第二章 苦闘の冬

第1話 私は穢れていますか?

 拠点を変えて数週間が経ち、雪が地面を覆い始めた。

 普通ならば凍死しかねない寒さだが、この肉体は頑丈なだけでなく、気候への耐性も強くなっているようだ。

 ヴィルにも平気かと尋ねたが、慣れているとのことだった。さすがは、幼少期から過酷な環境を生き抜いてきただけのことはある。たくましい。


 ヴィルが探し出してきた新たな拠点は、破壊された屋敷の地下室だった。

 20年ほど前の戦乱のせいか、地上にある部分はほとんど失われ、野ざらしになっていた。……が、井戸と地下室は綺麗に残っており、拠点として使うには問題なかった。地下で過ごすとなれば、身を隠すにも太陽を避けるにもちょうどいい。


「祈りに行ってくる」

「へーい。気を付けてくださいね」


 何やら作業中のヴィルに見送られ、近くの修道院へと向かう。

 既に廃墟となっている施設ではあるが、通える距離にあるのはありがたいことだ。


 地下室の入口に手をかけ、扉を開こう……と、したが、開かない。

 以前より少々建付けが悪い節はあったが、取っ手を引っ張ろうが揺さぶろうがびくともしない。ほぼ間違いなく、凍り付いていると見て良いだろう。


 私達は確かに身を隠している最中だが、閉じ込められたとなるとまた別の問題が発生する。

 どうにかこじ開けられないか……と力を込めてみると、あまりにも呆気あっけなく扉が


「……しまった」


 地下室の入口に大穴が空き、冷たい風が吹き込む。

 体内の傷も既に癒え、私の「吸血鬼の力」はいよいよ本領を発揮しつつある。大した力を込めたつもりでなくて「これ」なのだ。……気を付けねば。


「どうしたんすか?」

「凍りついて開かなくなっていてだな……こじ開けようとしたのだが……」


 ヴィルが尋ねてきたので、正直に答える。

 ヴィルは納得したように頷いていたが……そういえば、彼も常軌じょうきいっした力を持つのだったか。

 ……とはいえ、それでは説明がつかないところもある。確かにヴィルの身体能力は人並み以上だろうが、私は彼が普段から怪力であると感じたことはない。

 何か、別のところに原因があるようにも思えるが……


「いっそ完全に閉ざしちゃって、冬ごもりします? この時期だと動物も捕まんねぇし」


 考え事をしていると、ヴィルの方からそう提案される。


「……確かに、見つかる可能性も減らせるか」


 大穴から冷気が吹き込み、思わず身震いしかけたが、どうにか耐えた。

 肉体が頑強になりはしたものの、体感としての寒さはむしろ増したように思わなくもない。五感が鋭くなったことに起因しているのだろうか。


「隠れ家としていい感じなんすけど、今は雪除けが目立ってんですよねぇ」

「だが、出られなくなるのは困るだろう」

「もういっそのこと、出る度にドアぶっ壊して入る時に完全に塞ぐってのはどうです?」

「な、何とも大胆な方策だな……」


 ヴィルには長年の経験があるようで、野生で食せるものの見分け方や手に入れ方など、危険な状況における自活の知識がしっかりと身に付いている。

 どれも以前の私には学ぶ機会のなかった物事で、不謹慎かもしれないが、本音を言うと大変に興味深い。

 代わりに地理などは詳しくないようだが、その点は私に知識があるので補うことができるうえ、ヴィルの方も退屈そうな顔をせず聞いてくれる。


「食糧は干し肉とか菜園で作ったのとかまだあるし……神父様はオレの血でちょっとはしのげますかね」

「おい、干からびるつもりか」


 ……とはいえ、すぐに自分の身を差し出そうとするのは困りものだ。

 怪我をさせたくはないし、彼の身に危機が及んで欲しくはない。……まあ、それを素直に伝えると、少々面倒なことになりそうなのだが……。


「つっても最近は、なんやかんや足りてるっぽいし……。冬だから?」

「……傷が癒えたから、という可能性もある」

「傷? もうだいぶ前に良くなってたんじゃ?」


 ……そう言えば、傷の深さについても伝えていないのだったな。

 もう癒えた傷だ。わざわざ何か言うこともあるまい。


「深く気にするな」


 私がそう言うと、ヴィルは怪訝けげんそうに顔をしかめたが、深入りはしてこなかった。


「このまま見つからなきゃ良いんすけどね」

「……。そうだな……」


 今後のことを思えば、どうしても気が滅入る。

 何はともあれ、今は入口の修繕をするのが先決だろう。


「……!」


 ……と、入口に向かう途中、物音を聞いた。

 雪を踏み分け、一定の感覚で響くそれは、間違いなく……


「足音がする」


 私がそう言うや否や、ヴィルの表情が険しいものへと変わる。ぎらりと眼を光らせ、彼は武器を手に取った。




 ***




「……ッ、とぉ!」

「ヴィル!!」


 我先にと階段を駆け上がったヴィルの腕に、銃弾が掠める。

 真っ白な景色の上に、ぽたぽたと赤い液体が滴り落ちた。


「私が前に立つ」

「えっ!? でも……!」

「貴様より、私の方が頑丈だ」


 前に出ようとするヴィルを無理やりに制し、刺客の前に立ちはだかる。

 私と違い、ヴィルは人間だ。些細な負傷でも致命傷になりかねない。

 ……それに、私はまだ、


「僕の名は……いや、名乗る必要もないか。悪魔祓いエクソシストと言えば、何をしに来たか理解できるはずだ」

「……何度も言いますが、私は悪魔と契約などしておりません。偶然、このような体質に至っただけなのです」


 私達は、何も最初から追っ手を殺すことにしている訳ではない。

 こちらの言い分はしっかりと伝えることにしているし、向こうが納得するならそれに越したことはないのだ。


 だが、ヴィルはかつて、その方針に難色を示した。


  ──ヤツらの持ってる武器は、頑丈な神父様でも殺せるような武器かもしれないんです。そんなので怪我をさせられたら……どれだけ痛くて苦しいか、分かったもんじゃないっすよ


