第19話 一難去って
それからエリィさんの踊りに無理矢理付き合わされ振り回されたティニちゃんは再びぐったりしながら、コップに注がれたジュースを飲んでテーブルに突っ伏している。それを苦笑いで見つめるフィー君にそろそろ本題に入らないと時間が無い、と耳打ちしてみる。
「本題?」
「部隊名決めるためにウェルティコーヴェンまで来たってこと、忘れてる?」
それまでその顔に浮かんでいた笑顔が一瞬にして焦燥と後悔が混じり合った「やっべ」って顔になる。
「そうだった、こんなとこで油売ってる場合じゃないんだった…」
「今更過ぎるよ、フィー君…」
半ば呆れながら頭を抱えるパートナーの肩をポンッと叩く。まぁティニちゃんを見つけてしまい、この子の当面の生活への不安を取り除いてあげることを最優先処理した判断は間違ってなかったと思うけどね。
「エリィ姉、この辺に本屋とかってあるか?」
「ん~? 2ブロックぐらい向こうにそこそこ品揃えいい店があるけど、軍人も読書なんてするの?」
「そのくらいしか娯楽が無いのは確かだが、今度オレが新しい部隊の隊長やることになってな。その部隊の名前をどうするか悩んでんのさ」
ちょっとフィー君!? いくら中立国の中とはいえ軍の情報をそんな軽々しく口にしていいの!? 隣で慌てふためく私とは対照的に落ち着いてるフィー君になんていうかこう歯がゆさって言うか手がわきわきしてしまうのはよく指摘される私の幼さなの!?
「あっははは! フィリルが隊長さんか、偉くなったのねぇ」
「茶化すのは後にしてくれ、これがマジで困ってんだから」
普通に受け答えるフィー君と笑い飛ばすエリィさんにもはや慌てることは諦めて、開き直ることにした。
「他の部隊を見てても神話とかに出てくる架空の生き物の名前を付けるとこが多いから、私たちも妖精の名前にしようかとは話してるんだけど、妖精の名前なんてそんなにいっぱい知らないし…」
「へぇ、意外にファンシーなのね。軍ってもっとかっちりしてるのかと思ってたけど」
「生きるか死ぬかの世界だしな。そういう空想の世界にストレス逃がしたり勇気もらったり、御利益を期待してんだろ。じゃあ、2ブロック先だな? 行くとするか」
「妖精の名前?」
席を立とうとした時、ティニちゃんが突っ伏していた顔を上げてそう呟く。
「それなら…バンシー、なんてどうかな?」
そしてまさかのアイディア提供。バンシー、今までその名前は戦場で聞いたことは無い。
「ティニちゃん、その妖精ってどんな妖精なの?」
「ん~、姿とかは知らないけど…バンシーは歴史があって有名な家の家族の前に現れる妖精なの。家族の誰かが死ぬ時にその家の人の前に現れて、どんなに離れてても聞こえるような大声で泣き叫ぶ妖精」
誰かが死ぬ前に家族の前に出てきて泣き叫ぶ妖精? 聞いたこと無いなぁ…。
「死ぬ人が最後に着る服を川原で洗ってたりするって話もあるよ。捕まえようとするとすごい速さで逃げるんだけど、もし捕まえることが出来たら死ぬ人の名前を聞けたりするらしいんだ」
「あ、あんまりいいイメージの妖精じゃないんだね」
死に装束を川原で洗う妖精…ううん、是非とも見かけたくないなぁ。
「うん…でもね、バンシーが現れてくれるのは名家だけだし、人の死っていう大切な未来を予知する能力を持ってるから『妖精の女王』って言われることもあるんだよ? それに家族の死に涙を流して悲しんでくれる、いい妖精なんだよ」
おお、なるほど。そういう考えもあるんだ。妖精の女王、かぁ。ちらりとフィー君に視線を向けると、どうやら気に入ったらしい。
「…バンシー、か。いいね、調べてみよう。じゃあエリィ姉、サガラスさん…こいつのことよろしく」
席を立つフィー君の後を追い、私も席を立つ。
「お手柄だよ、ティニちゃん。貴重なアイディアをありがと!」
「ううん、こっちこそ今日はホントにありがと。またね」
会計はフィー君が済ませてくれたので、カウベルの心地いい音色を聞きながらドアをくぐる。ドアを閉める前にもう一度振り返るとまだティニちゃんがこちらを見ていたので手を振り、店を後にした。
日没までには基地に戻るつもりが、ティニの件で随分時間を費やした。急いで本屋でバンシーについての資料を探す。この外縁地域はウェルティコーヴェンの本だけでなく、ルシフェランザ連邦の本もかなり流通している。そう言えば第三艦隊を一度の戦闘で完膚なきまでに叩きのめした敵のエース部隊…名前だけは知ってるが、どういった連中なのかまでは情報が無い。後で少し探してみようか。
「ねぇフィー君、ひとつ見つけたよ」
相棒が一冊の本を持ってパタパタと駆けてくる。開かれたそのページを見ると、確かにバンシーの説明と挿絵が載っていた。説明文の内容は…ティニが話してくれたのとおおよそ同じだ。ただ容姿に関する記述があった。そこは読んでおいた方がよさそうだな。
