第20話 看板娘

 結局、昨日はバンシーの情報は得られても部隊章のデザイン完成までには至らなかった。軍のデータベースで調べてみたところ、バンシーを部隊名として登録している部隊はまだ無かったため、名前については決定ということでティクスとも意見が一致した。あとは部隊のエンブレムとなるデザインなのだが、基地の食堂で朝食を摂る最中でも相棒との話題はそればかりだ。


「なんとかデザインも早く決めちまいたいな。可能なら今日中には仕上げちまいたいもんだ」


「そうだね、さっき明日機体も搬入されるって聞かされたし…他のメンバーも今週中には全員合流でしょ?」


 昨日基地に戻ってくると今後の予定をオフィスのオペレーターから手渡された。そこにはオレたちが乗ることになるXFR‐136・ミカエル四機とその整備部品を搭載した輸送機部隊が明日の昼過ぎ、一三〇〇時に到着する予定であることが記されていた。この部隊に随伴する直掩戦闘機部隊はケルツァーク基地到着後、そのままこの基地所属の常駐部隊となるらしく、やっとこの基地も機能し始めるというわけだ。前線で戦う陸軍の部隊や海岸線から動けなかった海軍第二艦隊にとっては待ちに待った時が来る。


「デザイン決めても発注からステッカーになって帰ってくるまでどんなに楽観しても五日はかかるだろ。部隊の始動に間に合わせるのは諦めるにしても、エンブレム無しで初陣ってのもなんか…モチベーション下がるよな」


「確かに、それはあるかも…」


 第一こんなことを追々合流する連中に手伝わせたくも無い。オレが合流する側の立場だったら「何やってんだ」ってまず思う。そんな奴の下で命懸けて戦うなんてやってられん、とか思うかも知れない。それだけは避けねばならん。戦場での生存率を上げるために信頼関係は絶対でなくてはならない。


「くそ、面倒な立場になったもんだぜ」


 手早く朝食を平らげると、オレたちは席を立って食堂を出る。急ピッチで基地機能を万全なものとするために作業員が忙しく駆け回るような場所で考えがまとまるわけも無いので外出することにした。



 ヴァイス・フォーゲルの店内は、正直それほど広いわけじゃない。物資の流通が激しいウェルティコーヴェン外縁地域ならではとも言えるぐらい様々な種類の茶葉にティーセットなどの食器類が所狭しと並べられた食器棚、サイフォン式コーヒーメーカーや焼き立てのパンなどを置いておくカウンターがあり、そこに面した席が全部で八席、それに四人掛けのテーブル席が南側と東側の壁際に全部で四つ。


「はぁ、はぁ…!」


 南側奥のテーブルから対角線にある東側奥のテーブルまでだって十歩前後で辿り着ける。


「え、えっと…このベーコンエッグトーストのセットは」


 エリィさんから仕事中は着てるようにと言われた丈が短めのエプロンのポケットからメモを取り出す。右手のトレーで美味しそうに湯気を立てる今朝の朝食セットメニューのひとつ、これの注文はどこの席からだったか。


 今朝エリィさんにメモパッドとペンを「これが無いと本気でキツいと思うわ」という言葉と一緒に渡された時は本当に必要になるなんて思わなかった。でも現実には、本当にこれが無いと頭の中がしっちゃかめっちゃかだ。


 …いや、今だって充分しっちゃかめっちゃかなんだけどね。


「ティニ、それ運んだら10番のオーダー聞いてきて~」


「あ、はい!」


 10番? 10番ってどこだ? とにかくメモの内容を確認してまたポケットに突っ込みトレーを運ぶ。その後はカウンター席とテーブルに取り付けられたプレートを頼りに10番の席を探し出し、そこに座るお客の注文を聞いてメモしたらカウンター越しに立つエリィさんに渡す。メモと引き換えみたいにエリィさんから渡されるのは、これまた別のお客が数分前に頼んだ朝食セット。それを運んだら今度はカウンターから離れたテーブル席に座るお客へのコーヒーのおかわりの配膳…。


 てんてこ舞い過ぎて時間の感覚が薄れる。さっき配膳したと思った席に気が付けば別の人間が座り、その注文を聞いてまた走るの繰り返し。一体この作業を始めてからどれぐらい経ったのか、そこにまた別のお客の来訪を告げるカランコロンという金属音が店内に響く。


