第88話 切っ先の戦乙女

 何があの人を戦場へ向かわせるのか、何があの人から恐怖を振り払うのか…数多の死が蠢く空を躊躇いなく軽快に飛んでみせるあの人を導くものはなんなのか。それが知りたかった、解らなかった…。


「滑走路から敵機多数離陸!」


「くっ…遅かった。いや、地上にまだ爆撃機が見える。ロスヴァイセ、対空砲火に捕まらないでよ? 続け!」


「そんなヘマしないって、君のお尻を追っかけさせてもらうさ」


「シルフ2よりブリュンヒルデ! 後方に敵機だ、ブレイクしろ!」


 緊迫したその声に、思わずヘルメットの耳元を押さえてスピーカーに耳を澄ませる。


「五時方向に二機、九時からも来るぞ!」


「包囲されるぞ、突破しろ!」


「ヴァルトラオテよりブリュンヒルデ、私がカバーに入ります! シュヴェルトライテ、ついてきなさい!」


 カイラス中尉が隊長の援護に向かうようだ。さっきからカイラス中尉の操るヴァルトラオテはヴァルキューレ隊の機だけでなく他の友軍機への援護にも積極的に動いている。先日アトゥレイ中尉がこっそり教えてくれた話によれば、デイジー隊に編入されてから…というよりエンヴィオーネ戦を終えてから彼女の飛び方は変わったらしい。任務の完遂を目指しつつ最大限多くの僚機を連れて帰る…それが今のスタイルだそうだ。チサトの信条に異を唱え、反発し合ったこともあるカイラス中尉が彼女の死を受け止めた結果…ということなのだろう。


「南西から敵の増援が接近、大隊規模です!」


「ヴァルトラオテが敵機撃墜…でもまだ来るよ!」


「く、数が多過ぎる…! 北が手薄なんて、一体軍令部はどんな情報を信じたんですか!?」


「ブリュンヒルデよりHQ、敵戦力は強大。そう長くはもたせられない、第二波発進の繰り上げもしくは作戦中止の判断を乞う!」


 隊長の声も緊迫しており、敵性反応で友軍の輝点が埋もれてしまっているレーダーディスプレイからも前線の様子が感じ取れた。歯がゆい。私がそこにいないことが悔しくて、何も出来ない自分が情けなかった。今すぐにでも駆けつけたいのに、今の私は…。


「セイレーンとは違うんだ。全機、生まれ変わった愛機を信じろ!」


「シルフ7、そっちじゃない。逆だ、ブレイク・ポート!」


「ピクト1よりブリュンヒルデ、包囲されているぞ。突破しろ、そのままでは危険だ!」


「出来るもんならとっくにやってんだよ! ティクス、どっちに逃げればいい!?」


「どこを見ても敵ばかりだよ、逃げ道なんて…またロックオンアラート!? ミサイルが来る、ブレイク用意!」


 レーダー画面を操作してブリュンヒルデがいる空域を拡大表示させると、隊長が八機のベルゼバブに周囲を完全に囲まれながら上下左右へと回避機動をとっている様子が見て取れた。その周りではヴァルトラオテやシュヴェルトライテの反応もあるが、敵機が多過ぎて対処し切れていない。

 ローレライの三個中隊も善戦しているけど、当初計画されていた第二波攻撃隊発進までに制空権を奪うのは不可能に見える。隊長は援護機も特につけず、自力での突破を試みているようだが現実的じゃない。誰かが援護につかなければ状況は時追う毎に悪化していくだろうことは容易に想像出来る。


「グリムゲルテよりHQ、敵基地の滑走路破壊を確認!」


「南西から新たな機影を捕捉、プラウディアからの増援だ!」


 機体性能が高いおかげとはいえ、今のところ誰一人撃墜されていないのが奇跡だ。無線から聞こえてくる内容を聞いているだけで胸が締め付けられる。一体私は何をしているのか…。戦おうともせず、飛ぶことすらせず…戦闘空域から遠く離れた母艦の格納庫で燻っている。今の私は…飛べない、あの人の背中を護れる自信なんて無い。こんな中途半端な私なんかが出て行っても足手纏いになってしまう。


「…でも」


 このまま何ひとつ出来ないまま…いや、「しないまま」もし本当に隊長が撃墜されたりしたら? それこそチサトに合わせる顔が無い。援護機をつけずに戦い、窮地に立っているあの人を護るべきは二番機を与えられた私なのに…。思えばバンシー隊の頃もそうだった。エンヴィオーネでも私たちには散開を指示しながら、自身は単機で三女神に突進していった。自らが常にもっとも危険な相手と対峙し、私たちを護ってくれていたのが隊長だった。地上でも気さくに接してくれて、それでどれだけ精神的に助けられていたか…。昨夜だってそうだ。

 苦しい時にはいつだって助けてくれた隊長…その隊長が苦しい時、私があの人の助けになれなくていいのか?


