信長の怨霊
ヨーイチロー
第1章 怨霊に憑りつかれた
第1話 遭遇
深夜の東京は眠らない。
街の灯りはいつまでも煌々と輝き、夜専門で働く人の数も多い。
家の中でも、SNSやオンラインゲームに興じる人たちが、思い思いのキャラクターに我が身を移し替え、仮想現実を楽しんでいる。
僕もそうした眠らぬ人々の一人だ。
僕は東京荻窪の八畳ワンルームのマンションで、一人暮らしをしている。
今年めでたく東京の私立大学に合格し、名古屋から上京してきたばかりだ。
僕が入学したのは、日本屈指の名門校東京明峰大学、学部は一応法律家志望で法学部だ。
名古屋の中堅ゼネコンの社長している僕の父は、難関大学突破を大いに喜んで、わざわざ単身者用マンションを購入してくれた。もうそれだけでも十分なのに、本代に困らぬようにと、仕送りに加えてアメックスのファミリーカードまで渡された。
僕の東京ライフは、順風満帆にスタートを切った……はずだった。
新生活を始めて三カ月目、僕は半ニートと化している。
ここまで応援してくれた両親にさすがに申し訳ないと思い、授業だけはサボらず受けているが、後は部屋から一歩も出ない引き籠りだ。
一日に誰とも話さないなんて珍しいことではない。
食事も母親が月に二回送って来る支援物資を主食とし、大学からの帰り道に近所のコンビニで飲み物やスィーツ類を調達している。
部屋の掃除はロボット掃除機ルンルンに任せきり。
生来の汚物アレルギーが幸いして、ごみ捨てだけはマメに行うので、ごみの詰まったコンビニ袋に囲まれる生活だけは、どうにか免れていた。
どうしてこんなことに……と、思わない日はない。
明日からは普通の大学生活に復帰し、友人作りを始めようと思うのだが、その度に屈辱という大きな壁が行方を阻み、結局同じ毎日の繰り返しだ。
別に僕は特別人見知りなわけではない。高校までは普通に友人もいたし、彼女はいなかったが、クラスの女子とも会話していた。
見た目だって変ではない、と思う。身長だってそこそこあるし、スポーツはしてなかったから筋肉モリモリではないけど、太っているわけでもない。
脂ぎったソース顔の父と違って、母似の中性的な雰囲気がある優しい顔だと思うし、何より汚くなることだけは生理的に受け付けないから、清潔感だってあると思う。
大学生になったら、友達をたくさん作って、できれば可愛い彼女も一人ぐらいいて、バイトしてお金を貯めたら、一度くらいは海外旅行に行ってみたいと夢見てた。
だが入学三日目にして、僕は人生最大の屈辱に直面し、全ての夢は泡のように消え去り、今の負け犬生活に真っ逆さまだ。
そんな僕でも、生きてることを実感できるのが、ゲームナイトだ。
ゲームと言っても極度の人間不信に陥ったため、SNS系やオンラインロールプレイは、ネットの先にいる人が怖くて参加できない。
もっぱら僕が熱中しているのが、CPU相手のシュミレーションゲームだ。
僕はパソコンに強い。
中一のときに初めてPCを買って貰って、既に四代目となる愛機には、受験勉強の合間をみては、改造を重ねた戦国シュミレーションゲームがセットアップされている。
自分で追加した千を超えるオリジナルイベンの中には、人間ドラマが再現できるように、恋愛、友情、家族愛、裏切り、憎しみなど様々な要素が散りばめられている。
僕は自分で設定した虚構の世界に、今夜もどっぷりと嵌っていく。
最近僕のお気に入りは、何といっても織田信長。
人の目を恐れず目的に向かって突き進む強靭な精神は、今の僕の憧れだ。
僕のゲームの中の信長は、チート的に設定したパラメータで、ゲーム上ではほぼスーパーマン。気弱な僕でも、気に入らないやつはばっさばっさと斬り捨てる。
であるか――凡人には理解されない孤高の天才が、今夜もクールに天下取りを目指す。
是非もなし――本能寺の変イベントが突然発動した。このゲームのイベント発動パラメーターは乱数で変動するため、改造した僕自身にも予測不可能な面がある。
やっちまったなと、ここ数日間心血を注いだ天下取りの軌跡を思い出しながら、信長との別れを惜しむ。
まだリプレイ可能かと、時計を見ると時刻は既に十二時を回っていた。
いつもならもう少しゲームを楽しむところだが、さすがにこれから地道な内政やリクルート活動をするのは、気が重い。
さあ、今日は寝るかと思いながら、PCのモニター上で敦盛を舞う信長の最期を見届ける。
余韻に浸りながらエンドロール画面を待っていると、いきなりモニターがブルースクリーンに変わり、OSがクラッシュした。
やれやれ、少しパラメーターをいじりすぎたかと反省して、寝るためにパソコンを強制終了させる。
データファイルはともかく、メモリーエディタで直接パラメーターを書き換えると、こうした事故がしばしば発生する。
特に気にすることもなく僕はベッドに潜り込んだ。
明日は一限に語学があるから早く寝なくては――。
ベッドに横になってはみたが、慣れない時間にリズムが狂ってなかなか寝付けない。
