第36話 王妃との面会 シリウス視点
俺はブルスタット公国の王子シリウスだ。
父上がカナリアへの態度を軟化してくれたおかげで、ようやく彼女に母上を紹介できる。
だが昨日、カナリアの元婚約者であった帝国の皇子アルフレッドと話をしたことが頭に残っている。
ボードゲームをしながら、アルフレッドとお酒を飲んだ時だった。
「カナリアはこの国で上手くやっているか?」
アルフレッドは喋りながら駒を打つ。
何気ない会話だ。
そう、何気ない──。
「ああ、彼女は聡明だからね」
俺も駒を打つ。
だが間髪を入れずに次の手を打たれた。
嫌な手をノータイムで打ってくる頭の回転の早さに昔を思い出した。
「そうだろ。そして思い立ったら既に動いている。僕も彼女のそういうところが本当に好ましい」
駒を置いた手からはアルフレッドの圧力を感じた。
負けてはいられないと、俺もすぐに切り返す。
だがまたすぐに別の手で跳ね返される。
「シリウス、君に彼女を預けたのは君なら信頼出来ると思ったからだ」
「それは光栄ですね」
俺とアルフレッドは留学した時に仲良くなった。
そしてカナリアが自分の侍従を庇う姿を偶然見てから気になった。
その時は、権威主義の帝国でも身分で差別しない令嬢もいるのだと感心しただけだったが、後に彼女が叔父のハロルドを救ってくれたノートメアシュトラーセ伯爵の一人娘と知った。
そしてアルフレッドの婚約者であることも。
いつしか遠くで見つめるうちに、それは絶対に叶わない恋心に変わっていった。
「彼女を守るには君に預けるしかなかった。周りに僕が彼女を守っていると悟られるわけにはいかなかったからね。もっともらしい罪を贖う方法が国外追放しか思いつかないのが僕の能力の限界だよ」
カナリアはブルスタット公国との契りを強めるためにやってきた。
だが父上達は難色を示したが、俺とハロルドでどうにか説得して、俺の婚約者に迎え入れることが出来たのだ。
「彼女が無事なら二度と結ばれなくともいいと思ったが、やはり別の男が彼女とずっと側にいると思うとはらわたが煮えくり返るよ」
アルフレッドの打つ時間がどんどん短くなり、次第に俺は打つ手を失った。
俺は観念して降参をする。
「参りました……」
「では次だ」
アルフレッドがまた駒を並べ直すので、俺も次の準備をする。
そして負けた。
さらに次のゲームを始めて、また負ける。
まるで俺とアルフレッドの差を分からせるような試合運びをする。
ふぅ、と息を吐いてアルフレッドの顔から強張りが消えた。
「すまない。八つ当たりだ」
アルフレッドが俺へ謝罪をする。
だが彼の気持ちは分からなくもないため、俺は何も答えずにまた駒を並べた。
カナリアがここに残ると自分の口で言ってくれた。
それは嬉しかったが、これが本当に彼女の意志なのかと不安があった。
こんな何もない国よりも、帝国へ彼女を戻した方が幸せではなかろうか。
いいや、これは彼女が決めたことだ。
彼女は自分の意志で残ってくれたのだ。
そう自分に言い聞かせても、やはりまだ目の前の男に遠く及ばないことが自分に劣等感を持たせる。
俺自身もこのままではいけない。
「もうひと勝負お願いします!」
結局体力が続く限り戦ったが、俺はアルフレッドに一勝も出来なかった。
最近はもっとカナリアのことを知りたいと思って添い寝を提案した。
彼女の無防備な姿を見ていると、理性が無くなりそうだったので、彼女が眠ったらすぐに部屋へと戻るようにしている。
だがもし彼女が本当は帝国に戻りたいのなら、俺が彼女の体に傷を付けるわけにはいかない。
──いいや、彼女はこっちに残ってくれるって言ったんだぞ。
何も遠慮することはない。
だが自分とアルフレッドの能力の差に自分が気付いている。
俺が本当に彼女の隣に相応しいのか、それが一番の疑惑だった。
ちょうど彼女から添い寝の話題が出た。
