第3話 家庭科室へ、いざ行かん。
僕は抵抗することを諦めて、大人しく田中花子という子についていくことにした。
田中はスタスタと、こちらを気にする素振りも見せずに歩いていく。僕は彼女よりも身長があるはずなのに、小走り混じりで歩かなければならなかった。
階段を上って上って渡り廊下を渡り廊下を歩いてさらに階段を上ったところに家庭科室はあった。僕らの教室は新館の一階にあるから、三階まで上がってから渡り廊下を使って旧館に行き、さらに階段を上って四階までたどり着いたというわけだ。ああ、頭も足も疲れた・・・・・・。
田中は戸を若干浮かすようにして開ける。この前の授業でわかったのだが、ここの戸は普通にスライドして開けようとすると、凄まじい音を立てるのだ。
中は大きな机が並んでいて、壁際にアイロンやミシンが並んでいる。窓からは陽が差し込んでいて、照らされた埃はキラキラと舞っている。
「こっち。」
田中は教室に入っていったかと思うと、奥にある、いかにも古そうな木の扉を開けた。
「そこ、入っていいのか?」
「大丈夫。」
全く悪びれる様子もなく進んでいく田中。僕はその後を、何か悪いことをしたような罪悪感を感じながらこそこそとついていく。
その扉に向こうには沢山の布や雑誌、教科書、書類がごちゃごちゃと散らばっていた。ここは・・・・・・物置だろうか?
「ああ、あった。これを見せたかったの。」
その中から、大きな段ボールを見つけると、そのふたを開ける。フアっと埃が舞う。
田中が取り出したのは一枚の布。厚みがあるようで、重そうに両腕で抱えている。
じゃ、こっち来て、と再び家庭科室に戻り、田中は丁寧に持っていた布を机の上で広げ始めた。僕もなんとなく、それを手伝う。
「なあ、これって・・・・・・」
広げ終えて僕は目を見張った。僕らが開いていたのは、タペストリーだった。日本の和をテーマにしているようで、さまざまな和柄や自然、そしてかるた──百人一首が一枚に大きな布に散りばめられている。言葉に言い表せないほど美しく、繊細で、僕を一瞬で虜にしたそれはまさに。
「芸術だ。」
わずかに絞り出した声は酷く掠れていて、自分でも聞き取れるか否かという程度のものだった。それでも田中は僕の声をすぐに理解したように大きく頷いた。
「この作品はだいぶ昔──もう何十年も前の先輩たちが製作したもの。作品コンクールに出品して入選した作品でもあって、代々家庭科部に伝わる武勇伝みたいなものなの。
私もこのタペストリー・・・正確にはキルトって言うんだけど、一目見て心奪われちゃった。もちろん技術面だったり、デザイン面だったりっていうのもあるんだけど、私が一番心惹かれたのはあの部分かな。」
そう言って田中はキルトのある部分を指でなぞる。
せをはやみ いはにせかるる たきがはに われてもすゑに あわむとぞおもふ
「あれね、崇徳院っていう人が詠んだ歌で、
『川の流れが速いので、岩にせき止められた急流が別れてもまた一つになるように、今は別れてしまってもまた一緒になろうと思うのです』っていう句なの。
それに転じて、別々の道を歩んでも私たちの想いはずっとひとつだよっていうメッセージが込められているんだって。」
「ずっと、ひとつか・・・・・・。」
僕は無意識のうちにつぶやいていた。
小説やドラマの中で、ずっと一緒だよだなんてセリフがあるけれど、それはどこか嘘くさいような気がしていた。でも、これは違う。そんな生半可なものではないような気がした。言葉が持つ、本来の重みをずっしりと感じたような気がした。
「どう、家庭科部に入部しようって気にはなった?」
「・・・・・・」
正直、悩んでいる。もちろん、最初よりかは興味を持ち始めているのだが、やはり男子。家庭科部の敷居を跨ぐのはなかなか勇気がいる。
床に向けていた視線をもう一度、キルトに、そして田中に移す。
僕はひとつ、ため息をついた。
「負けた。家庭科部に入るよ。」
少々悔しいが、これからどこの部活に見学に行っても、田中花子はきっと追いかけてくるだろうし、まず、これを最初に見せられちゃあどこに行ったって上の空になることは目に見えている。
僕の言葉に田中は一瞬泣きそうな顔になり、そして、少し不恰好に笑った。
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