第二章:一五九四年・相馬野馬追

第四十三話:相馬野馬追、開幕

 一五九四年、瑞祥歴五年七月吉日。快晴。

 南奥州の相馬国中村神社に、相馬野馬追に参加する奥州の各国から錚々そうそうたる面子が集結していた。

 一番目立つのは、奥州一の大名芦澤家の嫡男、芦澤正道あしざわまさみちが率いる行列である。

 朱塗りの馬装に金色の前立ての兜、そして紫の緞子どんす織りの生地に水玉模様が不均等に並んでいる陣羽織を正道は着用している。


(随分とけばけばしい装いだな)


 あまりの派手さにさやは心の中で毒づく。

 質素倹約を美徳としていた父の背中を見て育ったさやには、芦澤正道の自己顕示欲に溢れた装飾は悪趣味にしか見えなかった。

 勿論、一国の大将となればそれなりの格好をしなければ部下に示しが付かないが、彼の美的感覚はかなり傾いていると言える。唐入りの時も一五〇〇もの兵を動員し、金の笠に朱塗りの太刀で統一された装いで上京し、京の者に喝采を浴びせられたらしい。

 今は病床に伏している父の代わりにやってきた芦澤家の跡取り、芦澤正道を見て、あれが私の仇の一人であり、今回の任務の対決相手だとさやは再確認する。


「やあやあ、最上義明殿」


 正道が最上家の待機所までやってくる。乗っている黒い立派な体格の馬は、父が織田信長に献上した奥州一の名馬、白石鹿毛しらいしかげの子であり、竜の子の名を継ぐものとして父馬に負けない堂々たる体格と顔つきだ。


「これはこれは正道殿、お久しゅうござる。唐入りの時以来ですな」


 最上義明が馬から下り、正道に声をかける。家臣達やさや、紫月、レラも馬を下り、義明の後ろに控える。正道は馬から下りようとはしない。


「随分と立派な馬ですな。それが竜の子と呼ばれたあの駿馬しゅんめの血を引くと噂の……」

「ああ。倶利伽羅丸くりからまると名付けた。大将たるもの、名馬を乗りこなさなければいかんだろ? 女と同じだ。良い女はよい子を生んでくれる。ねや


 いやらしく笑いながらそう言う正道に、義明は一瞬固まったが、すぐに追従の笑みを浮かべた。だがさやは不快感に顔を歪める。彼の言う良い女とは、駒姫のことを指すのだろう。

 駒姫がここにいなくて良かった。あんな下衆な言葉を姫に聞かせるわけにはいかない。


「して、義明殿、駒姫が見当たらないようだが……」

「ああ、お駒は山形城に置いてきました。お駒の名代は文で知らせたとおり、こちらの青葉が務めます」


 名を呼ばれ、青葉ことさやが前に出て一礼する。馬上から正道が舐めるようにさやの姿を見てくる。恐らく駒姫と自分を比べているのだ。さやはその不躾な視線に顔を下げながら耐えた。


「青葉とやら、顔をあげろ」


 正道からの下知でさやは顔をあげると、彼と視線が合ってしまった。こうして至近距離で見てみると、やはり同腹の兄弟といったところか、芦澤虎王丸に似ているな、とさやは思った。年も二つしか違わなく、隻眼でないところを除けば、顔つきも体格も虎王丸にそっくりだ。身長は馬に乗っているのでよく分からないが、それほど大きくはないだろう。


「……ふうん、そなたが名代か」


 正道がつまらなさそうに言う。さやの顔や体つきを検分し、駒姫に到底及ばない小娘とでも判断したのだろう。さやは嫌悪感を必死に隠し、また顔を下げる。


「そなた、名字はなんだ?」

「……下賎な身の上故、名字など持ち合わせてはおりません」


 さやは極めて冷静に答えた。ここで不快そうに答えては、正道の機嫌を損ね、最上家に迷惑がかかるかもしれない。


「生まれはどこだ?」

「山形城城下、春日村にて生を受け、十二の時山形城に下女として入り、以降駒姫様の身の回りのお世話をしてきました」


 ここに来る前に打ち合わせしておいた偽の経歴を、さやはよどみなく答える。本当なら堂々と、自分は三鶴の坂ノ上清宗の正当なる後継者、坂ノ上さやだと名乗りたかった。しかしそれは今は出来ない。今の自分は月の里の忍びで、駒姫の名代として任務に就いているのだから。


