4.鴆毒は至高の男前

 緋鳥ひとりが出かけることになった先、宝物殿は、とある神宮の中にあった。


 国家守護を祈願する由緒正しい神宮で、帝と血がつながった皇族がつかさどっており、祈りの場となる本殿や拝殿も豪奢だが、中でも宝物殿が立派だ。


 鳳凰京でもっとも大きな宝物庫で、海を越えて異国から運ばれた宝がしまわれている。


 螺鈿らでんの花模様がほどこされた弦楽器に、水を固めて造ったように澄み切った玻璃はりの器。


 緑や赤や藍など、天上の楽土の品を彷彿とさせる色彩豊かな皿や水差しなど、舶来の宝物がずらりと並んでいるさまは、どこもかしこも豪華絢爛。


 呪禁生じゅごんしょうのころから、薬術の修練と手伝いをかねて何度か足を踏み入れてはいるものの、あまりの豪奢さに目がまわりそうだ。


 いったいどこを見てよいのやら。


 まあ、仕事にきたわけなので、珍しい宝をじっくり拝んでいる暇はなかったが。


呪禁師じゅごんじどの、薬種はこちらですよ」


 緋鳥が任じられたのは、舶来の薬種の検めだった。


 薬種の確認は、宝物殿を管理する役人の監視のもとでおこなう。


 一人での立ち入りは許されず、外には衛士えじも控えていた。


 妙な真似をすれば、すぐさま国の宝を狙う盗人と見なされる――そのはずだ。


「ああ、お名前を書いていただきますよ。ここに、名前と、所属と、日付と――」


 誰がいつ足を踏み入れたかと、記録も残すことになっている。


 筆記台に筆を置き、木簡を手渡すと、役人はそれを覗きこんだ。


典薬寮てんやくりょうの呪禁師、緋鳥さん――ですか」


 ただしくはまだ呪禁生なのだが、見極めのあいだは仮の呪禁師として扱われることになっていた。その位に就いていないとできないお役目があるせいだが、役所への届けも済ませている。


「はい、よろしくお願いします」


 挨拶を終えると、緋鳥は薬種に向き直った。


 さて、はじめますか――。


 まずは、携えてきた本を床に置いた。


 紐を解き、巻かれた紙をくるくるとひろげていく。


 本の名は『万薬帳よろずやくちょう』といって、宝物殿に収められた舶来の薬種の一覧が載っている。


 病人が出て、ここの薬を使うことが許されたなら、薬は減っていく。


 出し入れの際には記録が残るので、その記録と、減った分が合っているかを調べるのが、緋鳥にまかされた仕事だった。


 収蔵されている薬は、全部で六十種。呪禁師に与えられた日数は二日。


 つまり、今日のうちに六十種のうちの半分、三十種について、薬の在庫をたしかめ、記録と照らし合わさねばならない。


 誤りがあってはいけないし、薬の知識はもちろん、手際のよさが必要になる。


 でも、緋鳥にとっては朝飯前だ。典薬寮でも同じ作業があったからだ。


 鳳凰京のすべての人のための薬をつかさどる典薬寮には、鳳凰京に集まる薬の大半が保管されている。


 量も、宝物殿とはくらべものにならないほど多いが、その管理も典薬寮の役目だ。


 薬の検めは、呪禁生になる前、使部つかいべという下働きをしていたころからやってきたことで、緋鳥にとっては慣れたものだったのだ。


(なんだ、らくちん。呪禁師の手伝いだって、これまでも時たまやってたものね。呪禁も、技によっちゃ兄弟子よりも得意だし)


 見習いの身とはいえ、腕はそれなりにいいはずなのだ。


 昇進をかけた見極めにもきっと受かって呪禁師になれる。ただ――。


(心配なことといえば、素行の悪さか)


 今朝がたにも、白兎と兄弟子から叱られたところだ。


『短気はよくない。呪禁師でなくとも、官人として必要なことだね』


 緋鳥としても、一番苦手なところだった。


(わざとじゃないんだもんなぁ。気をつけようとしてもうっかり出ちゃうというか。目立たないようにひっそり生きていよう。せめて、この半月だけでもおとなしく――)


