第3話︎︎ なぜ?

 ヴィルと出会い、共に過ごした日々のことはよく覚えている。

 あれは、まだ私が名実ともに「神父」だった頃。そうでなくとも、忙しくしていた恩師の代役を務めていた助祭時代のことだ。


 ……その前に、私が……コンラート・ダールマンがなぜ神に仕えたのか、今一度、しっかりと思い返しておかねばなるまい。




 私の家系は母方が没落貴族であり、父方が異教徒から改宗した異邦の一族だった。

 母方の祖父……正確には母がめいから養女になったらしく、本来私にとって大伯父おおおじに当たる彼は、幼い頃より日光があまり得意でなく、他の者たちに比べ力が強かったと聞く。

 そんな祖父が「血を啜る怪物」として処刑されたことが、私が神父を志したきっかけであり……皮肉にも、後に異端として追われる原因でもあった。


 祖父も、父も、母も、……そして、私達きょうだいも、近隣住民から迫害されて育った。

 父は生きるため貿易商として西に東に奔走ほんそうし、母は心を病んで閉じこもりがちであったがために、私と、私のきょうだい達はほとんど祖父に育てられたようなものだった。


 祖父は、少なくとも私達きょうだいにとっては優しい人だった。慈悲深く、懐も深く、幼い私達に多くのことを教えてくれた。

 銀灰色ぎんかいしょくの瞳は、興奮した時、または動物の血を飲む時は赤い色に変わった。その変化を、子供ながらに興味深く見ていたのを覚えている。

 ……おそらくは、現在の私の瞳も、似たように変化するのだろう。


 祖父はなるべくヒトの血液ではなく動物の血液を飲み、それでも足りない時は知人や愛人の同意を得て血を貰っていた。

 少し好色なところは否めなかったようだが、協力者達との関係は良好で、吸血も相手が納得していなければ行わないと語っていた。


 ……それでも、祖父は裁かれた。

 最初に裁きの場に呼ばれた理由が、父方の民族に関してのことか、母方の一族に関してのことか、詳細は分からない。

 祖父が「血を啜る怪物」として処刑されると決まった日、母は虚ろな瞳で窓から飛び降りた。


「ギロチンの音が聞こえる」


 その日も、いつもの口癖をうわ言のように繰り返していたのを覚えている。

 母の言葉の通り、祖父はギロチンにかけられた。

 首と胴体が分かたれても、吸血鬼である祖父はなかなか死に至ることができなかった……と、帰ってきた兄は語った。


「愛している。健やかに暮らせ」


 それが最期の言葉だったと……祖父は、最期まで誰も恨まなかったのだと、兄は憔悴しょうすいしきった様子で伝えてくれた。

 翌年、父が過労によって命を落とし、私達ダールマン家のきょうだいはいよいよ苦境に陥った。

 父の跡を継いだ兄が、少しでも心安らかでいられるように。そして、まだ歳若い妹や弟が実り多き未来を得られるように。

 私は、祖父の汚名を晴らそうと誓った。


 そのために、神学の道を志したのだ。


 私は、祖父の体質も神のおぼし召しであるはずだと信じた。

 神の愛は、あらゆる人に等しく降り注ぐ。不殺を貫いた祖父の生き方が、排除されるべき「異端」だとは到底思えない。

 祖父は、決して処刑されるべき怪物などではなかったのだ。……そう、私は神の御前で正々堂々と主張するつもりでいた。


 祖父の、ひいてはダールマン家の名誉を回復するため、私は努力と自己研鑽けんさんを重ねた。

 ……その過程で心無い中傷に晒されることもあったが、耐えた。

 嫌がらせを受けることも一度や二度ではなかったが、耐えた。


 その甲斐あって、師と仰ぐ司祭に出会い、助祭として多くの経験を積むことができた。その恩人が司教になった際に推薦を受け、周りから「けがれた血には不可能だ」と囁かれていたのにもかかわらず、司祭……「神父」となることもできた。


