第6話


「私はワラちゃんに救われた」

 ある日、夕食を終え、テレビを見ている時、昌代が言った。

「どうして」

 と知道が尋ねると、

「私にとっては子育てと同じだからね。世話は大変だけど、お陰で嫌なことを考えなくてすむのよ」

 と答えた。

「そうか」

「ワラシのためにしなければならないことが毎日いろいろあって、考えなければならないこともある。それが張りになってる」

「そうか。それはよかったな」

「ワラシが来る前の私は落ち込んでいたからね」

「そうだったな。何か悩んでいたな。自分はだめな人間だとか、どうせ人からはよく言われないとか、否定的なことばかり言っていた」

 犬を飼いたいと突然言い出した頃の昌代の暗さを知道は思い出した。

 昌代は悩みの内容を知道には明かさなかったが、母親の妹や弟である叔母や叔父から悪く言われることを気に病んでいたのだった。

 昌代には梅子という姉がいた。梅子は医者の息子と結婚し、夫が親の医院を継いでからは院長夫人として裕福に暮らしていた。昌代は独身時代は姉夫婦と一緒に旅行をしたり、医院の事務を手伝ったりして、姉妹の仲は悪くなかった。その仲に翳りがさし始めるのは昌代が知道と結婚してからだが、結婚した当初は二組の夫婦の仲は悪くはなかった。知道は梅子の夫である三木とは気が合い、何度か三木の家に泊ったこともあった。そのうちに梅子の昌代に対する態度がしだいに険のあるものに変わっていった。梅子は弁が立ち、院長夫人としての勢威もあった。遠方に嫁いだ昌代と違って梅子の嫁いだ医院は地元にあって、先代の院長の時から通っている患者も少なくなかった。地元にいる梅子は叔母や叔父との接触も多かった。そんな梅子が昌代のことを悪く言えば、叔母や叔父も昌代のことをやはり良くは言わないようだった。昌代にとってそれは心外であり、口惜しいことなのだった。

「私が救われたのはワラちゃんで二回目だわ」

 昌代が微笑みを浮かべて言った。

「一回目は何?」

 と知道は尋ねた。

「あなたに仏教を教えてもらったこと」

「ああ、あれか。そうだったな」

 知道の脳裡に仏教に凝っていた十年程前の自分が突如甦った。

「あなたからお釈迦様の話を聞いて、気持が本当に楽になったものね。あのことではあなたに感謝しているし、尊敬もしているのよ」

 それは二、三年前初めて昌代から聞かされ、知道に驚きと喜びをもたらした言葉だった。その後も何度か言われた言葉だったが、また改めて言われるとむず痒いような面映さがあった。

 知道が仏教に本格的に傾倒したのは教職に就いてからだった。製材所で生きていくことに見切りをつけた知道は私立高校に就職した。誰の仲介も頼まず、直接学園の理事長に採用申請の電話をして採用されたのだった。世間的に評価の高い国立大学を卒業していた知道の経歴がものを言ったのかも知れない。最初の一年は講師の身分だったが、二年目からは専任の教諭となった。

 知道にとっての教員生活は不安の連続だった。

 専任になった知道は一年生のクラス担任となった。男女合わせて四十六名のクラスだった。初めてクラスを受け持つことに知道は緊張し、また、気負ってもいた。気負いとは、生徒の上に君臨する王として、生徒達を自分の意に服従させようという意識だった。しかし、その意思は一学期のうちに早くも挫かれた。受け持ちクラスの生徒の喫煙、万引きなどの問題行動が次々に起こった。鞄の中から煙草やライターなどが発見された。喫煙行為そのものを見つけられた生徒もいた。コンビニやスーパーから万引きの通報が学校に入った。現場で押さえられた生徒も居れば、防犯カメラの映像によって確認された者もいた。してはいけない、と知道が注意したそのことを生徒達は平然と行うのだった。知道にはそう思えた。彼は無力感に捉えられた。止めの一撃は一学期の期末考査における集団カンニングの発覚だった。七名の生徒の間にカンニングペーパーが回っていた。しかもその試験の監督をしていたのは担任の知道で、彼は全く気がつかなかったのだ。答案を比べてみて、記述問題での同一表現や選択問題での同一の間違いによって発覚した。知道は大きなショックを受けた。カンニングをした生徒達が集められた生徒指導室に入った時、知道の目から不覚にも涙がこぼれた。自分の迂闊さと、それに乗じた生徒の裏切りが彼を打ちのめしていた。その場にいた生徒指導部の教師の、〈あんたは何の監督をしていたんだ〉と言っているような冷ややかな眼差しが知道を刺し貫いた。

 その年の夏休みを知道は半ばノイローゼの状態で過ごした。一学期終了時までにクラスから三人の退学者が出ていた。退学者は知道のクラスに限ったことではなかった。他のクラスでも問題行動が起き、退学者が出ていた。知道が就職した私立高校はいわゆる底辺校に属し、学習活動に困難を抱える生徒が多かった。そのことがいろいろな問題行動の基盤にあった。