「いつもシリウスが私の部屋に来てくれるではありませんか……だから今日は私が──」
「そのことだがカナリア。今日から君の部屋に行かないようにするよ」
咄嗟に今後は部屋に立ち入らないようにすることを伝えた。
彼女から断られるより、自分から言った方がいい。
この件が解決して彼女があちらに心変わりをしてもいいように。
こんな悩んでいる姿なんて彼女に見せられない。
俺ははやく離宮に着きたくてたまらなかった。
「国王陛下から話を聞いております。何かありましたらお呼びください」
近衛兵は俺たちの話を聞かないように外で待つようだった。
俺はカナリアと共に母上の部屋に着く。
「ふう……」
この離宮に母上が入ることになってから、子供の俺も面会が出来なかった。
母上のためにも、そしてカナリアのためにもこの件は解決しなければならない。
だがこれが終われば彼女が帰ってしまうかもしれないと思うと、手がノックする手前で止まってしまった。
「シリウス、大丈夫ですか?」
カナリアが横で俺を気遣ってくれた。
俺は再度気を取り直して、ノックをした。
「どうぞ」
母上の許可をもらって、俺とカナリアは部屋へと入った。
そこには部屋の観葉植物に水をやっている母上の姿があった。
少し背が低いが、自分の思ったことは何でもズバッと言う気の強い人だ。
カナリアに対して変なことを言わなければいいが、と思っていると──。
「あら、もしかしてその子がカナリアちゃん!」
青い長い髪をなびかせながら、目を輝かせて近づいてきた。
「はい。ご挨拶が遅くなって──」
「いいのよ! ほら、座って、座って!」
カナリアの腕を無理矢理に引っ張って席へ座らせる。
戸惑っているカナリアに念じた。
──すまない、カナリア。母上は喋り出したら止まらないんだ。
母上は俺に紅茶の準備をするように命令して、カナリアとの話に夢中になっていた。
「もう、びっくりしたわよ! 突然、貴女達が来るってなってどんな話をしようか悩んでいたのだから!」
「私もお義母様とずっとお話をしたいと思っておりました。皆様から太陽のように暖かくて素敵な女性と伺っていましたので、今日は楽しみでしたの」
──上手く言ったな、カナリア。
事前にどういった母親かは伝えたが、彼女の中では別の言葉に変換されたようだ。
母上も上機嫌になっていく。
「まあ、こんな可愛い事を言ってお嫁さんが来てくれるなら、私もここに留まった甲斐があったわね。聞いたわよ、エーデルハウプトシュタットの呪いも解いたって」
「いいえ! まだ薬を皆様に配っていませんので……」
「そんなの後か先かの違いじゃない!」
「そう言ってもらえると嬉しいです。でもお義母様も戦争で苦しんでいる民達の家を一軒一軒回って勇気付けたと聞いております。噂通りの方で安心しましたわ」
カナリアがそう言った時に母上の顔が初めて曇った。
「大した事ではありませんよ。結局フーガ族の犠牲は止められなかったのですから」
カナリアも失言したかもと俺を見て、どうしましょう、と困った顔をしていた。
だが母上はすぐに元の笑顔に戻った。
「でもカナリアちゃんが解決してくれたのでしょ? 本当にありがとうね!」
「はい……」
カナリアは照れ臭そうな顔をして、母上と談笑をする。
俺も紅茶を淹れ終えたので同伴する。
「母上、楽しい話の最中だが──」
俺が話を切り出そうとしたが母上が遮った。
「ところカナリアちゃんはシリウスとお出かけとかしているの?」
「はい。といっても今はお互いに忙しいので、中庭を一緒にお散歩くらいですが……」
「そんなのだめよ! せっかくの新婚なんだからもっとこき使いなさい! シリウスも何やってるの! 私に会いに来るのはいいけど、それは婚約者を大事にしてからにしなさい!」
俺は怒られたことで、ハッとなった。
彼女のことを大事にしたいと考えておきながら、彼女のために何もやっていなかった。