「正道殿、青葉はお駒より三つ年上だが、同世代と見なしてよいだろう。青葉は女子とはいえ、馬術と弓術の腕は……」

「ああ、もういい。分かった」


 正道が面倒くさそうに手を振り義明の言葉を遮る。さすがの義明も眉をひそめるが、さやは顔を伏せながらこっそり笑った。

 相手は私を見くびっている。これは好都合だ。能力の劣るものだと相手に思わせておけば、向こうは手加減してくる。その慢心を突いて必ずや完膚なきまでに負かしてやろう。


 ※

 ※

 ※


 その後、参加者が勢揃いし、野馬追を開催する相馬家当主、相馬昭胤あきたねが現れ、皆に労いの言葉をかけ、野馬追に参加する上での簡単な注意事項の説明をし、参加者全員とその馬へ中村神社の宮司が野馬追の成功を祈り祝詞のりとを捧げる。

 相馬昭胤は、さやの母の甥にあたる人物だが、さやは一度も会ったことが無い。以前に相馬野馬追を見学しに行ったときに会ったのは前の当主で、さやの母方の祖父にあたる人物だった。今の当主である昭胤は二年前に家督を受け継いだらしい。


 正直、さやは相馬氏に良い感情は持っていなかった。それは三鶴が奥州討伐軍に攻められたとき、真っ先に同盟を破棄し我々を見捨てたからだ。

 現当主の昭胤には罪は無いが、やはり一方的に裏切られたという気持ちは捨てられない。母の実家を悪く思いたくないが、もし相馬が応援に駆けつけてくれれば、母も父も死なずに済んだかもしれない。


 もう一人、さやを不機嫌にさせている要員がいる。それは現・三鶴城城主の後見に就いている、坂ノ上家から出奔し芦澤家に下った大定綱義おおさだつなよしが遠くから見学に来ていることを知ったからだ。


 大定とは彼が出奔前の小さい頃に会ったことはあるが、さやは彼の顔を忘れていた。なのに本人だと分かったのは、彼が父を討った時に負ったという火傷が顔についていたからだ。

 顔を左半分火傷した大定はよく目立つ。紫月に大定が来ていることを告げられ、彼を視認したさやは、怒りのあまり天恵眼が開眼しそうだった。里から届いた特製の清眼膏がなければ、目を光らせてしまい、任務に失敗するところだった。


 呼吸を整えながら、さやは自分に言い聞かせる。落ち着け。今は大定を討つときではない。今の自分の役目は、駒姫の代わりに野馬追の神旗争奪戦に勝つことだ。


 祝詞を受けている間、さやはそっと懐から月の里特製清眼膏せいがんこうを取り出し、もう一度注した。眼球に刺激が走り、数秒経ってから目を開けると、開眼しかけていた視界が元に戻る。これで暫くは大丈夫だ。


 この清眼膏はいつものやつに、硝酸銀を希釈し混ぜてある。硝酸銀を加えると、何故か天恵眼が開眼出来なくなる。

 そのことが分かったのは半年前。さやが酷い結膜炎にかかり目を真っ赤に充血していたところ、医療班に硝酸銀を希釈した液を注された時だった。

 炎症は治まり充血は治ったが、その後天恵眼を発動しようとすると目の奥に鋭い痛みが走り、何度やってもいつも通りに発動できなかった。

 この時、さやのみならず紫月や医療班も顔を真っ青にし、禁術が失われたか、と里の上から下までちょっとした騒ぎになった。さやは目を洗ったり呼吸を整えたりして天恵眼を発動させようとしたが、結局二刻四時間の間天恵眼は完全に封じられてしまった。


 主に幼児の淋菌性結膜炎に用いられる硝酸銀が、一体どういう効能で天恵眼を封じたのかは分からなかった。天恵眼自体の仕組みも完全に分かっていないのだから、それは仕方の無いことだといえる。

 それから医療班は硝酸銀の濃度を変えてさやに投与し、どれくらいの間天恵眼を封じられるか実験した。その結果、百分の一に硝酸銀を希釈すると、ちょうど二刻の間天恵眼が発動しないことが分かった。これ以上濃くすると完全に天恵眼が消えてしまう可能性がある。

 以降、さやは今回の任務のように天恵眼を封じなければいけないとき、この清眼膏を注すように言われた。しかし不快な刺激が走るこれは、出来るならあまり注したくない代物だった。多量に注すと天恵眼が失われる可能性もあると言われ、今回のように本当に必要な時以外さやは使用したことがない。


 ※

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 祝詞が終わり、さや達はまず神社の境内にて流鏑馬やぶさめを披露する。これは競争ではないが、射法と馬の美しさを見せ神へと捧げるのだ。