「え~っと…『バンシーの姿は醜い老婆と言われるが、早くに亡くなった女性の幽霊であるという説もあることから若い女性として描かれることもある。共通して語られるのは赤く泣き腫らした両目に流れるような長い髪を垂らしており、緑色のワンピースに灰色のショールもしくはローブを羽織っているという』…か」
「もうちょっと可愛い妖精がいいな~とか、個人的には思うんだけど…」
「そこはエンブレムのデザイン次第じゃないか? それにこれくらいの方が戦闘機部隊の部隊名としては相応しいと思うぞ?」
なんだかこのウェルティコーヴェンにいると今が戦時だということを忘れてしまいそうになるが、この平和な空気に自分たちが軍人であるという認識まで持ってかれちゃいけない。
「それに他に候補も無いんだ、とりあえずこの資料だけ買って基地に戻るぞ」
「うん、解った」
ティクスに本の代金を渡してレジへ走らせる。資料は手に入れたし、あとはデザインか。
「デスクワーク、苦手なんだよな…」
机に向かって紙にペンを走らせるような作業はどうにも好きになれない。戦闘機に乗って戦場を駆け回る方が断然楽に感じるくらいだ。だがこれまでと同様、今回も絶対不可避のイベントらしい。酷く重たい溜息が自然と零れ出た。
「さ、今日からはこの部屋を好きに使っちゃってくれていいからね」
エリィさんにそう言われて通されたのはお店のある一階から階段を上ってすぐのところの部屋。ドアには「1」と数字だけが打刻されたプレートが輝いている。廊下の奥へ目を向けると、「2」や「3」のプレートが取り付けられたドアも見える。
「一応こんな宿泊設備も整えちゃいるんだけどね、近くにもっと設備整ってるホテル建てたバカのおかげでもうほとんど使ってないの。たまに価格面で吸い寄せられたバックパッカーが泊まってくれる程度かしらね。だから部屋ひとつぐらい占領してくれちゃっても全然問題ないのよ」
ケラケラと笑いながら、エリィさんが部屋の照明を点ける。白い壁紙に映える木製の机と椅子に、同じく真っ白なシーツと木製フレームのベッドがまず目に入った。フローリングの床も綺麗で、使っていないとは言っていてもちゃんと掃除されていることが判った。よく生活感とかって表現されるものは感じなくて、綺麗に整理されているせいか多分それほど広いわけじゃないはずの部屋がとても広く感じた。
「じゃ、じゃあこれからお世話になります」
頭を下げようとすると、エリィさんが指をティニのおでこに押し当ててそれを止めた。
「そんなかしこまられちゃこっちもやりづらいって。さっきも言ったけど、明日っからはうちの看板娘なんだからね? 一緒に働く以上、あたしたちは家族も同然なの。敬語は禁止、オーケー?」
家族…その言葉が胸をチクリと刺す。だけど…視線を上げるとエリィさんが悪戯っぽい笑みを浮かべている。その笑顔を見ていると、切なさ以上に温かみを感じる。そこでティニも「うん、解った。よろしく、エリィさん」と笑顔で答える。
「そうそう、いい子ね」
ポンポンっと頭を軽く叩いて褒めてくれる。
「じゃあ、お風呂は奥の階段を下りて右だからね。さっぱりして少し寝たら? 洗面用具は備え付けのを適当に使っていいし、どんなに爆睡してようと晩御飯にはちゃんと起こしてあげるから」
「あ、うん。そうする」
ティニが頷くと、エリィさんは「それじゃあたしは店に戻るわね」と言い残して踵を返した。その後姿を見送った後で、部屋の中に足を踏み入れ、たったひとつの荷物である避難バッグを部屋の隅に置く。改めてこれから過ごすことになる部屋を見渡す。
「…ここが、ティニの部屋」
安心したからか、酷く体が重く感じてベッドに座る。今日は色々なことがあったから、疲れていて当然かも…。昨日国境を越えて、さほど手をつけてなかったお金で食べ物を買って、駅で眠って…思えば国境を越えて昨日の今日でお兄ちゃんたちと出逢えたことはラッキーだったかも知れない。
「お兄ちゃん、か…」
お兄ちゃんたちがフォーリアンロザリオの軍人だったことはショックだった。でも優しくしてくれた人たちが敵国の人間だったことにじゃない。どちらかと言えばこのウェルティコーヴェンに来ても、「戦争」から離れられないっていう現実に…だと思う。どこに行っても人の生き死にからは逃げられないのかな。
あ~、ダメだダメだ。嫌な考えばっかりがグルグルしちゃう。ティニは自分の思考に区切りをつけて、エリィさんの言ってたお風呂に行こうとベッドから立ち上がる。
「あ…」
そこであることに気が付く。洗面用具は備え付けのものがあると言っていたから大丈夫だろう。でも…。
「着替え、持って無いや」
今まで着の身着のままだったし…どうしよう。まぁとりあえずは今着ているこの服でもいいか、と割り切ってお風呂に行くことにした。
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