無能な課長のせいで残業する羽目になった俺達一行、いろいろもう遅い

砧 南雲(もぐたぬ)

第1話

 課長の午後半休を狙い済ましたかの如く、俺達の課では午後からトラブルが立て続いた。


 最初に、電話番として雇っている派遣が、体調不良を訴え早退した。連休明けにのしかかる業務量を見越し、連休前の今日の内に、やれる限りの仕事をやっつけておきたい。しかし、誰もが考えることは似たようなもの。普段以上に電話をかけてくる取引先や他拠点を、仕事をたっぷり抱えた状態で相手する羽目に陥った。社内の人間には、率直に窮状を訴えメールに投げ直してもらった。しかし取引先は、そうもいかない。口の上手い人間なら造作ない交渉だとしても、今のこの課に、営業テクニックに秀でた人間なぞ一人も存在しない。不在の課長は、上層部限定で上手にゴマをするだけの人間なので、いたところで役に立たない。そもそも奴は、電話に出たがらない。やむなく、残された我々だけで、愚直に、或いは斬新な天然対応で、若しくは大胆不敵な危険送球で、思い思いに事へ当たった。ここまでのところは、ギリギリで持ちこたえていた。


 次に、その電話禍の最中、バイト・西田のPCがフリーズした。一瞬前までは、恐れを知らぬ若さでもって、西田はこの修羅場を唯一楽しんでさえいた。それが一転して不安げな顔で、俺の席へと指示を仰ぎに来た。俺は自分のPCモニタから目を離せぬまま、受話器を握る手も休めぬ合間に、対応策を指示した。西田は俺の席と自席をしきりに往復した。電源ランプを確認、「よくわからない」。電源スイッチをオンオフ、「まだ動かない」。無線レシーバーも抜き差し、「変わらない」。課長席から、キーボード&マウス&無線レシーバー一式を持ってこさせて差し替え、「前に同じ」。ここでやむなく、電源スイッチを長押しするが、「強制終了しない」。俺の数少ない引き出しに残った、最後の切り札である、放電を試した。電源ケーブルを抜かせた途端、西田のPCモニタが暗転。ビンゴ! 念の為、五分待機させてから再起動、「無事に復帰」。しかし、ここまでに停滞した俺の業務が小一時間。停滞した西田の業務も同じく。加えて強制終了により、更に西田の小一時間程度の作業が失われていた。定時帰宅は諦めざるを得なかった。


 残業突入中、とどめに同僚・吉村がクレームを引き起こした。吉村は事務仕事を圧倒的速度でこなせる一方で、対人能力がすこぶる弱い。しかし課長が、「特別扱いはできない」と一辺倒に、吉村へも電話対応を強要していた。また今日に限っては、工数的にどうしても頼らざるを得なかった。それが裏目に出た。俺が、作業工程再構築と巻き上げに全力投入していた隙に、吉村は滑舌悪い相手の言葉を何度も聴き返し、お前は耳が悪いのかという相手の嫌味に貴方の滑舌が悪いと率直に反論し、激昂する相手に激昂し返していた。俺は、急いで横から保留ボタンを押し、怒りに震える吉村を、西田に指示して休憩スペースに連れていかせた。深呼吸の後に通話を交代、会話の速度は落とし気味、語彙は柔らかく、申し訳なさと朗らかさを八対二の割合にした口調を努める。幸い、相手は既知の取引先だった。くどくどと嫌味を聞かされはしたものの、俺が代わったことで比較的あっさり機嫌を直した。俺は積極的な営業は大の苦手だが、クレーム対応はそんなに悪くもない。無事に会話を終え、慎重に受話器を置き、改めて深呼吸をした。電話機が表示する時間は、溜め息をつきたいような時間になっていた。


 一人残された俺は、全ての電話機の不在ボタンを押して回り、部屋の外へ出た。自販機とパイプ椅子が置かれた廊下の隅で、吉村と西田が座り込んでいた。俺は彼等に向けてよろよろと手を上げてみせた。