 芦澤正道は、倶利伽羅丸に乗って矢を放つ。流石大大名家の跡継ぎ。矢を番える姿勢は美しく、放った矢は的の真ん中に当たった。皆が感嘆の声をあげる。

 いけ好かない奴だが、倶利伽羅丸の堂々とした威風も相まって、その姿は見とれるほど美しかった。

 その後、最上義明の長男最上義康もがみよしやす、佐竹義重、石川昭光などが終わり、次はさやの番となったが、ソハヤに乗ったさやはわざと的から矢を外した。失笑が観客席から漏れる。正道がにやにや笑いながらこちらを見てくるが、さやは無視した。能ある者は研いだ爪を隠すのだ。

 紫月とレラも、ぱっとしない成績で流鏑馬を終えた。もちろんそれはわざとである。こちらを無能だと思ってくれれば、この後の神旗争奪戦が楽になる。


 流鏑馬でソハヤの身体を温め、次に神旗争奪戦を行うため、さや達は雲雀ヶ原ひばりがはらへと向かう。最上義明は神旗争奪戦に参加しない。代わりに長男の義康が出る。さやと三つ違いの彼は、普段は寒河江を治めている。トキシラズを運ぶときも彼は尽力してくれた。


 雲雀ヶ原に着いた参加者達と見学客は、皆その土地の様子に驚きの声を上げた。


 広い平地は、小高い丘や木々に見立てた障害物があちこちに拡がっており、まるで本当の戦場のようだった。これを作るために相馬側はどれだけの時間と手間をかけたのか。


「神旗争奪戦に参加のおのおの方! これより軍を紅白に二つに分けます! 規定はこちらです」


 相馬昭胤は、立てられた板に書かれた神旗争奪戦の規定ルールを読み上げる。


 一・参加者は紅軍、白軍の二つの軍に分かれ、それぞれの陣地の神旗を奪い合う。

 一・それぞれの陣地の神旗は、

 一・二つの軍の誰が大将かは、

 一・大将を落馬させるか、旗を取られるか、敵軍を全滅させるかのどれかが勝利条件となる。

 一・馬を射ると失格となる。また、落馬した者も失格とする。

 一・弓で射られるのは、騎手か旗かのどちらかだけである。騎手の頭部を射ると失格となる。


 観客がざわめく。当然だろう。普通こういった模擬戦は、先鋒・次鋒・五将・中堅・三将・副将・大将に分かれ、それぞれ互いの階級の者同士が争い、合計点で決める。

 それなのに、この神旗争奪戦では、誰が大将か推理して競わなければいけない。そして大将以外は神旗を射ることが出来ない。将棋と同じで、高い技術と心理的駆け引きと戦略性が求められる。

 さや達参加者は、事前にこの規定を知っており、もう二つの軍に分かれている。もちろん、事前の打ち合わせで誰が大将になるかも決めてある。大将が誰かを知っているのは、自軍の兵以外は、審判役の相馬氏だけで、観客と敵軍は誰が大将か知らない。


 紅軍・最上義康、佐竹義重、石川昭光あきみつ岩城常孝いわきつねたか、青葉(さや)、紫月、アシリ・レラ

 白軍・芦澤正道、茂庭綱元、片倉景綱、泉田重光、留守政景、遠藤基信、白石宗実むねさげ


 それぞれの軍は、馬装も統一され、紅と白の鉢巻きを頭に軍章代わりに巻く。支給された矢は十本で、矢尻が取られ殺傷能力の低い楕円形に布と糸を何重にも巻いたものになっている。犬追物で使われる蟇目ひきめという矢尻だ。

 さやは紅い鉢巻きを額に付けながら、結局、女子は私とレラだけだったな、と白軍の面子を見ながら思った。


 軍の構成を見てもらえば分かるが、これは、最上家を初めとする反芦澤連合軍対芦澤家の戦争の縮図でもある。

 紅軍は、表向き芦澤家に恭順しているが、過去に色々と芦澤家に痛い目に合っている家の者ばかりだ。そして白軍は芦澤家で構成されている。

 相馬野馬追は、一応なので殺生や血を流すことは禁じられている。だが互いの軍は本気であった。ここで勝って名を知らしめる。憎い芦澤家を打ち負かしたい、と様々な思いが交錯する中、さやは駒姫の顔を思い浮かべながら、芦澤正道を見る。あいつが大将かは分からないが、あんな奴に姫を渡すわけにはいかない。その為に、この神旗争奪戦、必ず勝たなければ。


 紅軍、白軍共に最後の打ち合わせが終わり、各々配置に就く。相馬の家紋が描かれた旗が二つ、それぞれの陣地に置かれる。

 さやはソハヤを撫で、近くの紫月とレラを見た。二人とも分かっている、というように頷いた。


 太鼓の音が、雲雀ヶ原に響く。


 相馬野馬追、瑞祥式神旗争奪戦、ここに開幕!

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