「お義母様、大丈夫ですよ。私はシリウス様との散歩は大好きですから」
「もぉー、聞いていた話だとお転婆って聞いていたのに、全然じゃない」
「どんな噂ですか!?」
母上とカナリアがこれほど打ち解けるとは思わなかったが、俺ももう少し彼女のために何かすべきだと気付かされた。
「さて、そろそろ本題に入ったほうがいいみたいね」
母上はカナリアとの会話でこれまでの鬱憤を発散したようだ。
「カナリアちゃんが来たのは、私とノートメアシュトラーセ伯爵が本当に恋仲だったのか知りたいからですよね」
「はい……」
カナリアの顔が不安でいっぱいになっていた。
俺は彼女の緊張で冷たくなっている手を掴んだ。
「もちろん誤解よ。ただし、真実は辛いことよ」
「それでも教えてください……父の最後も」
母上はカナリアの覚悟を聞いて話し始めた。
「私とノートメアシュトラーセ伯爵とお会いになったのは一度だけ。だけど場所がいけなかった……密会の場所が東家だったのですから」
カナリアの手が俺の手を強く握り返す。
東家は恋人同士が逢瀬を楽しむ場所であり、そこに居たのなら不貞があったと思われても仕方がない。
だがこれには続きがあった。
「でも私は呼び出しを受けたのよ。皇帝陛下から内緒の話があるとね」
「皇帝陛下から!?」
母上はカナリアの驚きの声に頷いた。
「ええ。でも向かってみれば待っていたのはノートメアシュトラーセ伯爵だった」
「どうしてお父様が……」
「彼も不思議そうな顔をしていたわ。だけどもう遅かったの。すぐに兵士たちと共に私の夫と皇帝陛下がやってきたわ。嵌められていることに気づいたけど、あの人は逆上して貴女のお父さんを切り捨ててしまった」
カナリアは口に手を当てて体を震わせた。
その光景を想像してしまったのだろう。
俺は彼女を抱きしめて、少しでも落ち着くように背中をさする。
「続きをお願いします……」
カナリアは辛そうな顔でも立ち向かう。
母上もまた話を続けた。
「その後にノートメアシュトラーセ伯爵のお部屋で手紙が見つかったそうよ。私が皇帝陛下とやり取りをしていたと思っていた手紙がね」
皇帝陛下の名前を使うのは重罪だ。
だがそれを用意してなお、真犯人が見つからない周到さで、見事カナリアの父と俺の母上を罠にかけたのだ。
「でもどうやってそんなことを……」
「おそらく手紙の配送を狙ったはずね。そして私の字そっくりで中身をすり替えて、手紙の便箋はそのまま使ったのでしょう。そんなことが出来るのは、貿易を担当していたガストン伯爵しかいないと思っているわ」
カナリアはやっと得心がいったという顔をする。
俺たちがずっとガストン伯爵を疑っているのはこのためだ。
だがどうしても決定的な証拠が見つからないのだ。
「私の限られた情報ではもうお手上げよ。シリウスも調査してくれているけど、まだ見つかっていなさそうね。まあ、ゆっくりと余生を楽しむわ」
母上はもう諦めている。
時間が経てば経つほど証拠が見つからなくなるため、奇跡でも起きなければ冤罪を晴らすことはできない。
「いいえ、お義母様。わたくしが必ずお救いします」
だがカナリアはそんなことを微塵も感じていないように強く自信のある顔をする。
そんな言葉を母上は楽しそうな顔で頷いた。
「ええ。なら楽しみにしているわ。本当は貴女の子供を見るまでは死にたくはないのよ」
「は、い……」
突然のからかいにカナリアが頬を染めた。
「母上! カナリア、母上の言葉は気にしなくていいからな」
もう用件は終わりだ。
俺はカナリアと共に部屋を出ようとする。
「あっ、そうだ。シリウス、お土産があったのよ。これだけ持っていって」
もう一歩で出られるところだったのに呼び止められ、俺はカナリアを外に待たせて取りに行った。
「それで、どれを持って帰れば──」
