第48話 降りの長い通路と老人の話

「ええ。少し迷ってしまったみたいです。急に照明が消えてしまって、怖くて…」


 心底困惑しているような声で、ルイーズは、いつも訓練していた通りに完璧な日本語の発音と完璧な演技で「困っている若い外人の女性」を演じた。


 男は若く美人な女に弱く、日本人は外人に弱い。

 その両方を兼ね備えたルイーズは、加えて訓練された会話と演技のスキルを活かして、これまで何度も同様の場面を乗り越えてきた。


「おや、それはお困りでしょう。照明はすぐに戻るでしょうが、出口までご案内します」


 今回もルイーズのスキルは有効に働いたようだ。

 声をかけてきた老人は彼女のことを全く疑う様子はなく、背を向けて先導するように歩き出した。


 ルイーズが入ってきたメンテナンスハッチに案内されては任務が果たせなくなってしまうところだったが、老人は緩やかにくだった通路を進んでいく。


(この先に第7一次処理施設があるはずね)


 ルイーズは事前に学習インプットした地図情報と照らし合わせて行先の予測をつける。

 この老人は、おそらく施設の休憩所にでも彼女を案内して電源復旧まで休憩させるつもりだろう。


 環状線からの廃液パイプがつながる第7一次処理施設は当然のことながら中央ドームの夢機械ドリームマシンへの進路上にある。

 施設へ怪しまれずに入室できるなら、侵入の発覚も遅れることだろう。


 しばらくは老人の案内に任せるのも悪くない。


 暗い血の色のような弱弱しい非常灯の下に映る小柄な老人の背中はいかにも頼りなく、いつでも無力化できるように見えたことも彼女の決断を後押しした。


「足元は大丈夫ですか?暗くて傾斜していますから気をつけてください」


 前を行く老人が注意するように通路の非常灯は数が少ないのか、とても暗い。


(そう思うなら、その邪魔なライトを消しなさいよ)


 老人が持つ懐中電灯の明かりのせいで、かえって目が闇に順応せず周囲の情報を視覚から得ることが困難になっている。


 ルイーズの苛立ちをよそに老人はよく知る通路なのか、意外に若々しい足取りで進んでいくものだから、彼女も不満を抑えて懸命についていく必要があった。


(おかしい)


