外伝 ある破戒僧の愛

前編 死神

 オットー・シュナイダーに関して、悪意や敵意がないといえば嘘になる。

 ……けれど、僕は負の方面にはそこまで情緒が変動しない方だ。それが、今回は良かったらしい。「彼女」との日々を、恨みに変えずに済んだからね。




 朽ち果てるその間際まで、美しき異形は笑っていた。

 



 ──ぼくは、伝えたい

 ──共存できるはずなんだ。きみと、ぼくのように……




 愛した女性達の中で、僕と彼女は珍しく肉体的な交わりを持たなかった。

 ……いや、持てなかった。


 その前に、彼女の命は露と消えてしまったのだから。


 


 ***




 酒場での騒動の後、周囲を探索していたオットーを見つけさえしてしまえば、あとは造作もなかった。

 コンラートくんを逃がしたことで焦っていたオットーはこちらに気付かず、フラテッロ・マルティンの狙撃により足を射抜かれ、動けなくなる。狂信者は「守護精霊シュッツガイスト」の力により拘束され、身動きを封じられた。


「くそ……っ、なんで俺が『オットー・シュナイダー』だと見抜いた……!!」


 オットー・シュナイダー(の今の身体)は悔しそうに歯噛みし、僕達を睨みつける。

 別に、見抜いたわけじゃないんだけどね。情報を聞いていただけで。


「……これ、また封印するの? もう壊した方が良いんじゃない?」

「そうだね。戦闘になって破壊されたなら不可抗力だと、教会も理解してくれるだろう」


 マルティンは仕事モードに入っているらしく、至って冷静に銃を構えている。


「……ッ、正義は俺達にある! 俺が死んでも、俺の遺志を継ぐ者は幾らでもいるんだぜ……!」

「正義? 君はただの快楽殺人鬼だろう」

「へ……ッ、確かに、途中で楽しくなっちまったのは認めるぜ……! ああ、認めるよ!認めてやらァ! だがなァ! 俺はいつだってこの国を憂いてた! てめぇら聖職者どもの甘っちょろい綺麗事なんかよりも、ずっとずっと将来を見据えてたさ!!」


 何となく、合点がいった。

 オットー・シュナイダーおよびその同志たちの殺戮は「本来は」正義感からで、憎い相手の生命を蹂躙じゅうりんすることに快楽を「後から」覚えてしまったんだろう。……それで、自分の中の悪意を直視しないまま、過ちを重ね続けたってところかな。

 僕の推論とは目的と結果が入れ違っているけれど、まあ、同じことだ。彼は快楽殺人鬼として処刑されたし、事実、人殺しや拷問に快楽を覚えたことは間違いがない。


「……わたしの同僚……フランクは?」

「ありゃァ、仕方なかった……正義のための尊い犠牲だ。悪ぃが、こっちだって本気で国を、ひいては世界を憂いてんだ。変革には犠牲がいる……」

「……反吐が出る。ただの快楽殺人鬼だった方がマシ」

「ハッ、てめぇには分からねぇさ。赤毛に善良な心なんて期待するもんかよ!」

「………………。仮にも正義を名乗るなら、差別主義くらい改めたら?」


 マルティンは冷静になろうと努めているものの、不快感を隠しきれず眉をひそめる。

 けれど、オットーの語る「正義」自体は、全てを否定することはできない。

 労働者階級プロレタリアートの中には、必死に働き命をすり減らしても、日々の糧すらままならなかった者が少なくない。

 彼らはどのような犠牲を生んででも、革命を果たさなければならなかった。……その結果が新たな争乱の萌芽ほうがであったとしても、だ。

 とはいえ、オットーの場合はそれ以前の問題だ。正義感が本物でも、本人の善悪基準が根本的に歪んでいるからどうしようもない……。


「俺は何度だって蘇る……善良な一般市民が血を、涙を流し続ける限り、俺は何度朽ち果てても悪を駆逐する……ッ! いいや、俺じゃなくたって構わねぇ。志を引き継ぐ者は大勢いる! この世に残るべきは、栄えるべきは善だ!!」


