第113話 トライアングル

 回想に区切りをつけ、ふと横を見ると隊長がサバイバルポーチの中身を確認していた。


「なあ、今回やたら『元気ドリンク』多くないか?」


 市販されている栄養剤並の栄養と高濃度の興奮剤が混合された軍用ドリンク、兵たちの間では「元気ドリンク」と呼ばれている小さなビンに入った液体だ。サバイバルポーチの中身はその作戦ごとに入れる内容が指示されるので、渡される指示書に合わせてパイロットが自分でポーチに入れる。


「そうですね。いつもは一本入ってるか入ってないかなのに、今回は五本ですか。ゼリーも多いですし…」


 自分のサバイバルポーチの中身も確認する。市販されているものと大体同じ内容の、ストロー部分を咥えて手で中身を押し出しながら飲むタイプの栄養補給ゼリー。今回はそれも三個入っている。やはり多い。


「それだけ長期戦になると考えてんのか…。こりゃ厳しいな」


 隊長がそう言って溜息を吐いた直後、再びオペレーターの声が響く。


『第一波攻撃隊、発艦開始せよ。第一波攻撃隊、発艦開始! 第二波攻撃隊は各搭乗機にて待機せよ!』


「おっと、行くか!」


 そう言うと隊長は両手の指を絡め、腕の筋肉を伸ばす。そしてテーブルの上に並べた元気ドリンクやゼリーをサバイバルポーチに戻して席を立った。


「じゃあオレはそろそろ行くが…。せっかくここまで生き抜いてきたんだ、そっちも死ぬんじゃないぞ」


 大丈夫です…そう答えようとして、私の口はまったく違う言葉を発していた。


「…まだ、少し不安ですけど」


 私自身何故そんなことを口走ったのか判らず、思わず自分で自分の口と耳を疑った。苦し紛れに「でも、頑張りますよ」と付け加えるのが精一杯だった。


「…やれやれだな。じゃあ絶対死ねないようにまじないかけるからドッグタグを貸してくれないか?」


「え? あ、はい…。どうぞ」


 耐Gスーツの内側に首から提げていた自分のドッグタグを取り出し、隊長に手渡す。


「…あ、悪い。ちょっと眼閉じててくれるか?」


「? 解りました…」


 言われた通り眼を閉じる。でもすぐに「もういいよ」と声が聞こえ、実際眼を閉じていた時間は五秒も無い。


「これで、死にたくても死ねなくなったな」


 そう言って返されたドッグタグに、特にこれと言って変化は無いように見え…あれ? このタグは…。


「これ、隊長の?」


 首から吊るすための長いチェーンが通された方のタグにはこれまで通り「Silvy Rayerfal」と彫られているのに、そのチェーンに吊るされたもう一本の短いチェーンに通されてる方のタグには「Ferel F. Magnard」と打刻されている。


「そう。君のはオレが持っておくから、作戦終了後に返すな。そいつを持ったまま死んでくれるなよ? タグだけ見つかったらオレも死んだみたいになるだろうからな」


 なんというか、複雑な気持ちになった。つい先刻、今回は自分独りで飛ぼうと決めていたのに…泣きたいほどに歓喜する自分がいる。どちらかと言えば、絶対的に喜びの方が大きいのだけど…私の決心はここまで脆いのかと思うと情けない気持ちもある。


「…有難う御座います。あ、じゃあ私も…お礼におまじないしていいですか?」

「ん? ああ、ただ出来るだけ手早くな」


 そう言えば第二波の出撃まであまり時間も無い。


「大丈夫です、すぐ済みますよ。じゃあ、眼を閉じてくれますか?」


 隊長は床に置いてあった装備を持ってから眼を閉じた。私はすかさず隊長との距離を詰める。つま先で立って両手で隊長の襟元を掴み、私も眼を閉じながら隊長の顔を引き寄せる。直後、唇が触れるのを感じた。




 眼を閉じた二秒後に襟を引っ張られるような感じがした直後、唇に衝撃があった。驚いて思わず眼を開けようとしてコンマ何秒か躊躇し、それでもやっぱり気になって薄く眼を開けた時そこには予想通り、ファルの顔があった。

