第四十一話:自然崇拝と感覚接続
六月になり、段々と暖かい日が増えていき、旭川の水も温んでくる。
さやは平衡感覚が鍛えられていき、
並足から駆け足にあがり、襲歩状態のソハヤからさやは矢を放つ。最初はなかなか的に当たらなかったが、何回もやっていると、姿勢を崩さず的へと何本も矢を当てることが出来るようになった。
次は動く的に当てる訓練だ。鳥の足に
「仕方ないな」
馬上で息を荒くしているさやに、レラは手甲を差し出す。その手甲にはレラの腕に入っている入れ墨と同じ模様が描かれていた。
「本当ならもっとしごいてやるんだが、もう時間がない。ちょっと反則技だが、これを使う」
「これは?」
さやの疑問の声に答えず、レラは「早く付けろ」とだけ言ってきた。怪訝そうに眉を寄せながら、さやは渋々手甲とその下に手袋を付けた。不思議な手触りの布で出来た手袋だ。
さやが手甲を装着すると、今度はレラは筆と紅い塗料を持ってきて、さやの額に文様を描く。おでこがくすぐったい。
レラも額に同じ文様を描き、呪文のような言葉を唱えながら額と両腕をなぞる。
「主体・アシリ・レラ、準体・坂ノ上さや、オキクルミ、モシリコルチ、ワリウネクル、全ての
呪文を詠唱し終わると、レラとさやの回りの空気が動き出す。木々の葉が揺れ、大地が唸り、馬や人、獣に植物に昆虫、空気とそれに含まれる水までもが一体化する。さやと紫月は息をのむ。
あらゆるものが破壊され人が簡単に殺されるこの戦乱の時代において、自然と共存している蝦夷の一族は、このアニミズムという考えをことのほか重視している一族と言える。
火や雷だけではなく、刀や鍋、酒に水、植物に至るまで、蝦夷の一族は
今、レラとさやを、この世に存在する全てのカムイが包んでいる。さやの両手と額が疼き、痺れのようなものが身体に走る。その感覚を不思議に思うさやに、目を閉じていたレラがまぶたを開き、「カムイに許可をもらった。始めるぞ」と言い放つ。
「一体何を……」
さやが言い終わる前に、レラが馬上にて弓を構える。両手を頭上に高く差し上げると、なんとさやの両手も連動して動き出す。
「!」
意図せず勝手に身体が動いたので、さやだけではなく、近くで見守っていた紫月まで驚いた。鋭い痺れが走り、さやの両手はレラと同じ動きをする。左手が伸び目の高さに、右手は曲がって右肩の関節の高さまで上がる。恐怖を覚えたさやは、自分の手が動かないよう力を入れてしまう。
「力を入れるな。やりづらくなる。息を殺すな。ゆっくりと息を腹に押し下げろ」
言いながら、レラはさやと動きを同調させ、矢を番え、飛んでいる鳥の的に射る。滑らかな動きで放たれた矢は、的の真ん中に当たった。
弓を下ろして、やっとさやの両手が自由になる。さやと紫月は目を大きくさせレラの方を向いた。
「蝦夷の一族に伝わる術で、感覚接続の術という。主体と準体が近くに居て同じような体格で、同性じゃないと成功しない術だ」
感覚拡張――現代でも病気や事故、障害などで運動機能が麻痺した者の機能を回復させるために研究が進んでいる技術であり、身体感覚や五感の共有を脳や身体の情報をネットワークに接続することで拡張が可能になると考えられており、この基盤技術は、簡単に言うと動作を把握する機器で取得したデータを、駆動機器を通し人、もしくはロボットに伝えることが出来る。
これなら理論的には、世界的ピアニストやアスリートの動きを、被験者に伝えることで再現が可能となる。人でしか出来なかった繊細さが求められる手術などを、熟練医師の感覚をロボットに伝えることにより無人での手術が可能になる。
蝦夷の感覚接続の技術は、同調させたい部位に特定の文様をこれまた特定の染料で描き、更にカムイへと祈り、許可が下りた者だけが使える術だ。言葉通りの「身体に覚え込ませる」特訓法なのだ。
しかし術を使った後、
さやは、痛む両手をさすろうとして指先が震えているのを感じた。術は解けたのに上手く手が動かせない。心配に思った紫月がさやの籠手を外し、指で手を叩き診察する。その様子を、レラは面白くなさそうに見ていた。
「私は大丈夫だから、紫月はレラも診てあげて」
未だ痺れが抜けきれない手で指を差し、さやは紫月に命ずる。術を発動させたレラも、反動で手が強ばっている。紫月はレラの入れ墨の入った腕を取り、脈などを確かめる。レラは最初嫌がっていたが、紫月が「じっとしていろ」を言い、間近で腕をさすると、レラの頬に朱が走る。
(やっぱり、好きなんじゃん)
少女らしく照れているレラを見て、さやはこっそり笑う。それは駒姫に抱いたのと同じ、姉が妹を気遣う笑みだった。さやはなにかとお姉さんぶりたい年頃なのだ。
痺れが引いてくると、レラの弓を射る感覚がじんわりとさやの身体に染み渡っていった。乗馬と同じ、余計な力を入れず、両腕を緩めると自然に矢が放たれる。精神を集中させ、正しく呼吸し、的と自分が一体になった頃に射る。その時私は無我となり、余計なものが全てそぎ落とされるはずだ。
さやは、この感覚を身体が覚えているうちに、ソハヤを走らせ、もう一度動く的を狙う。的と自分が一直線になるその瞬間、息を吐き矢を放つ。すると今までかすりもしなかった矢が霞的を描いた紙に当たった。
「やった!」
さやがレラの方を向くと、レラはそっぽを向きながら「まあまあだな」と言う。その言葉に今までの棘は感じない。隣の
こうして、さやはレラと感覚を共有し馬術と弓術の腕を上げていった。もう筋肉痛に陥ることもなくなり、さやは持ち前の動体視力の良さを生かし、動く的に当てられるようになっていった。ソハヤもさやに懐いてくれて、手足のように動いてくれる。
馬に乗り、弓を番え、標的に当てていく訓練を何度も行い、レラもさやに少しづつ心を開いてくれたのか、時に
そしてすっかりさやがレラとほぼ同じように馬と弓を扱えるようになって、最終試験が下される。
試験と言うより、半ば任務のようなものだ。その内容とは……
山形城の最上義明公に、取れたての鮭を献上することであった。
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