「第二波攻撃隊各隊、ただちに発進準備を開始せよ。繰り返す、第二波攻撃隊各隊はただちに発進準備を開始せよ」


 その艦内放送が聞こえてきた時、私の中である思いが急速に強くなる。往かなくては、隊長の許へ! 私が今すべきことは明らかだ。そして…それを誰より私自身が望んでいる。


『オレの背中は空けて待ってるからな』


 待ってくれているのだ、私のことを。隊長が自分に援護機をつけなかったのは、そこが私のポジションだからというメッセージなのかも知れない。思い上がりかも知れないが、そんな風に思えた。


「オルトリンデよりHQ、ブリュンヒルデの援護に向かわせてください。出撃許可を願います!」


「君は今回ブリュンヒルデの予備機だ、マグナード少佐から自分が撃墜されるまで飛ばすなと言われている」


「そんなことを言っていたら本当にブリュンヒルデが撃墜されてしまいます! 貴重なゼルエル、初陣から失ってもいいんですか!?」


 感情が昂ぶり、オペレーターに声を荒げて主張する。私もこんな風に感情を露わにして物が言えたんだ…。


「第二波攻撃隊と一緒にカタパルトで打ち出してくれればいいんです、往かせてください!」


「君が出れば状況が変わるとでも言いたいのかね、少尉?」


 先程のものとは違う声がする、ヴィンスター艦長だ。それでも私は物怖じするどころか更に語気を強める。


「戦闘機の最小作戦行動単位はエレメントです、今のブリュンヒルデは孤立してしまっている。この状況変化がもたらす影響は小さくないと思われます。敵戦力が予想を上回り、増援も到着している状況では一刻を争います。往かせてください、どうか私に! ゼルエルならローレライより足が速い! 時間が無いんです、さっさと…!」


「落ち着け、レイヤーファル少尉! それが上官に対する口の利き方か!?」


 オペレーターから一喝され、思わず言葉が途切れる。だが私が謝罪を述べる前にヴィンスター艦長の「彼女を打ち出してやれ」という声が聞こえてきた。


「本来であれば隊長であるマグナード少佐に判断してもらうべきだが、取り込み中なのでな。私が命令を下す。現時刻をもってオルトリンデの待機命令を解除。出撃準備が整い次第ただちに発艦、ブリュンヒルデを含む第一波攻撃隊の救援に急行せよ。作戦空域到達後はヴァルキューレ隊のゼルエル生還を最優先とし、必ず全機無傷で帰艦せよ。…以上だ、往って来たまえ」


「はっ、有難う御座います!」


 嬉しかった。あれほど恐れていた戦場へ往けることがこれほど嬉しく思えるなんて、それほど気持ちが急いていた。

 元々予備機として出撃準備は完了していたため、機体を運搬するための車両がすぐ飛んできてノーズギアを掴むとエレベーターまで運んでくれる。その間に機体の各システムをテストモードで起動、動作をチェックする。

 船体横の開口部から機体が外へ出され、最大二機の戦闘機を同時に載せて昇降出来るエレベーターで航空甲板へと上がる。尾翼の動作を確認しようと座席の後ろに視線を向けると、既に空が明るくなっていた。視線を左右へ振ると、艦首側のカタパルト近くで手を振っている甲板要員に気付く。

 黄色のヘルメットとジャケットを身に着けているスタッフは誘導係だ。こちらを向いて右手を前後に振っているのを見て、エンジン出力を可能な限り絞って微速前進しつつ右足のフットペダルを踏み込んで右旋回する。ラダーとノーズギアは連動しており、踏み込んだ方向へ回転する仕組みになっている。


「オルトリンデ、二番カタパルトに接続せよ」


「圧力70…80…90…グリーン!」


 長く艦首まで伸びるカタパルトの溝からは蒸気が噴出し、その溝を跨いで立つ誘導要員が機首とカタパルトが一直線になるよう細かく指示をくれるのでそれに合わせペダルを踏み込む。カタパルト接続位置まで来ると誘導要員が両手の掌を見せる形で「停止せよ」を伝えてくる。

 スロットルを手前へ引き、両方のフットペダルを踏み込んで機体を止める。最後に右腕を肩の高さで水平にし、軽く開いた手の下で親指を立てた左手を真下に下げる。「射出バー下ろせ」のサインだ。ノーズギアに備えられているカタパルト接続用の射出バーを下ろし、カタパルトに機体を引っ掛ける。


「カタパルト、トレイル・バー接続を確認。バリアー上げろ!」


「セーフティーピンは外したな!? エンジン点火、操縦系の最終確認!」


 ジェットエンジンの排気熱で甲板要員を焼き殺さないための正式名称ジェット・ブラスト・ディフレクター、通称バリアーと呼ばれる耐熱板が起き上がったのを確認してスロットルレバーを最前位置に押し出し、アフターバーナーを点火しながら操縦桿を動かしてすべての翼が正常に動作するかを目視で最終確認する。よし、すべて正常。それまで目の前に立っていた誘導要員が脇へと退避して、前方がクリアになったところで傍らに立つカタパルトオフィサーに手早く敬礼。


「オルトリンデ、出ます!」


 私の敬礼を見たカタパルト士官が姿勢を低くしながら前方を指差すポーズをとった直後、凄まじい衝撃と共に景色が勢いよく後ろへと流れていく。速度計がさっきまで20ノット程度だったのに、一瞬で七倍近い速度まで加速させられて海の上へと放り出される。機体の自重で高度が下がって嫌な浮遊感に緊張する体を落ち着かせ、ゆっくりと操縦桿を引いて機首を上げると徐々に高度が上がり出す。速度が充分でない状態で急に機首を上げてしまうと失速の恐れがあるためだ。


「オルトリンデ発艦! 後続の射出準備にかかれ!」


「HQよりオルトリンデ、幸運を祈る。必ず帰ってきてください」


「有難う御座います」


 ギアを格納し、緩やかな左旋回をしながら上昇。発艦して間もなく音速を突破して作戦空域を目指す。


「お願い、間に合って…!」


 マッハ2も突破、更に現在の装備で出せる最高速度に達しても気持ちが急いているせいで遅く感じる。もっと速く、もっと速く…今の私にはそれしか考えられなくなっていた。そっと右手を操縦桿から放し、左の胸に当てる。耐Gスーツの胸ポケットにチサトのドッグタグがある。


「チサト、どうか私に力を…」


 目を閉じてそう呟き、そしてキャノピーの先に広がる空を睨む。もはや覚悟は出来ている、迷いなど微塵もありはしない。

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