第55話 焦燥

 それからの時間はあっという間だった。ブリーフィングから二十時間が経とうという時間になっても、急いた気持ちはなかなか収まらない。何度も愛機のコンディションを細かく確認しながら整備兵に注文をつけ、シミュレーターでチサトやファルたちと最高難易度設定で敵機がひしめく仮想空間を飛んでみたりとせわしなく動く。

 そんなこんなで動き回っていたら、ろくに食事も摂らないまま夕暮れを眺める始末だ。なるほど、ティクスが限界を迎えるわけだ。コクピットの後席でフライトシステムの微調整などのシステム最適化作業を行っていたと思ったらいつの間にか眠っていた相棒。ただ今朝からずっと気を張りっ放しで振り回してきたからな…。オレはコクピットから出ると、射出座席の形に固定された体に本来の動きを思い出させるべく格納庫の外へ歩き出す。


「つ、うあぁ…」


 肩を回し、腰をひねると体中あちこちの関節がパキポキと鳴った。相当固くなってたらしい…。東の空はちらほら星も浮かぶ夜のそれとなり、西の空にも地平線付近に微かに夕陽の赤が残るのみだ。日没…夜が来る。


「あと十時間、か…」


 時計で時間を確認すると、短針が六時を示していた。あと十時間…仮眠と食事を摂る時間も考えると、充分に時間はある。だが、なんとも言葉では表現し難い…とにかく嫌な胸騒ぎがする。


「隊長?」


 不意に声をかけられ、振り返るとチサトが不思議そうにこちらを見ていた。


「おお、チサトか。シミュレーターから逃げてきたのか?」


「あはは、何度やってもあの子に殺されるんですよ? そりゃちょっと息抜きしたくもなりますって~。隊長も黄昏ちゃって、何かお悩みでも?」


 張り詰めていた空気が、彼女が来るとふっと力が抜ける。誰にでも出来ることじゃない、彼女にしか出来ない特殊能力だとつくづく思う。


「いや、どうにも気持ちに余裕が無くってな。息抜きだ」


「なぁんだ、隊長もサボりじゃないですか」


「サボりとか言うな」


 二人してふっと笑い出す。それから場所を食堂に移し、紅茶を飲みながら会話を続ける。


「ムードメーカーのプロとして、他の隊員の様子はどうだ?」


「う~ん、個人的にひっかかるのはカイラス中尉ですかね。他の誰よりも肩に力が入り過ぎてる感じが強くて、怖いのはみんな同じだと思いますが…。イーグレット少尉なんかは落ち着き過ぎてて面白味に欠けますけどね」


 面白味に欠けるって…その言葉選びが面白くて思わず苦笑する。


「あいつはいつもそうだからな。あの何事にも動じずっていう強い気持ち、女みたいなあいつのどこから来るんだか…」


「隊長、過剰反応する輩の前でそれ言ったらハラスメントで訴えられますよ…」


「でもお前も思わんか?」


「ゴスロリドレスとかめちゃめちゃ似合いそうではありますね」


 いや、さすがにそこまで想像したわけではないが…。オレの言葉よりも遠回しではあるがトータルの破壊力はチサトの方が大きいんじゃあるまいか、と心の中でささやかな自己弁護をする。


「しかし…そうか、カイラスが気になるか」


「アトゥレイ中尉とのやり取りを見ていても、いつもより感情論二割増しって感じ。あれじゃアトゥレイ中尉が不憫過ぎますよ。かなり頑張ってるのにまだ出来る、まだ出来るって…。シミュレーターから離れたのはそれも理由のひとつなんですよね」


 その光景を想像して、本気でアトゥレイに同情した。


「シミュレーターの結果としては、及第点なんだろ?」


「及第点っていうか、普段のアトゥレイ中尉と比べればすこぶる優秀ですよ。敵機との位置取りやカイラス中尉からの指示に対する反応速度、射撃の命中率とかスロットルの燃料配分だって大分改善されてます」


 なるほど、確かにそりゃやり切れん。


「…後で様子見に行ってやるか。カイラスにも一言二言声かけておくとしよう」


「その辺は私よりも隊長が適役だと思いますんでよろしく」


 うむ、この上官を上官として見てない口調がやりやすい。「ああ、任せとけ」と胸を張る。




「ちがう、そっちじゃないでしょ! 何度言えば解るのよ!」


 シミュレーターの画面上で繰り広げられる戦闘。シルヴィに言って難易度を上げてもらってあるそれは、一瞬でも油断すれば撃墜される苛酷さを作り上げていた。仕組みは単純で、敵のベルゼバブの性能をすべて倍に設定しただけ。でもたったそれだけで難易度は想定していたよりもかなり跳ね上がった。鳴り止まないミサイルアラート、レーダーを敵機で埋め尽くされ、しかもそのどれもが通常の倍速で襲い掛かってくるのだから恐ろしいことこの上ない。

 そうよ、このくらいの状況に慣れておかなければ三女神と戦うなんて出来ない。それなのに、それなのに…!