 何度か通路を曲がったが、通路は一貫して緩やかに降っている。

 体感的には100メートル以上歩いているはずだ。

 そろそろ目的地と予測した第7一次処理施設に着いていなければならない。


「あの…今はどこへ向かっているのですか?」


 ルイーズが心細げな女性の演技で尋ねると、背を向けて歩いていた老人は、はたと立ち止まり振り返った。


「ああ!これは失礼を!すぐ先にいつも使っている休憩室があります。少しだけ頑張ってください」


 やはり、そうか。


 とはいえ、これまで歩いた距離からすると目的地は第7一次処理施設でなく、地図には載っていないメンテナンス要員の私的休憩室のような場所かもしれない。


 大きな施設や工場では、そこで働く従業員たちがちょっとした空きスペースにテーブルや椅子を持ち込んで私的な休憩場所をこしらえてしまうことがある。

 施設運営に影響がない限り、管理者はそうした従業員のちょっとした特権は見逃すものだ。


 先の若い男の社員といい、急激に膨張した企業の悲しさか、MCTBH社は意外に社員たちの統制が甘いのかもしれない。


「お爺さんは、この会社に勤めて長いのですか?」


 ルイーズは歩きながら老人に雑談を装って話しかけた。

 大抵の老人は自分の話をすることを好む。

 何らかの情報がとれるかもしれない。


「長い、といえば長いかもしれませんな。なにしろ、会社がまだトタンの壁で覆われたプレハブ社屋の頃から勤めさせてもらってますからの」


「まあ!すると会社ができたばかりの頃からお勤めなんですね!」


 そして若い女性に好意的に反応されれば、知らず知らずのうちに口が軽くなって言ってはいけないことまで口にしてしまうものだ。


 そうして相手も気が付かないうつに情報を引き出し、握り、操る。

 それが工作員としてのルイーズのスキルであり、天性でもある。


 事実かどうかはわからないが、この老人は会社が起業して間もない頃からの社員だという。

 有益な情報が引き出せるなら引き出しておこう、という思惑もあってルイーズは訓練された社交術で会話を続けた。


「この会社、最初はどんな会社だったんですか?社長さんにはお会いしたことは?」


「最初は…そうですなあ…言い方は良くないですが胡乱うろんな会社でしたな。儂は地元の工場で油に塗れて40年働いてきましてな…退職して、もう少し仕事がしたくて役所の方に紹介をお願いしたものの、来てみれば何もない荒れ地にトタン壁を貼っただけの僻地へきちだし、やっていることはゴミの処理というでしょう?これはいかんかなあ、と思いましたな」


 ルイーズは頷きながら事前に得た社史の情報と照らし合わせる。

 世界的大企業となる前のMCTBH社には設立や技術開発の経緯など不明な点も多い。

 この老人は情報源としても意外な掘り出し物かもしれなかった。


「そこで、お爺さんは何をされていたんですか?」


「まあ嘱託の警備員というか、実際はドラム缶番でしたな」


「ドラム缶番?」


 唐突に不思議な単語が登場して会話についていけず、ルイーズはオウムのように単語を繰り返した。


「あの頃は何とも不思議なことに、山からようく猪が下りてきましてな。出勤してみると壁のトタンに刺さって死んどるわけです。それを何とかドラム缶に押し込んで、社長に内線で知らせる。それが毎朝の日課でしたな」


「まあ。社長さんに?」


「社長さんは力持ちでな。猪の入ったドラム缶をひょい、と肩に担いで持って行ってくれるんですな。今はもうフォークリフトを使っておりますが」


 ルイーズは巷に出回っているMCTBHオーナー社長の写真を思いだして、あの体格なら可能かもしれない、と納得した。


 身長は長身の多い欧米人の経営者に混じっても引けをとらず180㎝を大きく超えており、体格にいたってはラグビーやボディビル出身と言っても通るだけの屈強さはスーツを通してさえ見て取れる。

 ひょっとするとトレーニングの一環として行っていたのかもしれない。

 筋トレを趣味にする欧米の経営者は多い。

 MCTBH社の経営者も、そうしたエグゼクティブの一人だということだろう。


「儂も、そのお陰か、会社ここに勤めだしてから、すっかり健康になりましてな…そう…ほんとうに健康に…」


 饒舌に話しながらも老人の足取りは、相変わらず軽い。

 ルイーズは演技でなく、疲労し、遅れ始めていた。


(おかしい)


 これだけの距離を歩けば、もうどこかにたどり着いても良いはずだ。

 それに、いかに健康だといっても老人の足に訓練された自分が後れをとるものだろうか?


(まさか。遠回りしながら時間稼ぎをしている?)


 自分では敵わないと見て警備に応援要請をした上で時間稼ぎをするために遠回りをしている、ということだろうか。

 だとすれば自分はなんと間抜けな工作員であることか。


(いいえ、それはないわね)


 ルイーズは咄嗟に抱いた疑念を否定した。

 ルイーズは人の感情を操るのが得意なだけあって、相手の感情を察知することにも優れている。

 人を策略に陥れようとする人間には、多少なりとも感情に緊張が現れるものだ。

 彼女の前に無防備に背中をさらけだす老人に、人間であれば隠すことは難しい、その種の緊張は全く感じられない。


 それに、案内された通路は一貫して緩やかに降っている。

 脇道に逸れて時間稼ぎをしていれば、傾きが平行になる通路を通るはずだ。


(おかしい)


 ちらり、と夜光塗料で読める腕時計の文字盤を見れば、ほとんど時間が経っていないこともわかる。

 客観的に見れば、この老人は時間稼ぎをしていない。


 それなのに自分が感じている疲労はなんなのか。

 そこはかとなく感じる不安はどこからくるのか。

 警報を発して止まない第六感は何を感じているのか。


 ルイーズは背中のバックルに差した小型拳銃の硬さを頼りに、じりじりと消耗する精神に耐えながら老人の持つ懐中電灯を追った。


 なぜか、あの灯りを逸れて闇の中に迷いでたら、闇の中に潜む怪物に喰われるような錯覚が彼女を覆っていた。

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