「シリウス、この件が無事に解決しても絶対にカナリアちゃんを帝国へ帰してはいけませんよ」
土産は口実だったようで、これを言うために呼び止めたようだ。
「それはカナリアが決めることだ」
すると母上の目が細まり、昔よく見た叱るときの顔だ。
「本気で言ってますの?」
低い声で言われたが、もう俺も子供ではないため言い返す。
「当たり前だ。彼女は本来あちらの国で幸せに生きるはずだったんだ。彼女が望む方へ行かせるべきだろ」
だが母上は出来の悪い子供を見るようにため息を吐いた。
そして指を差された。
「あ、な、たが彼女を幸せにしなさい! それに貴方はあの子の望む言葉は言ってあげたことはあったの?」
「望む言葉?」
たまに母上はよく分からないことを言ってくる。
またもやため息を吐かれ、扉の向こうを指差した。
「本当に彼女は帝国へ戻りたいと言っていたの?」
「それは……」
俺は言葉に詰まった。
そうだ、俺は彼女の気持ちを尊重すると言いながらそれすら聞けていない。
もし彼女の本心がそうだったらと無意識に避けていたのだ。
「なら聞きなさい! もしまだアルフレッド皇子に気持ちが残っているって言ったらね」
「言ったら?」
「アルフレッド皇子に一騎打ちを挑んで奪えばいいのよ。俺の方がかっこいいだろってね」
母上は目をパチーンと片目だけ閉じてとんでもないことを言ってのける。
だが確かにそれもいいと思えてしまった。
正々堂々、アルフレッドに勝負を挑み、カナリアの隣を手に入れる。
どうすればそれが叶うのか急に頭が考え出した。
「ほら、いつまで待たせてるの! はやく行きなさい!」
「母上が止めたのでしょうが……」
自分のペースで進める母親に呆れながらも、今日は元気をもらえた。
俺は別れを告げて部屋から出て行った。
部屋を出るとカナリアが俺を待っていてくれた。
「お土産は何でしたの?」
「あっ」
そういえばそれは口実だったため何も持たされていない。
だが今はそんなことはどうでもいい。
一度深呼吸してから尋ねた。
「カナリアは本当に帝国への未練はないのか?」
「えっ……」
カナリアは突然の問いに戸惑いを見せていた。
やはり少しは迷いがあるのだ。
だけど俺は彼女を帰したくはなかった。
まずは自分の考えを伝える。
「君の気持ちを尊重したいんだ」
彼女の顔が少し不安げになった。
「もしかすると君は責任感から残ってしまおうとしているのではないかとずっと不安だった。君のおかげでどんどん国も良い方向へ向かっているし、真面目な君が無責任に放り投げられないのではないかってね」
彼女の幸せは帝国にあるのかもしれない。
もしかするとこれは彼女の気持ちを踏みにじる行為かもしれない。
それでも──。
「だけど俺は帰ってほしくない! 俺は、カナリアが好きなんだッ!」
カナリアに想いを伝えると、彼女は目を瞬いていた。
気持ちが昂り、俺の足が一歩踏み込む。
「だからずっと俺の側に居て欲しい」
俺は気持ちを真っ直ぐに伝えた。
彼女の目が少し揺れ、そして彼女の顔が下に向けられた。
もしかすると彼女に無理強いをしてしまっているのかと思い、慌ててまだ返事を急いでいないことを伝えようと──。
「私は別に義務で残ったのではありませんよ……」
「えっ……」
カナリアの顔が少し上を向くと、首まで顔が真っ赤になっていた。
思わずその可愛さに見惚れてしまった。
そして言いづらそうに彼女の口が開いた。
「貴方の側に残りたかったから……では駄目ですか?」
気付けば彼女を抱き締めていた。
彼女と見つめ合い、それだけでお互いの気持ちが通じ合っているような気がした。
「駄目なわけないだろ」
彼女の唇にそっと奪った。
柔らかな彼女の感触を感じながら、言葉はもういらない。
愛する彼女との時間を大事にするのだった。
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