 ──それに、神父様に酷いこと言った時点で、ぶっ殺す理由にはなると思います


 ……などと、言っていたか。

 後者の意見はともかくとして、前者の意見は私にも理解できるし、共感もできる。

 殺しに来たのは向こうだ。……私は彼らに屈辱を与えられ、逃げ隠れせねばならない事態に追いやられた。

 殺意がないと言えば、嘘になる。


「そうか……噂は本当だったらしいな。『けがれた血』のコンラート・ダールマン」

「…………私の血は、穢れてなどいません」


 ……だが、私は、ヴィルになるべく罪を犯させたくない。

 やむを得ない状況に至るまで、手を汚させたくはないのだ。


 もっと言えば……本来はヴィルに任せるのでなく、私自身が、この手で「殺し」の罪責を背負うべきだとも考えている。


「は……っ、今更何を言う! 人の皮を被った化け物が!」


 嘲笑が響く。

 ロザリオに手を伸ばし、怒りを噛み殺した。

 憎い。憎い。憎い。

 蓋をしたはずの憎悪が、胸の内で渦巻き始める。


「神の名の元に、お前を断罪する」

「……な……」


 その言葉に、思わず呼吸が乱れた。


 ……私が。

 私がどれほど、神を信じていたか。

 少なくとも、私を「穢れた血」と侮辱し、時に嘲笑い、時に嫌がらせをしてきた者達より、よほど信心深く生きてきたはずだ。

 隣人を愛せよと、敵を愛せよと主は言われた。

 その教えの通り、私は自らの憎しみや怒りを律し、自らの疑心暗鬼と闘い、慈悲深い心を保つように努力を重ねてきた。


 だが、言葉が出ない。

 ヴィルが、横で大きく舌打ちをしたのが聞こえる。

 待て、ダメだ。まだ殺すな。……そう、声をかけることすらできなかった。


 悪魔祓いエクソシストと名乗った男が、下卑た笑みを浮かべ、銃を構えたのが視界に映る。……嗚呼……どうやらこいつも、他の刺客と同じらしい。

 奴は、私を殺しに来た以上に、蔑みに来たのだ。

 そうして、対話を求める姿を「命乞い」だと勘違いし、わらう。

 ……命を救われるはずだったのは、奴らの方だと言うのに。


 ヴィルが、牽制けんせいのために武器を投げつけたのが見える。

 もう、止める気は起こらなかった。


「なんだ!?」


 刺客がひるんだ隙に、ヴィルが腹に拳を叩き込む。

 拳銃が雪原に落ち、滑ってくるくると回る。


 確かに、武器が発達したことで個人の殺傷能力は上がった。頑丈な吸血鬼でも、不死身でないことは祖父の死で理解している。

 太陽の光に当てられ、くらりと立ちくらみが起こる。……この状態で弾を何発も撃ち込まれれば、死の危険性も見えてくるだろう。銃弾に細工があるのならば、尚更だ。


 だが、奴の場合は油断しすぎた。

 手に入れた武器を過信しすぎたのだろう。


 ヴィルは相手が丸腰になったところを、懐に飛び込んで喉を掴んだ。

 地面に引きずり倒し、勢いに任せて首をへし折る。

 人体の急所も、力の入れ方も完璧に理解した動きは、おそらく「経験」ゆえの鋭さだ。

 そのまま手近な石を拾い上げ、ヴィルは刺客の頭を叩き潰そうとする。


「……おい」


 石が振り下ろされる前に、声をかけた。

 見る限り、相手はもう致命傷を負っているが……とどめは、私が刺すべきだろう。


「私がやる」

「えっ」


 ヴィルの殺気は途端に霧散し、張り詰めた呼吸や筋肉も穏やかに弛緩しかんしていく。

 困ったような表情を浮かべ、ヴィルは私の顔を見上げた。


「早く退け」

「……おう」


 自称悪魔祓いは口から泡を吹き、白目を向いている。

 罪は、他人に背負わせるべきではない。生きるために必要だと言うなら……そのために、奪うというのなら……


 私自らが、手を汚すべきだ。


「……ッ」


 思い切って、足を悪魔祓いの顔面に振り落とした。

 べキッと、顔面の骨が折れる音がし……胸の内に、


 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。


 憎い……ッ!!!


 何度も、何度も。怒りに任せて足を振り下ろす。

 そうだ。私はずっと……

 なぜ、奪われ続けなければならない?

 なぜ、こちらから奪ってはならない?


 なぜ、苦しんでまで、人を許さなくてはならない?


 気付けば、足裏に響く手応えはなくなっていた。


「はぁ……は、ぁ……」


 視界に、真っ赤に染まった地面が映る。

 ヒトの頭らしきものは、もう、どこにもなかった。


「は……ァ、あ……」


 膝が震え、地面に崩れ落ちる。

 荒れ狂う感情が、何一つ言葉にならない。

 これ以上理性を失わないよう、踏み固められた雪に爪を立てた。……地面を引っ掻いたところで、一度溢れ出した情動は鎮まらない。


 たくましい腕に、背後から抱き締められる。一瞬、振り払おうとしたが……力強く、それでいて優しい温もりは、凍えた魂をも包み込んだように思えた。


「……片付けておくんで」


 ヴィルの言葉に何と返したか、よく、覚えていない。


 ぽたぽたと、地面に透明な雫が落ちる。

 気付けば、私の頬には涙が伝っていた。

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