 フラテッロ・マルティンは「そう」と告げ、「少年の死体を利用した身体」ではなく、地面に転がった長剣に向けて的確に弾丸を撃ち込む。

 僕はというと、巻き込まれないよう後ろに下がる。マルティンは懸命に抑えているけれど、殺気がダダ漏れだからね。変にちょっかいをかけたら今夜遊ばせてくれなさそうだ。


「……来なさいKommen Sie


 弾丸の起動を辿り、見えない「何か」が穿たれた穴に向かっていくのを感じる。

 マルティンの唇が、一言一句を刻みつけるかのように、丁寧な音を紡ぐ。前髪の下で、義眼が白く光ったのが見える。


一発eins……二発zwei……三発drei……破壊しZerstörenなさいSie es


 燃えるように赤い前髪をかき分け、義眼を明らかにする。普段は絶対見せたがらないけれど、仕事の時にためらうようなことはしない。彼……いや、彼女は情に脆いからね。ためらってしまえば、それが命取りになりかねない。

 ひきつれたような傷の真ん中に、瞳も結膜もない真っ白な眼が埋まっている。義眼は彼女の声に連動し、煌々と光を放つ。……ああ、いつ見ても美しい眼だ。


「同志オットー……!!」


 羽交い締めにされた若者が、涙を流して叫ぶ。

 剣本体にヒビが入り、オットーは苦しげに身悶える。ごとりと少年の肉体から首が落ちる。それでも、オットーは声を上げ、叫んだ。


「が……ッ、ぁあぁぁぁぁぁあッ!!!!」


 少年の姿をなるべく目に入れないよう、マルティンは剣に視線を集中させていた。

 内側からドス黒い、霧状の物体が溢れ出す。それでも、剣はなかなか砕けない。マルティンは眉をひそめ、すかさずもう片方の手の拳銃を剣本体に向け、弾丸を放つ。


「……四発vier……五発fünf……六発sechs……」

「ぐぁああぁぁあっ! お、覚えておけクソ坊主ども……ッ!! 正義は……ッ、滅びねぇ!!!!! 絶対にだッ!!!!!」

潰しなZerdrückenさいSie es


 フラテッロ・マルティンの明瞭な司令に従い、守護精霊シュッツガイストは見えない力で剣を叩き潰す。

 銃弾と内側からの破壊で脆くなっていた剣は、呆気なく砕け散った。


 黒いもやは跡形もなく霧散し、少年は「死体」へと戻る。狂信者の慟哭が、薄暗い路地裏に響く。

 マルティンは剣の残骸を見つめながら、静かに銃を下ろした。


「……何が、正義よ」


 絞り出すような声は、どこか、震えていた。


「あんたのは、迫害じゃないの」


「餌」にされた少年の身体は、体格、服装からして極貧状態だとわかる。だからといってスリや強盗は許されることじゃないけれど……剥き出しの悪意をぶつけ、いたぶり殺すことが正義かと問われれば、僕は肯定できない。

 それに、オットーが元々生活に苦しむ労働者階級プロレタリアートだったというなら、「いつそちらに落ちるか分からなかった」はずだろうに。……いや、だからこそ必要以上に痛めつけたのかな。「自分たちは違う」って、誇示するように。


 わかりやすい悪を祀り上げ、連帯し、正義の顔をして排除する。……よくある話だ。


「う、うぅう……ぅうう……」


 オットーの狂信者は地に伏せ、涙を流していた。

 マルティンが立ち去ろうとすると、男は顔を上げ、その背中に罵声を浴びせかける。


「この赤毛野郎……! 地獄に堕ちろ、穢れた民族がッ!」


 ああー、地雷を踏みに来たな、これ。

 赤毛はスペインで異端審問の対象にされたこともある。ドイツでの印象までは知らないけど、僕の故郷でも赤毛は特定の民族を示し、好まれなかった。

 ……でも彼女の血筋はハッキリしているし、関係ないと思うんだけどなぁ。関係があったとして、「だから何なんだ」って話だけど……。


「……悪を滅ぼしたいなら、まず鏡を見れば?」


 マルティンは拳を握り締め、振り返ることなくその場を立ち去った。




 ***




 宿屋に戻る前に食事をとることにする。

 コンラートくんとヴィルくんの様子を思うと、早く戻りすぎは邪魔になりそうだ。いや、本音を言うと僕は早く帰りたかった。フラテッロ・マルティンに「食事にするわよあんたも付き合いなさい」って人を殺せそうな眼で睨まれてなかったら、すぐさま飛んで行ってたはずさ。具体的に言うと、とても××したかった。