「ああ、もう!」


 画面に表示されるDEADの文字。前方に敵機を捕らえ、ロックオンしようとしたところを後方から撃たれた。エンジンから主翼に至るまで全身をバルカン砲で蜂の巣…。悔しさでアトゥレイが座っている前席の背面を蹴り飛ばす。


「なんで回避しないのよ!?」


「あとコンマ数秒あればロックオン出来たんだ、それを狙って何が悪ぃってんだよ! そっちこそ回避させてぇなら方向とタイミング指示してくれよ」


「目先の敵機ばかり追ってるからそうなるのよ、もっと全体に意識を巡らせなさいよ!」


「んな余裕あるか! むしろそれはそっちの仕事だろ!?」


「私に責任転嫁? いい度胸じゃない!」


 席から立ち上がってアトゥレイの横に立ち、右手を握り締めた時…その声は飛んできた。


「そこまで!」


 反射的に右手に力が入り、振り下ろそうとした腕を止める。シミュレータールームの出入り口付近に眼を向けると、隊長が呆れたような顔でこちらを見ていた。


「まったく、チサトから聞いて様子見に来てみれば…。何やってんだ、カイラス」


「私はただ、三女神と渡り合えるようにシミュレーターで訓練を…!」


 私の行動は間違っていないはずだ。苛酷な環境で瞬時に最適な判断が出来るようにするための訓練としては、これが一番手っ取り早い方法…。でも隊長はやはり眉間にシワを寄せながらシミュレーターの戦績画面に眼をやる。


「援護機無しで、敵機はベルゼバブが二十機…三分ごとに十機増援? 敵の性能補正は一般機の倍、か。それで撃墜数は平均六機だろ? 充分じゃないか?」


「しかし平均生存時間は八分にも届かないんですよ? これでは三女神と交戦したら…」


 すると隊長に「気負い過ぎだ」と笑われ、肩に手を置かれる。


「三女神は確かに機体の性能もパイロットの性能も桁外れだがな、向こうは三機でこっちは五機。数での優位がどれだけ働くかは不明だし、さして大きくも無いだろうが…それでも単機で渡り合う必要なんて無いし、まして撃墜なんて考えなくていい。生き残ることだけを考えて、とにかく逃げ回ることに集中した内容の方が実戦でも活きてくると思うぜ?」


 撃墜せず、逃げ回る…。ふと、私が何を目的にこのシミュレーターをシルヴィ少尉に設定させたのかを思い出した。そしてその後、訓練中私がアトゥレイに出した指示…それらは「苛酷な環境に感覚を慣れさせる」という本来の目的から、次第に「三女神と互角に戦う」という目的にすり替わってしまっていたように思う。


「だからアトゥレイ、お前がスロットル全開以外の緩急つけた飛び方を覚え始めたのはひとつの成果だ。シミュレーターの設定はこのままでいいから、とにかく十分生き残れ。それが出来たら次の作戦だって生き残れるさ。二人で周囲の状況を判断し、最適なルートで回避し続ける…それを念頭にやってみろ。いいな?」


「おう、解った。ほら、始めようぜ、カイラス」


「あ、ええ…そうね」


 アトゥレイに促されるまま後席に座り、シミュレーターにリトライを入力する。


「じゃ、健闘を祈る。十分生き残れたら報告に来い、そんで休め。どうせろくに休憩も取っちゃいないんだろ?」


 そう言い残し、シミュレータールームを後にする隊長に了解の意を伝えて、再びシミュレーターの画面を睨む。ただ、その前に…。


「あ、アトゥレイ…その、ごめんなさいね。今回は私が焦ってしまっていたわ」


「気にしちゃいねぇ…ってことも無ぇけどよ、まぁしゃ~ねぇさ。三女神と戦うってなりゃ誰だって怖ぇもんな」


「な!? だ、誰が怖がってるってのよ!? 言っておくけど、私は…!」


 反論しようとすると、シミュレーターが訓練開始のカウントダウンを始めていた。「ほらほら、始まるぜ?」とアトゥレイの微笑を含んだ声…。後で覚えておきなさい、と心の中で舌打ちをしてから、意識をシミュレーターの仮想空間へと潜らせていく。

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