 ゼロ距離…それがこんなにも近いものだとは、いやむしろ近くで見るファルがこんなにカワ…ってオレは何を考えている!? だが何故だろう。何故…体が動かないんだろう。早く格納庫へ行って出撃準備しなきゃいけないとオレの頭は必死に警鐘を鳴らしてるし、この細い肩を突き放すことも出来るはずだ。ただオレの腕も脚も…指の一本すら動かせなかった。

 一体どれだけの間そうしていたのか、やがてファルは顔を離した。離したといっても10cmと離れていない。


「こんな形で…申し訳ありません。生きて終戦を迎えられたら先日の答えを聞かせてください。どんな答えでも、構いませんから」


 そう言うとファルは自分の装備を持って休憩室から出て行った。オレは言葉も発せず、ただ混乱する頭を落ち着けることだけで精一杯だった。顔が熱い。頭がボーっとする。心臓がトチ狂ったかと思うくらい高鳴っている。頭を無理矢理左右に二、三度振って正気を取り戻し、格納庫へ走った。…無論、全力で。




 走りながらどうにか装備を身に付け、格納庫に駆け込んでブリュンヒルデのコクピットヘ乗ろうとステップに手をかけた直後、横から声をかけられた。


「…フィーくぅん」


 捨てられた子犬みたいな情けない声を発しながらティクスがこちらを睨んでいる。


「うぉ!? お、おま、びっくりさせんな!」


 完全に機体の影に溶け込んで気配消してやがった。…いや、オレが動揺し過ぎているだけか。


「うぅうぅぅうぅぅうぅぅぅ…」


「? 唸ってるだけじゃ解んねぇぞ? 言いたいことがあるならさっさと…」


「……ファルちゃんには、優しいね」


 その一言が、騒がしい格納庫内でやけに鮮明に聴覚に突き刺さった。そしてこいつがどうしてそんな目をしているのかを理解するにはその一言で充分だった。


「あ~、いや、その…まぁ、だから、つまり……」


「しょうがないよね、ファルちゃん可愛いもんね。なんでも出来るしなんでもしてくれるもんね…。やっぱり、フィー君もああいう娘の方がいいんだよね」


 やばい、またネガティヴモード突入か!? どうすればいい、出撃前のこんな時に…!


「…でも、いいよ」


 思考が高速処理を始めようとした途端、思わぬ言葉が聞こえてきた。いい…って、何が?


「フィー君が誰を好きでも…私は、フィー君が大好きだもん。ずっとずっと前から好きだから…」


「ちょ、ちょっと待て。何勝手に自棄っぱち告白垂れ流してやがる! 出撃前だってのに、混乱するからやめ…」


「言わせてよ! 大切なことだから、お願いだから…言わせてよ」


 強い口調、今にも泣き出しそうな顔…。どうもこいつのこういう時の視線には昔から駄目だ、弱い。


「あ~もうくそ、勝手にしろ。手短に済ませてくれ、もう出撃だ」


「うん、解ってる。あの時、医務室で見苦しいとこ見せちゃったけど…でもあの時言った言葉はどれも嘘じゃないよ。フィー君がいるから、私は『私の好きな私』でいられる。フィー君の『ティクス』でいられるの。そしてこれからも私は『ティクス』でいたい。今まではずっと、フィー君の傍にいられさえすればなんだってよかった。ずっと傍にいられるなら、『幼馴染』のままでも構わなかった。でも…ファルちゃんの告白を聞いて、もうそうは言ってられないって思ったの。私は…フィー君の一番近くにいたい。フィー君の一番になりたい」


 欲張りだね、と自嘲笑いを浮かべるとヘルメットをかぶる。


「だから…私もいいかな? 私のことどう思ってるかって、あの質問の答え…この戦いが終わったら、教えてよ」


 そう言うとティクスはそそくさとラダーを上ってコクピットへ潜り込んでしまった。


「…まったく、恥ずかしい奴め」


 言ってる本人も恥ずかしいんだろうが、聞いてるこっちだって恥ずかしいんだ。あ~、顔あっちぃ。ヘルメットをかぶってバイザー下げれば外からこっちの表情はほとんど見えないのが救いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る