第36話 体という器
その日もメリルとマリアとジョージが来ていた。黒猫は、まるで縁側で寝そべるように、窓際で伸びをしながら大あくびをしている。私は、すっかりこの光景が板についてしまった生活をあらためて思い、不思議な気持ちになった。数か月前まで全く縁もゆかりもなかったメリルやマリアやジョージたち。それが今ではこんなに親しく、いや、親しいという表現だけでは何かが足りないと思うが、それ程に近しい関係になるとは誰が想像しただろう。そう、まるで親族か家族のように。本当に人生は何がどこでどうなるかわからない。本当に妙としか言いようがない。そんなことを考えながら、私はみんなのために、これもほぼ日課のようになっているが、とびきりの珈琲を淹れた。
「キッシュさん、間借りのジミーはお変わりないですか?」
と、珈琲を一口流し込んで、メリルが黒猫に訊いた。
「ええ、相変わらずお行儀がいいわよ。強いて言えば、外の景色なんかを見ている時が多くなったわ」
と、黒猫が答えた。
「やっぱり、生きているこの世界が懐かしいんじゃない」
と、マリアが言った。
すると、メリルの横でいつもは静かなジョージが
「実は、ずっと不思議に思っていたことがあって…」
と、呟くように言った。
どうしたの?と、一斉にみんなの視線がジョージにむいた。
「ハリスとロイとジミーは同じ親族で、血も繋がっているわけだから、一緒に出てきても不思議じゃないとは思うけれど、何故、私の兄まで一緒に出てきたのだろうって。まったく知らない者同士のはずなのに。そもそも、メリルと私が結婚したことを兄もハリスも知らないはずなんですが。既に、死んじゃってたわけですから…」
と、ジョージが言った。
「確かに言われてみればそうね、不思議な話ね」
と、私が相槌を打った。
「幽霊になると、壁抜けが出来るし、瞬間移動だって出来るわけだから、死んでもこの世のことは何でも見えるんじゃない?」
と、マリアがいとも簡単に言った。
「そうねえ、マリアの言う壁抜けと瞬間移動を幽霊の能力とみるかどうかはわからないけれど、現に長男たちは今の現実を知っているわね。とうの昔に死んでしまっているのに」
と、私が言った。
「だから、ママがジョージパパと結婚した時、トムはあっちの世界でハリスやジミーに、今日から親族になりました、宜しくお願いしますって挨拶していたのよ。それで、ハリスは、姉のメリルが再婚をするとは思ってもみませんでしたが、優しそうな弟さんで良かったです、なんてトムに言っていたんじゃない」
と、マリアが言った。
「もしそうだとしたら滑稽ですね」
と、言ってメリルが笑った。
「そう言えば、以前、ピエールさんに聞いたことがあるわ。この人生で出会う人はもともと深い縁があって出会うんだって。だからきっと、リンダさんと私も、もともとこうして出会う縁になっていたんでしょう、ってピエールさんが言っていたわ」
と、私が言った。
「もともと出会う縁、…ですか。じゃ、ハリスやロイもトムと親族になるって知っていたのでしょうか?」
と、メリルが言った。
「そうそう、私も長男たちのことで質問したいことがあったの。ジョージパパの疑問で思い出したわ」
と、マリアが言った。
「マリアの質問って何なの?」
と、私が訊いた。
「ハリスも間借りのジミーも、死んでまで家族の心配をしているじゃない。このドロドロしたうちの親族、家族のなかで長男たちだけは生きていた時から家族思いだったわけ?」
と、マリアが訊いた。
「それは違うわね。そう言うと、語弊があるかも知れないけれど、ハリスやジミーが家族思いじゃなかったって意味じゃなくてね。現に、ハリスはママと絶縁状態にあったわけだし、結婚を機に他の兄弟とも間違いなく疎遠になっていたはずよ。間借りのジミーについては生前を知らないけれど、ロイの奥さんに聞いた話では、家族間で悩んでいたことは間違いないと思うわ。家出を繰り返していたことを考えれば、理由はどうであれ、家族に心配をかけていたことに違いはないと思うわ。ロイにおいては円満だったかも知れないけれど、でも、親族の業については考えたことなんてないと思うわ」
と、メリルが言った。
「じゃ、ハリスやジミーは死んでから家族が大事ってわかったってこと?」
と、マリアが言った。
「そうね、多分そうだと思うわ。家族が大事ってこといぜんに、業ゆえに自分は若くでこの世を去らなければならなかったってことを知ったんじゃないかしら」
と、メリルが言った。
「それともうひとつ疑問があるの。ママの親族は実際に仲が悪いから、その業ゆえにハリスやロイやジミーが死んだってことが、今ならわかるの。じゃ、トムはどうなの?確かに、ジョージパパとトムが両親の離婚のために養護施設で育ったってことは知っているわ。辛い思いをして育ったってことはね。だけど、それだけでジョージパパの一族が仲が悪いとは限らないでしょ?トムは単にこの世を憂いでの自殺であって、家族の業とは関係ないのかしら?って…」
と、マリアが言った。
と、その時、耳をつんざくようなキーンという音がして、目の前を赤い閃光が走った。一瞬、時が止まったかのようにみんな息をのんだ。そして、互いの顔を見合わせた。
「今、赤い光が走らなかった?」
と、私が言った。
はい、とメリルもマリアもジョージも驚いた顔で頷いた。
「俺も同じ業だって、トムが言ったのよ」
と、黒猫が言った。
「同じ業……じゃ、ジョージの一族も仲が悪いってことなんでしょうか?」
と、メリルが言った。
「そういうことになるのかな。施設で育って、親族とは関りがあまりなかったからよくわからないけれど」
と、ジョージが言った。
「さっきからの話が全部繋がった気がします。同じ業をもっている者同士が結婚したんじゃないでしょうか、同じ学びをするために。だから、それは最初から決められていた。それを死んでから、長男たちは当たり前に知っているんじゃないでしょうか。そうとしか考えられなくて」
と、メリルが言った。
「人の魂は、体という肉体の器を持った途端に何も見えなくなるって聞いたことがあるわ。両目で見えるものしか見えなくなるって」
と、私が言った。
「そうですね、生きている時には見えなかったものが、長男たちは死んで、体という器を脱いだから見えたんだと思います」
と、メリルが言った。
「私たち生きてる人間は、何にも見えないんだから、まさに生きていくことじたいが修行だってことよ」
と、黒猫が言った。
「じゃ、間借りのジミーはもう修行は終わってるのね。羨ましい」
と、マリアが言った。
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