 間違いなく、輝かしい日々がそこにあった。

 ……既に失われた、尊い日々だ。




 そんな私がヴィルと初めて出会ったのは、数年前……肩書きとしては、まだ助祭の時期だった。


 帰宅する足の悪い信徒の介助を終えた際、視線を感じて振り返ると、顔に大きな傷のある青年と目が合った。

 青年の顔には無精髭ぶしょうひげが伸び、衣服や肌は垢やすすほこりだらけで、明らかに生活に困っている様子だった。

 すぐさま食料が買えるよう、コインをいくらか手に握らせ……


「貴方に神のご加護があらんことを」


 安心させるよう微笑むと、彼はぎこちなく頷き、しどろもどろに「おう」とぼやいた。

 その頃はまだ、礼を言う表現を知らなかったのだろう。

 次の日、年輩の修道女が私を手招き、「助祭さん。何だかよく分かりませんが、あなたに用だそうですよ」と、まごつく例の青年の背中を強引に押して差し出した。


「……えっと……これ、どう使うやつ?」


 先日渡したコインを手のひらに乗せたまま、彼は困った様子で聞いてきた。

 同時に、腹の虫の音が大きく鳴り響く。

 私は自分の想定の足りなさを悔い、すぐさま傍らの修道女に伝えて外出許可を取った。その足で商店に赴き、目の前でパンを買って見せると、彼は「へぇ」と興味深そうに頷いた。

 ……「親分に渡すだけじゃねぇんだ」とも、呟いていた。


 話を聞くに、彼は元々戦災孤児で、生き抜くために盗みを行って偶然人を殺めてしまったらしい。妙に力が強かったために、殺すつもりがなくとも結果的に死に至らしめてしまうことがある、と。

 何やらその怪力を買われて盗賊団に入り、各地を転々としていたが、性分に合わず離脱したとのことだった。


 口下手……というより語彙が少なかったがために把握しづらい部分も多かったが、説明の足りない箇所は推測で補った。

 特に、盗賊団に関することはあまり話したくないようで、何度も口を濁していたことを覚えている。


「殺しが褒められるの、なんか、怖くってさ」


 ……そのように言っていたことも、印象に残っている。

 告解こっかいの内容には守秘義務があり、司祭に報告したり、都市警察に通報したりする必要には迫られなかった。むしろ、教会と政府は対立していたため、通報は当時の司祭である私の師が渋い顔をしただろう。

 私の師の名はハインリッヒと言い、当時は政府を批判する活動の真っ最中だった。先の戦争……ヴィルが両親を失った戦争についても、傷痍しょうい軍人等の話に心を痛めていたと聞く。……今思うと、下手に報告していれば、「被害者の一人」として協力を頼まれた可能性も否定はできない。


