第8話 罪深い想い

 ヴィルに運ばれ、寝室へと移動する。


 この部屋の寝台は壊されていたものを改修し、寝られるようにしたものだ。当初はヴィルと共に床で寝ようとしたのだが、うなされる私を見兼ねたヴィルが、少しでも快適に寝て欲しいと用意してくれるようになった。

 拠点を移すのであれば、解体して組み立て直す必要があるだろう。

 また、大仕事になる。


「済まない……」


 静かに呟くと、ヴィルは怪訝けげんそうに返した。


「……なんで、謝るんですか」


 ヴィルは、いつも当たり前のように私の世話を焼く。

 ……私は神に仕える資格を失ったというのに、彼は変わらず「神父様」と慕ってくれる。


「便利に使ってくれていいんすよ。オレ、ほんとにバカでろくでなしだし……神父様のお役に立てるってだけで嬉しいんです」

「……愚か者が」


 ヴィル。おまえは決して、ろくでなしではない。

 環境に恵まれず罪を犯しても、それを悔いる心を持ち、改めようと努力できる稀有けうな心を持っている。

 おまえはきっと、もう……ものを盗まなくとも、人を殺めなくとも生きられる。私のような聖職者もどきではなく、例えば亡くなられたハインリッヒ司教様のような……立派な聖職者の元に行けば、償いの道も、改めて与えられるはずだ。……それなのに。


「私は……」


 ……私は、ヴィルの手を離すことができない。

 ヴィルがいなくとも、生きながらえることはできるだろう。この身体は頑丈で、致命傷ですら癒えてしまう。

 それでも、無理だ。肉体の問題ではない。


「……私は、罪深い」


 私の魂の奥底には、憎悪が巣食っている。

 傍らに彼がいなければ、この魂はいずれ、音を立てて崩れ落ちていくだろう。

 ……そして、血に狂い、激情に身を任せ、本物の「怪物」と成り果てるのだ。


「……オレに抱かれてることです? もう良いじゃないすか。今更でしょ」


 ヴィルは私を寝台のへりに座らせ、顔を覗き込んだ。

 板戸から漏れる月明かりが、亜麻色の髪を照らしている。


「違う。そうではない」


 押さえ付けていた感情が、にわかに騒ぐ。


「私は、貴様に罪を犯させているではないか」


 思わず溢れ出した言葉に、ヴィルは茶色の目を見開いた。


「……血、ほんとに足りてます? 我慢してるんじゃ?」


 その言葉には、黙り込む他なかった。

 正直なところ、足りているとは言い難い。ヴィルには伝えていないことだが、体内の傷は未だに癒えきっていない。

 人間の体液を摂取すれば、傷付いた身体が癒えていくのが嫌でもわかる。


 だからこそ、恐ろしい。


 その異質さゆえに、私は「怪物」と呼ばれるのだから。


「食い物、毎回オレがほとんど食ってるじゃないですか。血が食事になるんなら、ちゃんと飲まねぇと」

「だが……」


 ヴィルの場合は、食料以外に代用できる糧がない。私の消化器官の方も未だに癒えきっておらず、固形物を食しても無駄になりかねない。

 ならば、ヴィルにより多く食わせるべきだろう。私の傷を気にするよりも、彼の健康体を維持した方が効率的だ。


 ……それを伝えれば、余計な気を遣わせてしまうだろうが……。


「無理すんなって、ほら……」


 ヴィルは私の背後に移動し、抱き締めるようにして寝台のへりに座る。「噛み付け」とばかりに、武骨な手が目の前に差し出された。

 躊躇ためらいはしたが、手に浮いた血管がどうしようもなく食欲を誘う。傷付いた肉体が求めるまま、親指の付け根に牙を突き立てた。


「ふ……っ」


 流れ出した血の匂いが、本能を撫ぜる。

 ロザリオを握り締め、深くまで傷つけすぎないよう、多くを貪りすぎないよう、懸命に理性を手繰たぐり寄せる。


 耳元で、ヴィルが優しく囁いた。


「今度から、無理せず言ってください。も全然出せますし……。つか、どうせ出さなきゃいけないんで、血よりそっちのがお得でしょ」


 彼の味を教え込まれた身体が、熱く火照る。


「……ケダモノが……」

「そうです。オレはケダモノです。なので、また明日も楽しみましょ」


 抱き締められた温もりは、やはり、心地がいい。


「……鍋に朝のスープの残りがある。温め直して食え。あと、昼間の老婦人から卵を貰った。焼いておいたから、早めに食え」


 誘惑を振り払い、腕から抜け出した。

 罪は、罪だ。どれほど心地良くても……いや、心地良いからこそ、肯定してしまうわけにはいかない。

 ……ヴィルはまだ、正しい道へ戻れるはずなのだから。


「神父様は? 食べました?」


 その問いに対する答えは、どうにかはぐらかす。


「貴様が気にすることではない」

「ちゃんと食わなきゃダメですよ。子供もできるかもだし」

「だから私は男だ」

「神父様ならできそうじゃん」

「できるわけがなかろう」


 しかし……最近は、やたらと妙なことを言うようになったな。

 私も男である以上、子を孕むことは無い。それが分からないほど、知識がないとは思えないのだが……。


「神父様、オレ、神父様のこと大好きです。心の底から、まもりたいんです」


 ヴィルは不意に寝台から降り、座ったままの私に目線を合わせる。

 瑪瑙めのうのように輝く視線が、私を真っ直ぐに射抜いた。


「私は……。……」


 続きの言葉を、紡ぐことは出来なかった。


「……悔い改めるがいい」


 その愛には、応えられない。

 この感情も、認めるわけにはいかない。


「嫌です」


 ヴィルの腕が私を押し倒す。

 抵抗しようと思えば、できる。

 力では、私の方が、俄然がぜん上回っているのだから。


 ……だが。


 背中にシーツが触れる。

 髪をかき分け、唇に、触れるだけの接吻が落ちてくる。


 ……嗚呼。主よ、お赦しください。

 私には、もう、正しい道が分からないのです。

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