第6話 天に月、地には穴

 庭の穴から得体の知れない何か、が溢れているのではないか。


 ヒロキの疑惑は深まっている。


 今のところ、自分の体に不調はない。

 むしろ調子が良すぎるくらいだ。

 ひょっとすると、穴から洩れ出した化学物質で超人化していたりとか…?


「ははっ。まさかな。アメコミの見過ぎだな」


 蜘蛛に噛まれた蜘蛛男、雷に打たれた光芒男…いい年してタイツはつらい。


 最近は仕事も順調。

 口座の金は増える一方。

 仕事と将来の心配が減れば、大抵の人間は健康になるものだ。


 チンピラを圧倒できたのも、肉体労働で鍛えた筋力と仕事で身に着けた自身の賜物だろう。


「とりあえず、地元の大学の研究室で地質調査とか環境調査やってるところは…よくわからないなあ」


 大学の理系の専門分野は詳細に分かれていて、ヒロキ程度の知識では化学科から探せばよいのか、放射線を調べるのに物理学科なのか、それとも建築学科の環境評価をあたれば良いのかさっぱりわからない。


「とりあえず、メールだけでも送ってみるか…」


 ヒロキが大学の事務局へコンタクトを取ると、あっけないほど目的の研究室を紹介してもらえた。


 国立大学が法人化して以来、大学の研究室には気の毒なほど資金が不足しているらしい。

 また地元企業との産学連携とかいうお題目を事務局が推進していることもあって、ヒロキの望みはそこそこの研究資金の提供と引き換えに叶えられることになった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 数週間後、大学からは複数の研究室からアセスメントのための機材と人材が送り込まれてきた。

 さすがに教授クラスは来ず、助教授や大学院生達が主体らしい。


「それで社長さん、この土地の環境汚染を調査すればいいんですね?」


「ええ、そうなんです。県の調査は受けているんですけれど何しろ住宅も接近していますので、より詳細な試験をしていただけると周囲のお宅にもご安心いただけるかな、と」


「なるほど、事業のサステイナビリティ―とコンプライアンスを重視されているんですね」


「ええ、そうですね」


 石田という派遣されてきた研究室の院生はよく口が回った。


 コンプライスって何だ?

 インテリの使う言葉はよくわからない。

 たぶん学術用語か何かだろう。

 ヒロキは適当に調子を合わせた。


 穴の周囲には立ち入れないよう、調査の前日にトタンで覆っておいた。

 誤って穴に落ちられたりしたら困るので。


「どういった検査をされるんですか?」


「そうですね。法定の土壌汚染検査と同じように重金属、揮発性有機化合物、農薬の検査を行います。手法としては土壌溶出量調査、土壌含有量調査、土壌ガス調査を組み合わせて行います」


「ははあ…難しそうですね」


「いえいえ。今日のところは庭の表土サンプルを数か所で採取するのと、ボーリング調査を行いまして分析は大学の機器を使います」


「えっ」


「なにか?」


「ボーリング、ということは庭の土を深く掘るんですか?」


「そうですね。とはいっても、直径数センチの穴を数メートル掘るだけですから地下水もでませんよ。住宅への影響はありません」


 マズイ。


 もしも庭の穴が広がっている場合、ボーリングのドリルがこれまでに捨てたゴミに突き当たってしまうかもしれない。


 ヒロキの心配を余所に研究室の面々は鉄パイプを組み合わせて三脚を設置してボーリングの準備を始めた。

 よりにもよって、トタンで隠した穴の傍に!


「…そこを掘るんですか?」


「ええ。ここなら住宅から離れていますし、万が一の場合も影響は少ないでしょうから」


 石田研究員の理屈はもっともなので、ヒロキも反対は出来ない。


「じゃあ、掘っていきまーす」


 三脚から吊り下げる形で穴掘り用のドリルパイプが降ろされると、ジャッキの力でどんどんと掘り進んでは延長パイプが継ぎ足されていく。


「…結構掘りますね」


 延長パイプを継ぎ足した長さからすると、もう4メートルは掘っているだろう。

 もしも穴の下に空洞があれば、とっくに突き破っている深さだ。


「大丈夫ですよ。研究室の連中も慣れてますからね。今のところ岩や地下室に当たった様子もないですし。周囲は昔からの農地なんですよね?すごくしっかりした地盤だと思います」


「そうですか」


 たまたまボーリングした場所は空洞がなかったのか?

 なににせよ、運がいい。

 ヒロキは、人知れずほっと安堵の溜息をついた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 その夜、大学の研究室から派遣されてきた面々を送り出した後、ヒロキは上機嫌で缶ビールをあけた。


「では、検査結果は後日会社の方に送らせていただきます。詳細は検査してからでないとわかりませんが、特に問題は出ないと思いますよ。廃棄物処理場といっても、この場所は非常にクリーンですから」


 と石田研究員が保証したからだ。


 それにしても…あの石田という若手の研究員は、穴の秘密に何か気がついただろうか。

 若い人間が多い研究室の中でも、ひときわリーダシップがあり、年上の自分を立てつつも、よく口がまわる。


 ああいう人間が組織では出世するのだろうな、とヒロキは苦味の強いビールを呷った。


 まあ、いい。

 賢い仕事は賢い人間に任せて、自分のような人間は相応しい仕事をするまでだ。


 明日も朝から、どうしようもない連中が運んできたろくでもないゴミの山を片端から穴の中に放り込む仕事が始まる。


 あの穴を埋めなければならない。


 そのためには、もっともっと多くのゴミを集めなければ。


 そうしなければならない、との確信が湧き出てくるのだ。



 ヒロキは飲み終えた缶ビールの空き缶を片手でクシャクシャと小さく硬く丸めると、事務所の隅の屑籠に投げ込む。


 ガンッ、と重量感のある金属製の屑籠が凹んだ音が響いて、驚いた野良猫が逃げ去る気配がした。


 夜空には煌々と満月が輝き、地には黒々と穴が口を開けていた。

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