第111話 プラウディア
夜の闇に溶ける漆黒の海に、照明を必要最小限に落とした巨大な艦は影のように息を潜めながらその時を待っていた。ルー・ネレイスの放った主砲弾の放熱をかろうじて免れた敵機が飛来したりはしたものの、艦載の対空火器で充分対応可能な範囲で艦載機の出る幕も無いまま離脱に成功した第三艦隊は、予定時刻より二時間遅れで無事に第二艦隊と合流に成功して作戦海域へと到着した。
最終ブリーフィングも終了し、作戦時に合流して僚機になるパイロットとの打ち合わせも完了している。そうなれば作戦開始まで体を休めるべきなのだが、なんとなく眠りが浅く大分早い時間に起きてしまったので艦内をぶらぶら歩いてみる。
連れて行く僚機が第三艦隊内部にいたカイラスとアトゥレイは空母メガエラに、ソフィとメルルは空母ティスホーンへと既に移動したため、今アレクトの中にいるヴァルキューレ隊メンバーはティクスとファル、イーグレット、フェイ、ディソールにオレの六人。
「もう愛機のチェックもしちまったし、これと言ってやることも無いんだが…」
艦内は静まり返っているが、人がいないわけじゃない。オレと同じように寝付けないパイロットも普段より多いように思う。だが見ていると複数人で近い場所に集まっていても、何か会話している風ではない。嵐の前の静けさ…とでも言うのだろうか。ただ「その時」が来るのを待つばかり、「早く来い」と願うと同時に「来てくれるな」って思ってるんだろう。フェイズ2への移行は午前四時と通達があったので、「その時」まであと一時間半ぐらいか。
「ま、その気持ちも解らんでないけどな」
小腹が空いてきたので食堂で軽く食事しておくことにした。午前二時半…丑三つ時なんて呼ばれたりする紛うこと無き真夜中だが、こんな時間でも食堂には豊富なメニューが用意されていることに驚いた。格納庫とかじゃまだ明日使うであろうミサイルやら爆弾やらを組み立ててたし、そいつら用なのかな。
「いよいよ最後だろ? なんか艦内が湿っぽい空気だけどよ、おたくらの働きでこの空気吹っ飛ばしてくれよな」
食事を受け取る時、ジャケットの肩にある部隊章を見て給仕係がそんなことを言っていた。作戦が始まったらみんな形振り構ってられなくなるから安心しろ、と答えておいた。トレーに盛られたサラダとスープとステーキを見て…寝起きに食べるにはちょっと胃が疲れそうな気もしたけどとりあえず食べておこうと席に座る。まぁこういうメニューになるのは、パイロットに限らず空母での仕事には体力が必要だからに他ならない。
今回はこれまでと比較にならない規模の戦闘になることは明らかだ。敵にもはや後退の二文字は無いだろうし、そうなれば死に物狂いで襲ってくる。ティクスも言ってたが、最悪の戦いになるのは決定的だ。スープを口に運びながらちらりと食堂の中を見回してみると、やはりフライトジャケットに身を包んだ人間が十数人いる。
「怖いよなぁ…」
何かを話せば、それが相手との最後の会話になる可能性が高い。緊張も極限に達しているだろう状態で、変にぎくしゃくした会話になるのは目に見えている。ただの会話で終わればいいが、変に地雷を踏んで機嫌を損ねるような物言いになってしまった日には目も当てられん。そもそも何を話せばいいのかも解らんし、話したいことはあってもそれを言葉にするだけの冷静さが無くなっているんだろう。変に張り詰めた空気と湿っぽさが、そう感じさせた。生き残れる保証なんて無いのはいつも通りだが、今回の作戦の生還率なんて考えたら絶望的だ。
「他人の心配してる余裕なんて、無いもんな」
食事を終え、トレーを片付けると格納庫へと向かった。愛機の調整は済んでいるが、部屋に戻る気にもなれなかった。今回の戦闘では対地攻撃は攻撃機隊に任されるので、ブリュンヒルデに対地ミサイルは積まれていない。コクピットを覗き込むとディスプレイにメッセージが表示された。
<What’s the matter? There is a time until t
