第223話 伝えたかった言葉

「連絡を待っている相手があなたの新しい飼い主、ということかしら?」


「いいや、その人とは相互利益のために協力関係を築いたに過ぎない。ぼくは女王陛下に対抗し得る力が欲しかった、その人は長年抱き続けてきた理想を実現するための鍵が欲しかった…お互いに求めるものを持ち寄っただけさ。対価として約束したものが果たされたら、必要以上に肩入れするつもりは無いよ」


「そのために、数多の屍と血税の果てに匣庭が作り上げた技術を売り渡したと?」


「それぐらいしか手土産が無かったしね。グロキリア用高出力エンジンやレールガンの開発データなんかは特に喜ばれたよ。君の決起…つまりグロキリア計画の最終フェイズが発動した場合には即時行動を起こすことを約束させるには、必要なものだったって思う」


「女王直轄の特務隊…それも事実上トップともあろうあなたが、とんだ売国奴ね」


「人聞きが悪いな、ぼくは国を売ったつもりなんか無いよ。国は表向き匣庭の存在を認めていないし、公的機関だなんて口が裂けても言えないだろう。女王陛下の進める計画を漏洩したことには間違いないが、女王陛下と国はイコールじゃないだろう?」


 屁理屈だわ、とエルダは一瞬だけ苦笑いを浮かべた後でなんだか安心したような柔らかい表情を見せる。


「ならイーグレット、あなたの認識では私も国家の反逆者ではないのかしら?」


「そう思ってるよ。君も君の決起に与した彼らも、そしてぼくも…みんな国を愛しているが故に立ち上がった愛国者であると信じている」


「その根拠は?」


「君の心がもし女王への復讐だけに満ちていたのだとしたら、決起部隊はあそこまでの規模に膨れ上がることも無かっただろう…というのが主な根拠かな。ディソールがいたんだし、いくらかは女王側から送り込まれた人員なんかもいたかも知れないけど…でも多くは君の思いに共感した人たちだったんじゃないかな? 少なくともぼくが接触した歩兵部隊に、女王側の人間らしい雰囲気は感じなかった」


 ディソールの端末ならまだしも、命じられて反乱に加わったような人間なら、いざ事が起こって大勢が決した段階で投降ないしは離反者が出ておかしくなかったはずだ。だけど報道を見る限り、決起に参加したメンバーはその多くが銃撃戦の末に死亡、もしくは自決した者がほとんどだった。


「なるほど…。じゃあ最後の質問、あなたが私を軍や警察へ突き出さずにいるのは何故?」


「君に逃げてもらうのが目的だって言ったじゃないか。あとは…う~ん、なんと言ったらいいのかな?」


 ピンク色の双眸に見つめられながら、しばし逡巡。


「実は待っている連絡ってのは、私を捕まえに来る人間からのものなのかしら?」


「いや、誓ってそんなことは無い。君を国外へ逃がし、フォーリアンロザリオの法的機関が迂闊に手を出せない場所へ送り届けたいのは本心だ」


「何故そこまであなたが私を保護するような真似をするの? 裏切り者のあなたが…」


 裏切り者…その言葉が、胸に刺さる。そう、彼女にとってぼくはそういう存在として深く強く刻み付けられている。彼女の言葉が刺さった胸を冷たい風が吹き抜けるような…これが寂しいって感情なんだろうな。ぼくはあれこれ言葉を探すのをやめ、思うままを言葉にすることにした。


「…きっと、時間が欲しかったんだと思う」


「時間? なんの?」


「君に一言、謝意を伝えるための時間さ」


 椅子から立ち上がるとエルダの前へ歩み寄り、その眼前に跪いて頭を下げる。


「え、ちょ、イーグレット!?」


「許して欲しいなんて言わない、言えるはずも無い。ぼくはあの時、君の信頼を裏切り、君を深く傷付けてしまった。あの頃のぼくは、匣庭の実験に参加することで多くの人が苦難から救われるのだという大義名分に酔いしれ、あるいは陽の光に照らされた世界への帰還を諦め、一生を終わらない実験に費やすのだと…それこそがぼくがこの世に生を受けた意義なのだと、そう信じていたんだ」


 頭を下げたまま、彼女の顔は見ずに言葉を続ける。


「だから君から外へ共に出ようと手を差し伸べられた時、ぼくはその手を取れなかった。モルモットで居続けることで見出した存在意義を捨てて、国から追われる身になっても自由を求めようと思えるほど、ぼくは勇敢じゃなかった。…いや、違うな。既に簡単に死ねない、人間とは呼べる体で無くなっていたことへの負い目…かな。化け物とも呼べる自分はもう陽の当たる世界に出るべきじゃない、そう思ったのかも知れない。あの地獄のような場所に閉じ込められ、それでも尚元の生活への帰還を諦めなかった君の姿が…とても眩しく見えたのを覚えているよ」


 ふと過去の自分を思い浮かべる。彼女と出会う前、何度か食事に添えられた樹脂製のナイフやフォーク、入浴時に渡されるタオルを使って自殺を試みたこともあった。だけど死ぬことは叶わず、苦しみだけを味わう結果になった。その苦しみにさえいつからか慣れ始め、自らの血を生存確認の意味で眺める時間もあった。それだけ、死を奪われたぼくは生の感覚が曖昧になっていたということなんだろう。


「そんな生に溢れる君の隣に立つに相応しいか、ぼくはそんな風に考えていたんだろうね。そしてそんな自信は無かった。ぼくは正真正銘の化け物だから。だからぼくは君と共には行けない、匣庭に留まってモルモットとして生き続け、殺され続ける…そんな未来しか描けなかった」


 エルダはただ黙って、ぼくの言葉に耳を傾けてくれている。大丈夫だろうか、ぼくの言葉は事実の羅列であるはずだけど…彼女にしてみれば醜い言い訳に聞こえてはいないだろうか。そんな不安がふとよぎり、即座に振り払う。


「だけど…そんなぼくだけど、あの戦争を色んな人たちと一緒に戦って気付いたんだ。生ある限り、死力を尽くして絶望に抗い続ける人たちの美しさに。今朝一緒に食事しながら談笑した相手が、夕食にはいないかも知れない…そんな状況にあっても、互いを気遣い笑い合う仲間に巡り会えた。自らの死をも厭わず、大切な人を護り抜こうとする強い意志に出逢えた。あの戦争を…一人の兵士として戦場を駆けることが出来て、ぼくは幸せだったよ。人はいつ死ぬか、どう死ぬか選ぶことなんて出来ない。だけど最後の瞬間までをどう過ごし、どう生きるかはある程度選ぶことが出来るし、少なくともどう在りたいと意志を持つことぐらいは出来る。死ぬにしろ生きるにしろ、そこに自らの意思が存在するか否かが重要だって知ったんだ。だからぼくも…彼らと共に戦った者として、鬼籍に入った御魂から託された未来を歩む一人として自分の意思で生きることにしたんだ」


 そう、そのために…ぼくは過去を清算せねばならない。許されたいわけじゃない、ただ傷付けてしまった事実に対して謝罪の意思があることを彼女に知って欲しいだけだ。


「エルダ、随分時間がかかってしまったけど…あの時せっかく一緒に生きようって言ってくれたのに、君の信頼を裏切って、傷付けてしまったことを改めて謝りたい。本当に、ごめん。ただそれだけを…ずっと伝えたかった」

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