 結局、知道のクラスでは学年末までに八名が退学していった。他のクラスと比べてもその数は多かった。一学期の集団カンニングの影響がそこにはあった。カンニングをした生徒はカンニング発覚時までの受験教科が全て0点になった。その失点を回復して、年間の平均点を進級の基準点以上にもっていくには大きな努力が必要だった。カンニングをした生徒の過半数が基準点に達しない教科を抱え、原級留置となった。もう一回同じ学年を繰り返す根気は彼らにはなかった。原級留置は即ち退学を意味した。

 春休みに入る前に知道は校長に辞表を提出した。教師を続けていく自信がなかった。ところが、校長は辞表を受け取らず慰留した。教頭が校長の命を受けたらしく知道のアパートに訪ねてきて、知道の翻意を促した。知道は迷った。彼としも、教師をやめてどうするのか、明確な展望は何もなかった。ただ、このまま教師を続けても、もっとひどく自分を苦しめる状況に陥るだけのような気がしたので辞表を出したのだ。しかし、校長、教頭から慰留されて、知道は、石の上にも三年、という言葉を思い起こした。今は独り身ではなく、妻という扶養家族もいるのだった。もう少し頑張ってみるか、と彼は思った。結局、彼は辞表を撤回したが、教師を続けることは、とんでもない苦しみの中に自分を追い込んでいくことになるのでは、という不安は拭えなかった。

 こうして不安や悩みに覆われて始まった知道の教員生活の、精神的支えとなったのが仏教だった。知道の心を捉えたのは『スッタニパータ』という経典に遺された仏陀の言葉だった。文庫本になったその経典は平易な現代語に訳されていた。合理精神とヒューマニズムが貫流する深い知恵の言葉は知道の胸に染み通った。仏教聖典の中で最も古いとされるその経典は、実在した歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの言葉に最も近い言葉が集成されたものだという。知道は心が不安や恐れ、激しい嫌悪や憎悪に覆われそうになると、その文庫本を開き、目に入った詩句を読んだ。すると心は安らぎ、活気と明るさが甦ってくるのだった。彼はそれを出退勤の電車の中で繰り返し読んだ。千を超える数の詩句のどれもが馴染み深いものとなった。表紙が傷んでくると、昌代が藍染に刺し子の模様を施した布のカバーを作ってくれた。彼女はその頃藍染と刺し子を習っていた。知道は『スッタニパータ』の次に『ダンマパダ』を読み始めた。これも原始仏典で、文庫本になっていた。この経典に収められている詩句も知道には感銘深く、彼は『スッタニパータ』同様繰り返し読んだ。この本にも昌代は布のカバーを着けてくれた。知道は原始仏教に心を引かれ、『阿含経』を現代語訳した全五巻の『阿含経典』なども購入し、繰り返し熟読した。仏教語辞典なども買い、仏陀の教えだけでなく、実在したゴータマ・ブッダの事跡に関する知識も増えていった。知道は四、五年の間、原始仏教に没入した。それが教員生活を維持するうえで必須だった。

 彼は自分が得た知識を時折昌代に語った。感動した事柄を語る彼の口調には熱と力があった。昌代は興味深げに聞いていた。知道が四、五回そんな話をした頃から、ふとした折に昌代の方から仏陀の事を話題にするようになった。昌代が関心を抱いているようなので、知道は彼女に『スッタニパータ』を渡して読ませようとしたが、昌代は「あなたの話の方が面白いから話して聞かせて」と言って、本の方はあまり読もうとしなかった。知道はそんな昌代の言葉も嬉しく、一層熱をこめて仏陀とその教説を語った。知道が仏陀の事を昌代に語り始めて二年近くが経った頃、昌代は、「私はあなたが話してくれたお釈迦様の話に救われた」と知道に言ったのだ。「執着するな、という言葉が私にはとても大切な言葉だったのよね。今まではいろいろなことがいつまでも心に残って苦しかったけど、あなたの話を聞いてから、それが執着だとわかって、捨てられるようになった。それでとても楽になった」と昌代は言った。知道には自分の話が昌代にそれほど深く受けとめられていることが意外であり、喜びであった。また、昌代が話の肝心なところをしっかり摑み、実生活に生かしていることに感心した。

 昌代が知道を面と向かって褒めたのはこの仏教の一事だけだった。彼女が日頃知道に投げかける言葉は、自分のことしか考えていない、自分に変な自信を持っていて自惚れが強い、男女平等は口先だけで、外面そとづらは優しそうだが少しも優しくない、といった批判的なものが殆どだった。それだけに「尊敬している」とまで昌代に言われたことは、知道にはようやく自分の価値が認められたように嬉しく、ひとりでに微笑が浮かんでくる出来事だった。

 昌代は知道の仏陀の話に救われたということをこの後も何度か口にした。その口調には信仰箇条を誦するような真摯さがあった。知道は、仏陀の教えを本当に身につけたのは昌代なのかも知れないと思うこともあった。知道自身はその後ある事情から仏教を離れた。それで、昌代のこの言葉に接すると、自らの離教を責められるような痛みを感じた。


 

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