ボーっと天井を見ていたら、同級生の顔が思い浮かんだ。
彼女と初めて出会ったのは、大学初日のオリエンテーションに向かうバスの中だった。
その日、駅のバス乗り場で発車を待つバスに乗り込むと、一人席は既にいっぱいで、後ろの二人席だけが空いていた。
いつもなら空いていても、絶対に座らないその席に僕は座った。
オリエンテーションに臨む前に、会場への案内図を確認したくて座ってしまったのだ。
案の定、僕の後にも次々にお客が乗り込んで来る。
知らない人と相席に成る予感に、僕の心は早鐘を打つ。
「すいません」
ついに相席の相手がやって来た。僕は下を向いていた顔を上げた。
そこには、今迄会ったことがない、きれいな顔をした女性がいた。
「お隣いいですか?」
鈴が鳴るようなきらいな声だった。
「ど、どうぞ」
僕は男にしては細い方だから、彼女のようなスレンダーな女性が座るスペースは十分にあったが、僕は彼女に好意を示したくて、一生懸命身を縮めた。
「ありがとう」
彼女は僕の隣に座った。
女の人と隣同士で座るのはいったいいつ以来だろう。小学生まで遡ったが、ついに具体的な記憶にたどり着けなかった。
彼女が座ったとき、微かに香水の香りが僕の鼻腔をくすぐった。
僕が会場までの案内図を手にしているのを見て、彼女が嬉しそうにほほ笑んだ。
「あなたも新入生なのね。どこの学部?」
「法学部です」
「あら、私も法学部よ。じゃあ、同級生になるのね。私は
「僕は
「慎哉君、よろしくね」
それからバスが大学の前の停留所に着く十五分の間、気さくな梨都と僕はたくさんの情報を交換した。
バスが停留所で止まる度、ほんの僅かだが彼女の身体が僕の身体に接触する。そんなことにも、僕は天にも昇るような幸運を感じた。
アイドルのように可愛くて、女優のような綺麗な顔、それでいて気取ってなくて、人懐こい。僕はそのとき、確かに梨都に恋をした。
だが、僕の恋心はそこで終わった。それから二日後、法学部の三回生たちが開いてくれた新歓コンパで、僕は自殺したいほど恥ずかしい目に合う。
梨都のことを考えると、最後は必ずそのときの屈辱を思い出してしまう。
悪夢を振り切ろうと、頭を空っぽにすると、連夜の夜更かしで睡眠不足だったのか、僕はすぐに眠りに落ちた。
夢を見ることもなく熟睡している僕の頬を、誰かがひっぱたいたような気がした。
驚いて目を開けた僕は、徐々にクリアになる視界の中で、ゲームの中の信長と同じ顔を目にした。
「ヒィー」
誰もいないはずの部屋の中に、見知らぬ男の存在を認識し、パニックのあまり悲鳴を上げてしまった。
(黙れ)
鋭い声で叱責されて、次の言葉を飲み込む。
男は黙って部屋の中を見回し、それから僕の顔を凝視した。
(お前は誰だ?)
その男は僕に向かって、やや甲高い声で質問した。
男の逆らえない雰囲気に押され、答えようとするのだが、なかなか声にならない。
口をパクパクするだけの僕に対し、そういう態度に慣れているのか、男はニヤリと笑って再び指示した。
(落ち着け。手討ちにはせぬ)
男の思いのほか優しい声音に、少しだけ落ち着きを取り戻した僕は、大きく息を吸って吐き出した。
「僕の、名前は、佐伯、俊哉、です。東京、明峰大、の、法学部、の、一年生、です」
僕はつっかえながら、ようやく自己紹介を終えた。
男の名前が訊きたいのだが、怒られるのが怖くて勇気が出なかった。
(フーム)
男は唸ったきりで、それ以上訊いてこない。
再び、部屋の中を見回し始めた。
今度は先ほどよりやや入念だ。
(違うようだな)
「ハ?」
男の言葉は短すぎて、何が違うのかよく分からない。
多少この状況に慣れて来たので、恐る恐る訊いてみた。
「あの、あなたはどなたですか?」
何か考えていた男は、僕の方に向きなおって、徐に口を開いた。
(余は本能寺で無念の最期を遂げた織田信長の怨霊だ)
怨霊!
僕は危うく気絶しそうになるのを、必死で踏みとどまった。
なぜ、僕の前に怨霊が現れる?
なぜ、織田信長が今になって現れる?
なぜ京都じゃなく、東京に現れる?
僕はこれからどうなる?
疑問符が大量に頭に浮かぶ。
(どうもよく分からん。気が進まぬがお主に憑依しよう)
「ヒッ! ひ、ひょういー」
僕の叫びとほぼ同時に、信長の身体がかぶさって来て、その姿が視界から消えた。
「ウッ、ギャアー」
(僕の記憶が、生まれてから今日までの僕の記憶が、全て引き出されるー)
例えれば、ファイルコピーのように、僕の大脳に眠る全ての記憶が、もう忘れたと思っていた記憶迄、根こそぎ引っ張り出されて、信長にインプットされていく。
(今度は信長の記憶が入りこんで来るー)
僕の記憶のインプットが終わると、信長の生まれてから本能寺で死ぬまでの記憶が、同じように僕の大脳にインプットされていった。
その記憶のあまりの凄絶な内容に、僕は耐えることができなくなり、ついに気絶してしまった。
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