「なあ! こんなつまらない会社なんかさ、三人で抜け出して、素敵なところへ行っちゃわない?」


 重い空気を和らげるべく、ネット仕込みのジョークを放ってみたが、二人は変な表情をして顔を見合わせる。


「私も、さっきの電話ですっかり頭やられちゃったから、今日はもう終わりにしたいけれど……今、電車停っちゃってるみたいよ? スマホに通知が来てて、とどめを刺されてたところ」

「僕は歩いて帰れるから大丈夫ですけど、なんか人身事故らしいんで、お二人は多分この後一時間ぐらいは、何処にも行けないと思いますよ……?」


 俺はその場に膝から崩折れた。


「えっマジで!? 俺達は何処にでも行けないし、何にでもなれないってワケ?」


 ぷっと噴き出す素直な西田と、「そういう話じゃないでしょ」と律儀に訂正する吉村。今度は三人で顔を見合わせる。


「つってもなあ……電車動くまでの間、また仕事を再開する元気なんか残ってないよ? 電話は不在のままにしとくとしても、事務処理のほうだって、今日目処をつけるには、三人で手分けしてもあと一時間じゃきっと終わらないし?」


 敢えて情けない口調で、二人に訴えかける。俺達は充分に頑張った。そもそも、連休前の繁忙期だというのに、圧倒的に人手が足りていなかった。人数配置を見誤ったのは、今ここにいない課長の責任だ。残った仕事は連休明けの俺達にそっくり降りかかるだろうし、嫌味を言われるのも目に見えている。しかし何らかの責任が発生するならば、それを取らされるのは、今日敢えて午後半休を取得した課長ただ一人だ。


「……考えてみれば、そうだよねえ。さっきも言ったけれど、私はもう今日頭動かないから、いつもみたくは作業こなせないだろうし。それに課長って、不在の際に私達が遅くまで残業して事後報告したら、絶対に嫌味言うじゃん?」

「そう、それ! やらなくても怒られて、やっても怒られるんだったら、やらないで怒られたほうが、まだ気が楽だよ!」

「どっちにせよ、怒られ自体は回避できないのがムカつくけれどね……」


 終業を自分では判断できない西田は、俺と吉村の顔を交互に眺めていた。どうやら帰る方向で話が進んでいるとわかり、全開の笑顔を見せた。


「だったら運転再開するまで、皆で一緒に夕飯食いましょう!」

「西田くんは歩いて帰れるんじゃなかったっけ?」

「全然帰れますけど、仕事が終わらなかった理由に僕のせいもありますし。それに、一人のこのこ帰るより、お二人と今日の反省会兼ねて夕飯食いたいです!」

「ちょっと、私を勝手に巻き込まないでよ」


 吉村のしかめ面に、西田は笑顔で切り返す。


「吉村さんだって、電車動いてから帰ったって、家に着く頃にはスーパーもメシ屋もしまっちゃってますよ?」

「それを言われるとね……。明日から旅行だから、冷蔵庫にたいした物残してないのよね……」

「何なら、吉村さんは好きな物を片っ端からガンガン注文して下さいよ! 中川さんと俺で、残りをきれいに引き受けますんで!」


 気付いたら俺も、細かい動きまで勝手に決められていた。が、俺だって今から家に帰って、夕飯の計画を組み立てる意欲はない。


「その線で構わないよ。ここや駅の近くなら、選択肢は牛丼屋とカレー屋とファミレスと飲み屋になるけれど、吉村さんは何処が良い?」

「……飲み屋。でも、電車動いたら私はすぐ帰るからね?」

「了解」

「やったあ! 俺達は何処にでも行けるし、何にだってなれますね♪」

「そのネタはもういいから」


 俺と西田は親指を上げ、吉村はしかめ面のまま軽く溜め息をついた。三人連れ立って部屋に戻り、作業途中のファイルを保存してPCの電源を落とし照明を消し、最終退室手続きをして外に出た。さらば、会社。三日後にまた。

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