 昇進の見極めがおこなわれる半月は、三年かけて励んできたことをあますことなくおこなって、実力を認めてもらうための大切な期間だ。


 とにかく評価の「良」が欲しい。


 すこしくらい我慢して得られるなら、耐えるべきなのだ。


 なんとなく背筋を伸ばして、緋鳥は、薬と本とを見比べはじめた。


 宝物殿に収蔵された薬を、本に記されたとおりに秤ではかったり数えたりして、そのつど木簡に記していく。


 この半年のあいだに記録された木簡とつきあわせて、数が合っているかどうか――。


「問題なし。つぎは――」


 麝香じゃこう犀角さいかく朴消ぼうしょうと、手際よく検めを進めていき、とうとう、今日たしかめるべき薬種のとっておきの五品を残すのみになった。


 舶来の毒薬である。


 まずは、烏頭うず


 鳥兜とりかぶとともいい、その母根の部分をとくに烏頭と呼ぶ。


 鳳凰京の周辺諸国にも生えている薬草なので、典薬寮にも保管されており、毒をおさえて薬として使う。


 よくも悪くも、強い薬というのは力を秘めているものだ。


 秤に乗せるために手にとって、緋鳥はため息をついた。


(なんて、まがまがしい――)


 国産の烏頭ではなく、舶来の烏頭だからか。


 異国風の魔の気配がぷんぷんと漂っている気がして、緋鳥はうっとりと目を細めた。


 まがまがしさというのは、時に美しいのである。


 烏頭の量をはかり終わると、つぎの薬へ。


附子ぶし――こっちも鳥兜だ)


 附子は、鳥兜の子芋にあたる。


(そして、冶葛やかつ。これもまた、まがまがしい――)


 そちらもはかり終えると、緋鳥の目はぎんぎんに冴えた。


 残すところあと二品。


 ついに、宝物殿に収蔵された毒薬中の毒薬をはかる時がきたのだ。


(つぎは、鴆毒ちんどく。ああ、まがまがしい!)


 叫びだしそうになるのを、懸命にこらえた。


 鴆毒というのは、味も匂いもなく、知らずに口に入れた相手をあっというまに殺してしまう、ひと刺しで命を奪う凄腕の刺客のような毒だった。


 巷の若い娘は、見た目の麗しい美丈夫が目の前を通りかかると思わず立ちどまって見とれるかもしれないが、緋鳥にとっては、毒薬こそがその美丈夫だ。


 めったに出会えない男前のようなものだ。


 鴆毒は、いうなれば最恐の毒だった。悪の魅力がほとばしっている。


「あぁ、たまらない。かっこいい――」


「呪禁師どの、どうなさいました。なにか気にかかることでも……」


「あ、すみません。なんでも――」


 しまった。うっかり声が出ていた。


(落ちつこう――見とがめられないように)


 宝物殿にやってきた呪禁師の娘が、毒物を手にとってにまにま不気味に笑っていた、などと噂がささやかれてしまったら、とんでもないことになる。


 毒をひそかにくすねて誰かを殺そうともくろんでいるのでは――と勘違いしてくれれば、まだいい。


 鴆毒を至高の男前になぞらえて興奮していたなどとばれたら、恥ずかしくて死にそうだ。


(ばれないうちに終わらせよう。つぎは――)


 最後に残したのは、竜葛りゅうかつ


 強い毒をもった植物の根を乾燥させたもので、冶葛によく似る。


万薬帳よろずやくちょう』によると、竜葛は三十五斤が収められている。大量だ。


(こんなにたくさん量らなくちゃいけないなんて。骨が折れるなぁ)


 と、胸では思いつつ、わくわくとした。


 それだけ長い時間をかけて、珍しい毒薬に触れていられるのだから。


 竜葛もなかなか強い毒で、舶来頼りなので、この国では宝物殿にしか存在しない。


(さて――)


 秤と重りを支度して、からからに乾燥した根を手にとり、いざ――ともちあげたところで、首をかしげる。


 その竜葛という生薬からは、毒薬ならではのまがまがしい悪の魅力を感じなかった。


 どちらかといえば、たいへんいい人っぽかった。問答無用で命を奪う極悪人の雰囲気をもつどころか、すれ違う人のすべてに「おはようございます! ごきげんいかが!」と元気に声をかけて歩く、驚くべき善人のような。


 どちらかといえば、万能薬にある気配だ。


「あれ?」


 見た目は、竜葛に似ていた。でも、あきらかに効能が違う。


 くんと匂いを嗅いでみて、さらに眉根をひそめた。


(これは、柴胡さいこ?)


 大量に収蔵された竜葛は、七つの束に分けて保管されていた。


 でも、緋鳥が手に取った束は竜葛ではなく、竜葛によく似た見た目の別の生薬だった。


 舶来のものなのか見慣れた生薬よりも大ぶりだが、熱冷ましや強壮によく使われ、胸や腹の痛みにも効く良薬だ。


 つまり、緋鳥が手にとった舶来の毒薬の一束分がまるごと、どういうわけか、別の薬にすり替わっていた。

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