「何なのよ!! アレが正義を語るって世も末ね!?」


 出された芋をフォークでぐちゃぐちゃに潰しながら、マルティンは感情を露わにする。

 うん、よく我慢したと思う。でも何だろう、この状況でうかつなことを言うと、僕にフォークが飛んできそうだなぁ。


「まあまあ……挑発みたいなものだよ。乗らなかった君の勝ちさ」

「でも、赤毛に悪印象をつけたのはうちの宗派なのよね……ふざけんじゃないわよ、神の名のもとに人類は皆平等なんでしょ! 根幹の教義に比べたら、異教神の髪の色とか誤差でしょ、誤差!!!」

「政治と結びついたり、色々あったからね。わかりやすいスケープゴートがあれば統治しやすくなるのは事実さ。それがいくら不条理でも、ね」


 だからこそ、僕はより多くの異形を救いたい。

 一般的にどう捉えられようが、彼女達は美しく、愛おしい存在なんだ。僕の妻になった子達も、いつか妻になるかもしれない子達も、善悪を判断する暇もなく滅ぼされてしまうのはあまりに悲しい。


「それにしても、あそこまで直球に悪意をぶつけられたのは初めてよ。避けられることはそれなりにあったけど、わたしの方も人との関わりは避けてきた方だし……」

フォンの一族・ローバストラントに喧嘩を売ろうと思う奴って少ないだろうしねぇ」

「…………!」


 そこで、彼女はハッと息を飲んだ。

 金色の瞳に、まざまざと狼狽が浮かぶ。


「……どうしたんだい?」

「妹が……いたの……」


「いた」。過去形だ。


「彼女……守護精霊シュッツガイストの力に適合できなくて……副作用で、子を成すこともできなくなって……」

「助けたかった?」

「当たり前でしょ!? それこそ、わたしに出来ることなら何でもやったわよ! ……でも……お父様も、お母様も……親族も全員、あの子を見限ったわ……」


 彼女にとって、自分の家系はマイナスだ。「その家系であるがゆえに救われていた側面」なんて、簡単には認めたくないものだろう。

 大切な人が犠牲になっていたなら、尚更だ。


「……わたしが一族の庇護でマシに生きてきたって言うなら、あの子は、どんな思いで死んでいったの……?」


 元々お人好しとはいえ、彼女はコンラートくんに対して同情的な側面が強い。……重ねているんだろう。悲劇に翻弄され朽ち果てた、自分の妹と。


「君のことだ、どうにか救おうとしたんだろう? 彼女の分まで働き、面倒を見ようとしたはずさ。それなら、君が気に病むことじゃない」

「……適合できなかった者の末路は、よく知っているの。男なら有無を言わさず処刑、女なら道具扱いの婚姻……それが叶わなければ……男と同じく処刑……」


 ああ、目に浮かぶよフラテッロ。

 君は何度も妹を抱き締め、両親から庇おうとしただろう。

 そうして、妹の「死」と共に全てを諦め、自らの運命を受け入れることを選んだ。


「君にはどうしようもなかった。そうだろう?」

「ええ……どうにもできなかったわ……」


 フラテッロの面影に、ある少女の姿が被さる。蘇った郷愁きょうしゅうが、懐かしい記憶を運んでくる。

 目の前の彼女と同じ、赤毛の少女が、振り返って僕に手を振る。




 ──やぁ、テオドーロ。また来たのかい?




 魂を喰らう死神モルテ

 人々は、少女をそう呼んだ。




 ──まあ、ゆっくりして行ってよ。特に何もお構いできないけれど




 貧民窟で、少女はこう呼ばれていたこともある。

 天使アンジェラ、と。


 僕がまだ、神父と呼ばれていた頃。

 君は、死神でなく天使だった。

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