にとって宝物であるこの人との思い出の欠片…そこには確かに愛があって、掛け替えの無い絆があった。そうだとも、でなければ私があの戦争を生き抜くことなど出来なかったに違いない。私にはこの人が必要で、この人も私を必要としてくれたからこそお互いに生き残れた。

 そして戦後軍を離れる際に彼が贈ってくれたジークフリート。炎の檻に囚われたブリュンヒルデを救い、結ばれる英雄の名が刻まれたあのプレゼントこそ、しがらみに囚われた彼を救い出す役目に私を選んでくれた証なのだ。

 何かを言おうとして、その言葉を飲み込みながら視線を逸らすフィリルさん。飲み込んだ言葉はきっと否定の言葉…そしてそれを飲み込んだのは、彼自身が私の言葉を否定し切れないから。今でもこの人の考えは手に取るように解る。その事実に自然と口元が綻ぶ自分がいる。


「あの時私を選ばなかったのは、幼い頃から共に過ごしてきたティクスさんを切り捨てることになってしまうと考えたからでしょう? だけど私たちはお互いにお互いを求めていた…そんな二人が結ばれなかったのは、そうした二人の気持ちとは無関係な要因がそれを許さなかっただけ。たったそれだけのことで、愛し合う二人が結ばれないなんて…そんなの世界の方が間違ってる。そうは思いませんか?」




 …どうしよう、どうしたものだろうか。目の前にいるのはかつて共に死線を超えた戦友であることに間違いは無いのだが、さっきからファルの言葉に込められた真意をいまいち咀嚼出来ていない自分がいる。というより、理解したくない…の方が正しいか。えっと…つまり? オレは今何を求められているんだ?


「え、えっと…ファル? その…なんだ、あ、相変わらず情熱的な言葉の数々ですげぇ恥ず…もとい、嬉しい…が、あの時と同じようにその気持ちに応じることが出来る状況にオレがいないってのも変わってないぞ」


「それも解っています。でも…それでも、私が生きる場所はここにしか無いんです。あなたの傍じゃないと…私は私を保てない。本当にどんな形でもいい、なんだってしますから…あなたの傍にいさせてください」


 至近距離から突き刺さる視線からは彼女の必死さが伝わってくる。

 解ってる、頭では解ってるんだ。この状況と雰囲気に流されちゃ駄目だってことくらい解ってる。それでも…やはりあの大戦で彼女には世話になりっ放しで、おまけにオレ自身が彼女に何も返せてないという思いが言葉を詰まらせる。彼女のために何かしてやりたい気持ちは今でもあるし、彼女が情報にも戦闘にも秀でているのも知っている。マホロバに参加してくれるなら相当な助けにもなるだろう。この組織全体を考えれば、彼女を受け入れるという選択は間違っていないようにも思う。

 だが…彼女が口にする「どんな形でもいい」は果たしてそのまま鵜呑みにしていい言葉か? 彼女の左目、金色の瞳を見ているとそうは思えないと脳内に警鐘が鳴る。なんというか…吸い込まれそうな彼女の大きな瞳はその内へ取り込まれたなら光さえ逃れられないような、そんな底の知れない雰囲気を纏っていた。それそのものが重力を発しているかのように、一度視線が重なってしまうと逸らすことさえ容易ではないような…。

 その時、ずっと無言で見つめ続けるオレの名を疑問符付きで呼ぶ彼女の声にハッと我に返った。咳払いをして、咄嗟に思考を巡らせる。どうにかもっともらしいことを並べて納得してもらわなくては…。

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