第13話 アドリアンの拒絶

 フローレンスを庇って葡萄ジュースを頭から浴びたアドリアンの前髪からぽたぽたと葡萄ジュースの雫が滴り落ちる。


 アドリアンは煩わしそうに右手で前髪をかき上げ、分厚い眼鏡を外す。



 すると今まで隠れていたアドリアンの素顔が大勢に晒された。


 ユージェニー王女殿下が大声で騒いでいたので、ユージェニー王女殿下とクレメントとアドリアンとフローレンスはいつの間にか周囲の注目を集めていたのだ。



 中性的な美人顔で、蜂蜜のようにとろりとした金色とエメラルドのような鮮やかな緑のオッドアイ。


 あまりにも綺麗な顔立ちで皆、声を失う。



 ユージェニー王女殿下は間近でアドリアンの素顔を見て、顔を真っ赤にする。


 その様子にクレメントだけは心底面白くなさそうな表情を浮かべる。


 彼は自分よりも格上の身分で王女殿下の婚約者でもあったが、冴えない容姿のアドリアンを差し置いて、美少年顔である以外は特にこれと言ったものを持たない自分が王女殿下の婚約者として正式に認められて有頂天だった。


 ここに来て実はアドリアンは美青年だという事実が発覚すれば、王女殿下は簡単に乗り換えるだろう。


 それが手に取るようにわかるからこそ面白くないのだ。



 皆が驚愕して動けない中、フローレンスだけはいつも通りだった。


「アドリアン様、ハンカチをお貸ししますわ。どうぞこれで顔と眼鏡と濡れたジャケットを拭いて下さい」


「ありがとうございます。後日洗濯してお返ししますので、お借りします。それよりも約束を守れなくてすみません」


「いいえ。元はと言えば私のせいでもあります。この状況でそんなことは言えないですわ」



 二人はそんなやり取りをしていたが、お構いなしに顔を真っ赤にしたユージェニー王女殿下が興奮気味にアドリアンに詰め寄る。


「アドリアン、あなたそんな素敵なお顔立ちだったのね! クレメントとは婚約破棄するからもう一度わたくしと婚約しましょう! あなたはフローレンス様よりもわたくしにこそ相応しいわ!」


「ユージェニー!? 僕と婚約破棄するの!? あんなに愛し合った仲なのに!?」


 クレメントが必死に縋りつくが、取り付く島もなかった。


 実はユージェニー王女殿下とクレメントは肉体関係を持っていた。


 クレメントが言っているのはそのような意味合いだ。



「あんたなんてもうお呼びじゃないわよ! アドリアンの気に入らない所なんて容姿だけだったんだから、その容姿が良いと分かった今、わたくしの相手として相応しいのはあんたじゃなくてアドリアンよ! 元々はわたくしの婚約者だったんだからアドリアンもフローレンス様と婚約破棄してわたくしと再び婚約して下さいますわよね!?」


「お断りします。フローレンス嬢と婚約破棄して再度あなたと婚約を結ぶなんて死んでもお断りです」


「な、何でよ!? わたくしと妻に迎えればあなたに箔がつくわ! こんなに可愛い私を妻に出来るんだから嬉しいでしょう?」


「箔なんてどうでもいいです。それにあなたを可愛いなんて思ったこともないです。外見は良くても中身は醜悪。あなたが覚えているかどうかわかりませんが、初めてあなたと顔を合わせた時、あなたは私に何と言ったと思います?」


「”素敵な子ね! 特にその瞳が綺麗!”って言ったと思うわ。もう覚えていないけれど……。だからあなたとの婚約が成立したのよ」


 ユージェニー王女殿下がそう告げた途端、アドリアンはお腹を抱えて笑い出す。


「何で笑っているのよ? おかしなところなんて何もなかったじゃない」


 ユージェニー王女殿下は訝しげな顔をするがアドリアンは笑い続けている。


「ふふっ。あまりにも可笑しくて。覚えていないって本当に幸せですね。あなたはこう言ったのですよ、”なに、そのおめめ。みぎとひだりで色がちがう! きもちわるいわ……!”、と。あなたは忘れていらっしゃったけれど、私はずっとその言葉を忘れておりません。あなたにそう言われて傷ついた後、初恋の少女に出会ってその子とこうして婚約を結べたのですから、人生何が起こるかわかりませんね」


「えっ!? そんなはずはないわ! それに初恋の少女ってどういうことよ!?」


 ユージェニー王女殿下がキャンキャンと子犬のように捲し立てるが、アドリアンはその疑問に答えることはなかった。


「人を容姿で拒絶して人前で婚約破棄を突き付けておいて、その容姿が良かったら今度は手の平返しで再度婚約を結びたいなんて。私は今までのことを全て水に流してあなたと仲良くしたいかと言われたら無理です。あなたの都合に振り回されるなんて真っ平ごめんですよ。あなたには私ではなくてその男爵令息がお似合いです。顔は良くても中身は真っ黒な彼がね。もう二度と私の前に姿を現さないで下さい。不愉快です」


「そ、そんな……」



 ユージェニー王女殿下はアドリアンのはっきりした拒絶にがっくりと膝をつく。

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