「名前はなんと言うのですか?」

「ヴィル」

「ヴィル……良い名ですね」

「へへ……もっと長かった気ぃするけど、忘れちまった」


 無精髭のせいで時折老けて見えもしたが、笑顔は少年のようにあどけなく、茶色の瞳は純粋な光を宿していた。

 年齢はおそらく私とそう変わらないだろうが、本人が生年月日を覚えていないため、正確な年齢を知ることはできなかった。


「神父様は? 名前、なんて言うの」

「一応は、まだ助祭ですが……。名前は、コンラートです」

「コンラート……って、どう書く? Kカー……あと分かんねぇや」

Kカーになる場合も多いでしょうが、私の場合はCツェーですね。綴りはConrad……です」

「ツェー……って、どんな形だっけ?」

「地面に書きますね」


 ヴィルは当初、読み書きもろくにできない状態だったが、知識を吸収する速度には目を見張るものがあった。

 後に手紙を書くようになり、その出来栄えに密かに涙ぐんだこともある。もっとも、そのことは伝えていないし、今後伝える予定もない。


「うし、覚えとく。コンラート神父様な」

「ですから、私はまだ助祭で……」

「どう違うの?」

「助祭は神父の補佐役です。私が神父……司祭になるには、まだ課題がありまして」

「んん……? そのうち神父様になるってことじゃん」

「……えっ」

「なりたそうだし」

「そ、それは……まあ……」

「だったらオレは神父様って呼ぶ。ダメ?」

「……貴方がそう呼びたいのなら、無理に訂正はしませんが……」

「じゃあ神父様な」

「……。……一応、ハインリッヒ神父にも断りを入れておきますね……?」


 呼び名の件については、ハインリッヒ神父が手隙の際にそれとなく尋ねると、


「おお、ついに神父と呼ばれるまでになったか! 民に認められているなら、結構なことだ」


 ……と、自分のことのように喜んでくださったのが、感慨深かった。


 それからもヴィルは頻繁に教会に訪れ、自ら熱心に物事を学んだ。

 本音を言うと、彼を野放しにすることに危機感を覚えたことがなかったわけではない。

 だが、ヴィルと接するうち、彼も環境にさえ恵まれれば、過ちを犯すことなどなかったのだ……と、確信を深めるようになっていった。

 ……そも、罪悪感を抱いている時点で……知識を身につけ、変わろうとしている時点で、喜ばしいことと言える。


 人は、良心の呵責かしゃくなく他者を虐げることも出来る。

 ましてや、それをさも正しい行いのように吹聴ふいちょうすることもある。

 ……聖職者の中でさえ、そういった者たちは少なくない。


「神父様ぁ……『ざんげ』って、今日も聞いてくれる?」

「……、悪い癖が出てしまったのですか?」

「……ごめん。腹減ってて……」


 とはいえ、盗み癖が抜けず、たびたび店頭から物を盗んでしまうのは悩みの種でもあった。

 ただ、少なくとも私と知り合ってからは「人を殺した」という懺悔は聞いていなかったし、街角の様子を見るに、彼が犯人であろう事件が起こったこともなかった。

 ……もし「あの日」のことがなければ、聞くことになっていたのかもしれないが。


「ヴィル、ここに来ればパンぐらいは与えて差し上げます。貴方が望むなら、勉学を教えることも可能です。……もう、危ないことはやめなさい」


 ヴィルの目を真っ直ぐ見て伝えると、茶色の瞳を潤ませて大きく頷いたことを覚えている。


「神父様……。オレ、頑張るよ。勉強して、立派な物乞いになる!」

「……物乞いから先も目指しましょうか」

「物乞いすごくねぇ? 腹減ってんのに我慢できるし、人から奪わなくても頼んで何とか食ってくわけだし……。オレ、よっぽど頑張らなきゃあんなのできねぇよ」

「……それは……。……確かに、一理ありますね……」


 私は彼に知識を教える側ではあったが、私自身、彼から学ぶこともそれなりにあった。

 他にも……


「神父様ぁ。生きるために奪うのって、ほんとに悪いこと? 奪わなきゃオレが死んでたのに?」


 何気ない質問に、考えさせられることもあった。

 彼は、奪わなければ生きていけない環境にいたからこそ「盗賊になる」以外の選択肢が存在しなかったのだ。

 ……私も実家が商家である以上、盗みがどれほどの罪かは理解している。彼がかつて、人を殺めるという大罪を犯したことも、頭では理解しているつもりだ。

 だが……当時の彼は戦乱に巻き込まれ、自分のフルネームすら分からない幼さで両親を失い、後ろ盾もなく、「生きるか死ぬか」という極限状態にいたのだ。……いや、むしろ、今もその状態からは脱せていないのかもしれない。

 その罪が許されない過ちだとしても、決して本人だけに非があるとは思えない。


「罪であるのは間違いありません。けれど……そうですね、神は絶対でも、人間は過ちを犯すもの。そして、この世界において……この時代において、それは貴方の過ちでもあり、人間が作った『仕組み』の過ちでもあるのです」