「あ、いらっしゃいませ!」


 出入り口のドアに取り付けられたカウベルが鳴る音。最初のうちはまだ心地よく聞こえていたこの音も、段々ウザったくなってくる。条件反射的にそちらへ視線が向き、新たなお客の姿を確認する。二つの人影、ただその二人には見覚えがあった。


「ふわぁ、すごい人だね」


「へぇ、昨日は感じなかったが…結構繁盛してんだな」


「お兄ちゃん、お姉ちゃん!」


 ティニがドアをくぐってすぐのところで立ち尽くしている二人のところへ駆け寄ると、ティクスお姉ちゃんが昨日と変わらない笑顔で「おはよう」と手を振ってくれた。


「…本当に看板娘させてやがるし、あの人はまったく」


 お兄ちゃんが片手で頭を押さえながら呆れた表情を見せる。ティクスお姉ちゃんも「大変そうだねぇ」となんだか生暖かい同情の眼差しを向けてきた。


「さすがに、ここまで大変だとは思わなかったよ。えっと、と~りあ~えず~」


 店の中を見渡すと、カウンター席の一番奥に座っていたお客が立ち上がるのが見えた。あそこの席は隣も空いていたはずだ。


「カウンター席の一番奥、空いてるはずだから座ってて。お皿とか片付いてなかったらすぐ片付けるから」


「あんまし頑張り過ぎるなよ?」


 頭にお兄ちゃんがポンッと手を置いて、多少髪をくしゃくしゃと掻き乱すようにして撫でてくれる。疲れ切っていた体に、ちょっとだけ元気が戻った気がする。


「うん…」


 ただ、なんだろう…。ちょっとだけ、不安な気持ちがよぎる。ざわつく胸を誤魔化して、ティニを呼ぶエリィさんの声に自分の足をカウンターへと向かわせた。




 エリィ姉の指示に決して異を唱えず店内を忙しく駆け回るティニの姿を眺めていると、昨日と比べ表情が活き活きしてるし、そこに関しては嬉しくも感じるのだが…本当に看板娘としてエリィ姉にこき使われているという現実に悲しくもなる。


「ここに連れてきたのは間違いだったか?」


 オレの自問に、隣に座るティクスが「う~ん」と唸り声を漏らす。


「ていうか、本当に看板娘にしちゃうエリィさんの破天荒っぷりを予測出来なかったからねぇ」


 事前に行動予測なんてものが出来るような相手じゃないことは、オレもこいつも解っている。だからその後、二人揃って零すのは苦笑混じりの溜息だ。


「なになにぃ? 若い二人がシケた面して溜息なんて、午前の爽やかな空気の中でな~んてオーラ纏ってんのよ」


 そのシケた面や纏った軽くない空気の原因である人間がカウンター越しに声をかけてきた。


「あんたにゃあれに対する罪悪感とかそういった心は無ぇのか?」


 あっちで注文を聞き、こっちでコーヒーを注ぎ足し、更に空いた皿を片付けて…ティニの額からは玉のような汗が光っている。呼吸も荒いし、疲労困憊なのは火を見るより明らかだ。


「いっや~、若いって素晴らしいわ。まさか本当に看板娘が務まるなんて思わなかったし」


 その表情は明るく、ティニの働きぶりに満足げだ。カウンターを挟んで対照的な表情を浮かべる二人。


「鬼だな、あんた…」


 ぼそりと言葉を零してみたが、エリィ姉の耳には届かなかったらしい。ニコニコと天使の如き笑みを浮かべつつ悪魔のような冷酷さで幼いティニに湯気を立てるサンドウィッチのトレーを手渡している。


「お待たせしましたぁ!」


 エリィ姉からテーブルへとトレーを運ぶたびにそんな声が聞こえる。


「いらっしゃいませぇ! 有り難う御座いましたぁ!」


 カウベルの音の直後にはそんな言葉が響く。幼さ故の純粋な一生懸命さ…健気過ぎて泣けてきそうだ。オレとティクスはそれぞれ紅茶を頼み、昨日買った本に加えてここへ来る途中新たに購入した資料を広げて考えを巡らせ始めた。

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