一瞬驚いたが、なんとなくそのままシートに背中を預けてしまった。音声認証モードをONにして、話しかけてみる。
「…別に、艦内うろついていても暇なんでな」
<
ふと機械であるこいつなら、この質問にどう答えるのか気になって訊いてみた。
「オレは生き残れるか?」
答えはすぐに返ってきた。
<It depen
「オレ次第…か。確かにな」
<
ん? なんか続くらしいが、なかなか表示されない。しばらく無言で待っていると、アラクネはこう続けた。
<I do
思わず笑った。機械が『望む』だと? こんな人間くさい機械は初めて見た。
<…W
「いや、別に…。ただオレは多分オレが死ぬとしたらそれはお前に殺されるんだと思うぜ?」
<…Y
簡単に言ってのけやがった。こういうとこはさすが機械…。
「オレが死んでもお前は飛んでそうだもんな」
<Of course. If I lost a wing, I absolutely c
「頼もしいね。もしオレに息があれば必ず帰って来れるわけだ」
<Right. So, you’ll not become t
きっつ…。やっぱ結構怖いな、こいつ…。オレはしばらくこうして機械相手に雑談をしていた。端から見ればかなり寂しい奴だと見えるに違いない。そんな時だった。
『第一波攻撃隊は出撃準備。繰り返します…』
そっか、もうそろそろか。オレはシートから体を起こした。
「ありがとな、いい暇つぶしになった」
<
格納庫が賑やかになりだした。この艦からはイーグレットが出撃予定になっている。空軍のミカエルⅡを引き連れて飛ぶため、今回僚機とは空で合流する。そのため一応機体脇に増槽タンクを取り付けられているはずだ。
「よし、オレもそろそろ準備しておくか。…ただ、その前に」
格納庫を出て艦橋下まで歩き、階段を上って飛行甲板に出た。空はまだ星が輝く夜空、朝陽はまだ遠く水平線の彼方で顔を出すタイミングを窺っている。夜の空気は冷たく肌を刺し、息を白く煙らせる。ここは赤道から遠く、季節も秋の終わりだった。考えてみれば寒いのは当たり前である。
「…こんな寒空の下で、何をしてるんだい?」
不意に声をかけられて驚いたが、振り向いてみるとイーグレットがパイロットスーツに身を包んで立っていた。
「な、なんだ。おどかすなよ」
「それはすまなかった」
ほとんど表情を崩さないイーグレットだが、たまにその表情を変える瞬間があった。ただしそういった時でもやはり笑ってるんだか悲しんでるのか、おどけているのか真剣なのかよく判らない表情だった。
「第一波はそろそろ発進だろ?」
「もしかして見送りに来てくれたのかい?」
「まあ、そんなとこだ」
甲板の上ではスタッフが忙しく走り回りながら各部のチェックを行っている。
「嬉しいね、部下を想うその気持ち」
「結構な付き合いだからな。長く一緒に戦ってきた奴らに死んでもらいたくは無い」
「そうだね。一緒に本国の土を踏みたいものだ」
飛行甲板の計四基あるエレベーターのうち一基が昇降し、格納庫から引っ張り出されたゲルヒルデが姿を現す。
「さて、じゃあ先に行くよ。ぼくはシルヴィみたいに手際よくないし、今回ばかりは念入りに準備したいしね」
「お前のECMが第一波攻撃隊の隠れ蓑だからな。接敵までみんなをしっかり匿ってやってくれ」
「昨日の海上遭遇戦もあるし、夜明け前の奇襲ですら読まれてると思うけどね。やれることをやるだけさ」
そう言い残して愛機の許へ歩いていくイーグレットを見送る。全艦照明を最低限に抑えているため遠く離れた艦の様子は判らないが、80kmほど離れた場所にいるはずの二番艦メガエラではカイラスとアトゥレイが準備しているはずだ。同じく三番艦ティスホーンの上にはメルルも発艦準備をしているだろう。
「発艦まで見送ってたら自分の準備が間に合わんしな、戻るか」
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