 ……その罪を本人だけに背負わせるのは、あまりに酷だろう。


「ヴィル、貴方は心根の清い方です。貴方にはきっと、奪う以外の道が存在する。……私は、そう信じています」


 私がどうにか言葉を選んで諭すと、ヴィルは本当に嬉しそうな、満面の笑顔を私に向けた。


「……そっか。あんがとな、神父様!」


 彼の笑顔を見ていると、私の方からも、自然と笑みが零れたことを覚えている。




 ……そして、「あの日」の数日前。ヴィルは、いつになく深刻な面持ちで相談を持ちかけてきた。


「神父様……オレ、ちゃんと捕まってさ……きっちり、死刑になった方がいいですかね?」


 その頃の彼は、出会った頃に比べるとずいぶん丁寧に話せるようになっていた。無精髭もしっかり剃っていることが増えたし、若い修道女に「男前になったじゃないですか〜」と話しかけられ、照れ臭そうにしていたことも覚えている。


「貴方が自らの意思で出頭するのであれば、私は止めません」

「なんつーか、オレのことだからさ、取り囲まれた時にうっかり殺しちまう気もするんですよね。だから、どうしよっかなぁって……」


 軽い語調だが、彼が真剣に罪を悔いているのだけは間違いなかった。

 いいや、彼は、元より罪を悔いながら生きていたのだ。知識をつけ、より自責の念が強くなった……というところだろうか。


 その選択は決して間違っていない。むしろ、法に照らし合わせれば正しい選択だ。

 だが……彼が過ごした背景を思えば、彼が人を殺めたことと、戦場で兵士が人を殺めることが、どれだけ違うだろうか。

 ……現皇帝は植民地を増やす政策にかじを切りつつある。この国は今、異国の民をより多く殺せるように、兵士を増やしている。

 そのことを思うと、如何いかんともし難い複雑な感情が胸中を満たした。


「貴方は、しっかりと罪を悔いています。贖罪のためにどの道を選ぶかは、貴方次第でしょう」


 本音を言うと、私はヴィルとのやり取りに安らぎを感じていた。……それでも、ヴィルが「法に従って裁きを受けるべきだ」と考えるのであれば、それを止めることはできない。


「貴方は清い心を持っています。どのような道を選んだとしても……贖罪を果たすのであれば、貴方の魂は祝福されるでしょう」

「……うん、そっか」


 私の言葉を聞き、ヴィルは、ゆっくりと立ち上がる。

 その顔には、いつもの朗らかな笑みとは違う、切なそうな笑みが浮かべられていた。


「信じてくれてありがとうな、神父様。でも、オレ……アンタが思ってるよりずっと、クソ野郎っすよ」

「ヴィル……」

「もうちょい頭冷やして、じっくり考えて……また、来ます」

「……ええ、いつでも来てください。お待ちしていますよ」


 今後、ヴィルが教会に訪れた時。

 私は再び彼の悩みを、あるいは告解を聞くことになるのだろうと、考えていた。


 ……だが、そうはならなかった。


 次に、ヴィルが私の姿を目にした時。

 私は、血の海の中に倒れ、死に瀕していたのだから。


 居合わせたものは修道女も信徒も見境なく殺され、司教様は拷問のために連れ出された。

 冷たくなった屍達の傍ら、私は指先すら動かせず、悲鳴すら上げられず……口にしたくもないような辱めを受けていた。


 意識が遠のく中、群がる男達の下卑げびた会話に耳を塞ぐことも出来ず、私の命はついえつつあった。

 湧き上がるくらい感情を、邪な思いを、なけなしの理性で否定し、懸命に祈り続ける。……もう、それしか、私にできることは残されていなかった。


「が……ッ」

「おい、どうした!?」


 突如、襲撃犯達の悲鳴が聞こえたかと思えば、聞き慣れた声が私を呼んだ。


「……なぁ、しっかり……! 返事してくださいよ! 頼むよ、神父様ぁっ!!」


 返事を返そうとした喉から、血の塊が溢れた。ロザリオを握り締めていたはずの指先はとうに感覚を失い、身体のどこが痛むのか、何が痛むのか、既にわからなかった。


 そこから先のことは、よく、覚えていない。




 主よ。

 なぜ、あのような惨劇が起こったのですか。

 私は……彼らは……そこまでの罪を犯したのですか。


 ……一体、なぜ?

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