第56話 混乱というものは


 部族長のバカ息子が立ち上がって剣を抜いた。


足手纏あしでまといを消して逃げるぞ」


ヤーガスアの男性たちに声を掛ける。


俺の背中を冷たい予感が駆け抜けた。


「こいつも手土産にするつもりだったが、今は少しでも身軽なほうがいいからな」


剣を持ったバカ息子が動けないギディに近づく。


「ツンツン、居るならギディを守れ!」


急いで小声で頼む。


 俺は何とか転がって、バカ息子の足をギディから逸らす。


「うわっ、このチビ!」


蹴られたけど、何とかギディから視線を外させることが出来た。


人間の子供くらいの大きさの、淡い緑色をしたゴゴゴが一瞬姿を見せ、ギディに寄り添ったと思うとギディごと気配が消えた。


「な、なんだ、あの従者はどこに行った!」


一瞬目を離したバカ息子と他の男たちは周りを見回すが見つけられない。


良くやった。


俺は心の中で盛大にツンツンを褒める。




 女性たちは騒ぎ、テントに向かって来るたくさんの足音が聞こえる。


「クソッ」


俺はバカ息子の肩に抱え上げられた。


ヤーガスアの男性がテントを切り裂き、そこから逃亡を計る。


「いたぞ!」


「待てー!」


うん、待つわけないよね。


ヤーガスアの男性たちが追っ手と交戦状態になり、俺を抱えたままのバカ息子は壁へと向かう。


「どけえー」


俺を抱えているため、壁の階段前に居た兵士らは手が出せず、彼らに斬り付けたバカ息子は階段を駆け上がって行く。


 ヤーガスアに抜けたくても国境の門は閉ざされている。


逃げるなら壁を越えるしかない。


しかし、どうやって?。


国境は普通の魔獣避けの魔法と違い、厳重な警戒魔法があり、砦を無理に抜けようとすれば辺り一帯に警報が鳴り響く。


向こう側の国にも知らせるためにね。




 壁の上に辿り着いたバカ息子は息を切らしていた。


たとえ俺が年齢より小柄だとしても、子供一人抱えて石段を駆け上がったんだから、そりゃあ疲れるよな。


でもブガタリアの武人としてはひ弱だな、バカ息子。


「ハアハア、ここまで来れば」


壁の向こうのヤーガスア方面を見る。


 山と山の間にある国境門。


そこから見える景色は、また森だ。


その遥か向こうにひらかれた場所が見える。


あれがヤーガスアの町の一つなんだろう。




「何をしておる、馬鹿者が!」


すっごい怒声が下から聞こえてくる。


「ヒィ」


バカ息子が震え上がっているが、怒られるのが嫌ならやるなよ。


「は、早くしろ、まだか」


俺はブツブツと呟いているバカ息子を見た。


なんだろう、何か嫌な予感がする。


 その時、ヤーガスア方面の森から何かが動く気配がした。


何か、魔力が動いたな。


「警報を無効化したのか?」


俺の身体が震える。


ヤーガスア側から何らかの力が働いているのは間違いない。


 バラバラッと兵士が上がって来た。


「ふははは、もう遅い。


俺はこいつと壁を越えて自由になるんだー」


いや、お前、目的変わってるやん。


俺を操って実質王になるんじゃなかったんかい。


しかも俺は同意してないからな。


「殿下を離せ」


うがっ、こんなに殺気でビリビリするエオジさん、初めて見た。


こーれーはー、俺もただでは済まないなあ、はあ。




 でも俺にはもう見えてる。


遥か遠くからでも、ほら、もうすぐ手が届く。


「ああ、離してやるさ。 ほらな」


バカ息子は警報が切れた壁から、ヤーガスアの森に向かって俺をぶん投げた。


落下する身体。


良くて木の枝に引っ掛かるか、悪ければ地面に激突だ。


「うわあああ」


叫んだのは俺じゃない。


だって叫ぶ理由がないから。


ピィィーーー


【パパー】


俺は大鷲の風魔法に包まれて羽毛の中に着地する。


「ありがとう、テルー」


ヨシヨシと首の辺りに顔を埋める。


撫でてやりたいけど、まだ腕が自由になってないんだ、ごめん。


ヤーガスアの森にうごめく何かが、大鷲の魔獣を恐れて離れて行った。




 俺はテルーに頼んで壁の上に下ろしてもらう。


エオジさんが駆け寄って来て、紐を切ってくれた。


黙っているけど顔は怖いままだ。


