第九十七話:最上義康の来訪

「これは酷い……」


 紫月と石川五右衛門の戦いで損壊した七日町の花小路を歩き、最上義康は口元を袖で覆いながら呟く。

 火災はすでに鎮火されているが、木材が焦げる匂いはまだ漂っている。瓦礫はまだ完全には撤去されておらず、山形城から派遣された人足達が忙しなく働いている。


 損壊していない見世は数えるほどしかなく、その数少ない無事な見世に月華楼があった。月華楼が月の里の運営する見世というのは既に聞いている。最上義康は、供の者を連れて月華楼の暖簾をくぐった。


「御免」


 供の者が声を上げるが、見世の者は誰もこない。「御免!」ともう一度大きく声を張り上げて、ようやく桶を持った童女がこちらに気づく。たしかあの子供は月の里の忍びの阿国おくにとかいったか?


「……あ! こ、これは義康公……!」


 阿国が慌てて桶を置いて膝をつき頭を下げる。その桶には血で汚れている包帯がいくつも入っていた。


「気づくのが遅れまして、も、申し訳ありません! 姐さ……お千代と紫月、さやは今立て込んでおりまして……」


 義康は、入り口から見える大部屋に怪我人が多数収容されているのを見て、月華楼、および月の里の忍びが花街の住人を助けてくれたことを知る。この阿国という娘も任務を遂行してくれたのだ、とわかり、思わず緊張していた頬が緩んでしまう。


「いや、よい。皆忙しいのだろう? 手が空いたときでよいので、今回の任務の子細を報告してくれ」

「は、はい!」


 阿国はキョロキョロしながら、どの部屋に義康公一行を案内するか迷っている。

 通常なら一番上等な座敷に案内するが、今の月華楼は怪我人や他の見世の女郎たちを受け入れているので、どの部屋もほぼ満員だ。お千代の部屋も壁の一部に穴が開き、それでも倒壊した別の見世の女郎や禿が収容されている。


 阿国は悩んだ末に、楼主のいる内所へと一旦義康公達を連れていく。

 内所にも楼主以外に人が詰めているが、阿国はここ以上に案内するにふさわしい上等な場所を知らない。不足があるなら楼主が別の部屋をこさえるだろう。


 楼主はやってきた義康公に慌てて一礼し、人払いすると阿国に茶を持ってこいと命ずる。阿国は台所に向かいながら、医療班の手伝いをしているさやと紫月、お千代を呼んでこようと廊下を走っていった。


 ※

 ※

 ※


「義康公自ら足をお運びくださり、恐悦至極に存じます」


 内所の近くの小さな部屋に案内され直した最上義康公に対し、紫月、さや、阿国、お千代は深々と平伏する。

 ここはいつもは使っていない部屋であり、半ば物置と化していたが、今回の騒動で見世を無くしたものを収容するため解放していた。それを義康公を迎えるため、談笑していた女郎達を追い出し、簡単にものを片付けて場を整え、こうして即席の謁見の部屋に変えた。


「このような部屋しか用意できなく、申し訳ありません」


 紫月が謝罪すると、義康は微笑みながら「よい。私は気にしておらぬ」と手を振り阿国の入れた茶を飲む。

 少し濃いその茶も、阿国が忙しい中わざわざ煎れてくれたものだと分かっているので、義康は何も言わない。


「むしろ私は感謝しておる。七日町を騒がせていた賊を捕縛してくれただけに飽き足らず、こうして怪我人や見世を失ったものを受け入れ手当までしてもらい、感謝してもしきれぬ」


 さやは、柔和そうな笑みを浮かべている義康公を見て、とりあえず怒っていないらしいと分かりほっと胸をなで下ろす。


「しかしその賊……石川五右衛門といったか? 京で釜ゆでの刑に処された悪党が、なぜ生きておりここに来たのか……」

「それは……現在里が調査中です」


 紫月は答えながら、義康公の疑問に同意する。

 庄内鶴岡の町で聞いた話だと、石川五右衛門という盗賊は、豊臣秀吉により捕まり釜ゆでの刑に処されたはず。なのになぜか生きており、ここ奥州出羽の山形城城下の七日町に来て女郎達の精気を奪っていた。それだけじゃなく朔を傀儡の術で操り、白い忍びの肖像画や映像を消去させた。そのせいで朔は天恵眼を失い、瞳が白く濁り視力がなくなった。


 鉄火場の博徒が吐いた話だと、石川五右衛門は伊賀の百地一門の忍びで、豊臣秀吉の寝所に侵入し暗殺を試みたが失敗し、そのせいで里と秀吉の配下に追われここまでやってきたらしい。

 捕まって釜ゆでにされたのは偽物か、なんらかの術で誤魔化し生き延び、秀吉の寝所から盗んだ千鳥の香炉を持って、月の里の結界ギリギリまで近づき、恐らく伊賀からの命で傀儡の術を発動し、白い忍びの情報を消した。これが博徒からの話と花街で得た情報を併せて紫月達が組み立てた仮説だ。


 だが、どうして七日町で女郎の精気を千鳥の香炉に集めていたのかはまだ分からない。それも伊賀からの命なのか、はたまた別の思惑があるのか……


「石川某という賊はずいぶん凶暴だったらしいな。七日町をこんなにするまで暴れるとは、そなたらも捕縛には骨がいっただろう」

「は……それは……」


 紫月は少しだけ言葉を詰まらせた。実際、七日町を損壊させたのはほとんど紫月である。だが義康公はと思っている。正直に話そうと口を開きかけた紫月の尻を、さやとお千代が抓った。


「ええ、ほんに石川五右衛門には手こずらさせられました。あっしもあいつの手にかかって少し寝込んでしまいんした。ね、さやさん?」

「そ、そうです! あいつが七日町をめちゃくちゃにして、私もいっぱい殴られました。でも紫月のおかげで無事捕まえることができました! ね、阿国?」

「え!? は、はい! ほ、ほんとに大変だったなー」


 女三人の白々しい演技に抗議しようと腰を浮かせかけた紫月だったが、お千代が思いっきり足を踏む。


「いて!!」

「どうかしたのか?」

「いえ、なんでもありんせん。ひの……紫月もあいつと戦ってまだ本調子じゃありんせんで……ほほほ」


 痛みに眉を寄せながら、それでも馬鹿正直に真実を報告しようとする紫月を、さやは肩をつかんで黙らせる。


(いいんだよ、全部あいつのせいにしておこうよ)

(しかし……)

(ここで紫月が捕まっても誰も喜ばないよ。完全に間違いではないんだからこれでいいんだよ)


 ヒソヒソと話す紫月とさやに義康は少し訝しげに顔を顰めたが、お千代が七日町の損壊状況と怪我人の数などを報告すると、最上義康は為政者の顔つきになり、状況を把握し、街の復興のためにどれだけの金と人手がいるかを頭の中で計算し始めた。


 ひとまず花街での賊の捕縛任務は終了した。紫月が懸念していた花街損壊に対しての罪などは問われなく、として処理された。


 いまいち納得がいかない紫月だったが、確かに正直に話して自分が捕まると、お千代やさやを守ることが出来なくなってしまう。もうお千代を泣かせることはしない、と心に決めたのだから、紫月は結局何も言わず、義康公から任務遂行の労いの言葉を受けたのだった。

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