 バカ息子は床面に倒れている。


良かった、まだ生きてるっぽいな。


俺とエオジさんの前にホーディガさんくらいの年齢の男性が進み出て、膝をついて礼を取った。


黒髪黒目の典型的なブガタリアの筋肉ジジイだ。


「コリルバート殿下とお見受けする。


私は東の部族長ガガーシ。


この度は息子が大変なことをしでかしてしまい、申し訳ない」


そう言って部族長は立ち上がると剣を抜いた。


死をもって詫びさせる気だな。


 自由になった俺は一歩前に出た。


「殺しちゃダメだよ」


精一杯偉そうに言ってみたけど、笑われてない?、大丈夫そう?。


チラリとエオジさんを見たけど、まだ怖い顔のままで、それはそれで嫌な感じなんだけど。




「殿下は我が息子を許されるというのか。


甘いですな。


こちらには部族のおきてというものがある」


口を出すなってか。


いや、そんなんどうでもいいわ。


「証拠を消そうたって、そうはいかないって言ってるの」


俺もエオジさんを見習って怖い顔をしてみた。


「な、なにを」


狼狽うろたえやがって。


分かり易いんだよ、脳筋は。




 さて、どうしようかな。


「エオジさん、頼んでも良い?」


「何なりと、殿下」


ふわっ。 エオジさんに殿下なんて呼ばれたの初めてじゃないかなー。


 俺はとりあえず筋肉ジジイとバカ息子、あと一人くらいを残して東の部族の者、全員を町に帰すように言った。


「ヤーガスアの諜報部隊もちゃんと引き取ってよね」


部族長の顔色が益々悪くなる。


ヤーガスアから来てる出稼ぎが皆、スパイだとは思ってないけど混ざってるのは確かだよね。


後は、エオジ兄の部屋を借りてホーディガさんに今回の取り引きの交渉をしてもらえばいいだけ。


「東の町には行かなくていいのか?」


階段を下りながらエオジさんが訊いてくる。


 ようやく下り切って地面に足を降ろした俺は、首を傾げた。


「俺、行商、続けていいの?」


たぶん、おそらく、絶対、帰還命令出るよね。


エオジさんと同じくらい父王もゲキオコだと思う。


「あー、んー」


エオジさんが困った顔になった。


「そうだよなあ」


何故かハッキリしないまま会話が終わる。




 遮音設備のあるエオジ兄の責任者用執務室で交渉が始まった。


ホーディガさんがやるので、俺は別の椅子に座って見てるだけ。


ピリピリした雰囲気はあるけど、商売の話なので祖父じい様に鍛えられている幹部のホーディガさんなら心配いらない。


基本的に俺は口を出さないけど、相手の部族長がチラチラとこちらを見てはため息を吐いている。


「分かりました。 今回はこちらで」


「ありがとうございます、助かります」


ホーディガさんが悪い笑顔してるなあ。


シーラコークでの祖父じい様みたいだ。


あー、あの時も相手の弱みに付け込んで優位に取り引きしたんだったっけ。


なるほど、同じだね。




 筋肉ジジイの東の部族長のほうは、部族の幹部である中年男性が補佐していた。


二人とも渋い顔だけどね。


実務室の応接セットを借りて交渉してるわけだけど、エオジ兄とそのお嫁さんも同じ室内にいた。


俺はその二人とお茶を飲んでいたりする。


「それで、この男の処分はいかがされるのですか?」


俺たちの足元には縛られたバカ息子。


部族長がビクッと肩を揺らす。


「問題は二つ」


ブガタリアとヤーガスアの国の問題は一応置いとくとして。


「東の部族の弱体化と、嫁問題かな」


「はあ?、何だそれは」


エオジさんは東の部族の二人の後ろに立っている。


ギディは俺の後ろだ。


「ブガタリアって嫁不足でしょ?。


だから二十歳で修行とか言って他の部族を回ってるけど、お嫁さんを連れ帰るのが本当の目的」


女性たちに、ではなく、その親や部族長に気に入られれば縁談をもらえる。


「それはそうですが。


じゃあ、弱体化ってのは何ですか?」


エオジ兄が不思議そうな顔で俺を見た。


「それはヤーガスアと同じですよ」


俺の言葉に、東の部族長が肩を落とした。


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