第50話 「交錯する危機」





私は家で、マリセルを待っていた。彼が、「ターカスはもうなおらないそうです」という報せを持ち帰ってくるのを、待っていた。


私は、家に帰って来てからのターカスにたくさん傷つけられ、私の気持ちを全て無視された事で、すっかり落ち込んでいて、自分がまともに考える力も失っていたのは知っていた。


でも、お父様以上にロボットのプログラミングに優れている工学者なんか居ないと私は信じていたし、そのお父様が行ったプログラミングを、たとえお父様のご友人だとしても、再現出来るはずがないと思っていた。


“これから、人間のお友達を探さなきゃね、ヘラ・フォーミュリア…”


自嘲の文句を自分に当てつけるために、自分の名前を自分で呼んだ。前は、ターカスがいつも私の名前を呼んで、私を支えてくれていたと、その時また、知った。


“神様がこの世に居続けられるのは、わたくしがわがままだからなのね…”


ほろりと頬を伝う涙を、その日も私は独りで拭った。





「博士…今おっしゃった事は、本当なのですか…?そんな事が可能なのですか?」


私は、あまりに信じられない事を聴いた。ターカスには、ヘラお嬢様の弟君の脳細胞が移植されていたと。



それはあまりに荒唐無稽な方法と思えた。でも、本当に脳細胞を移植してターカスが“成長する自我”を得たなら、ターカスがお嬢様へ接する態度も納得がいく。しかし、もし弟君の脳細胞をターカスが失くしてしまっていたなら、ターカスを直す方法など、ないのだ。



ラロ・バチスタ博士は、大きく溜息を吐いた。博士は一口お茶を飲もうとしたのか、湯呑みを手にしたが、口を付けずにテーブルに置き、両手の指を組んで、両肘を付く。そして、ターカスをじっと見詰めた。


「お前さんは…そうか…」


何かを分かっているかのように、博士は親し気に、また少し寂しそうにターカスを見詰め、「そうか」とだけ言った。その後、私達は博士の作業場へ案内された。




「言っておくが、原因が分かっても、恐らくここでの修理は出来ん。戦術ロボットは“艦隊”だ。部品の中古品さえ手に入りづらく高価だと言うのに、艦隊のシステムを組み直す基礎的技術がここにはない。じゃから、まずは儂の目で、組み立て以前にあった物が揃っているのか、確かめる」


「えっ?博士は、ターカスの図面を保管しておいでなのですか?」


作業場は荒れていて、あちこちに物が散らばっている。博士自体もざっくばらんな方だと思っていたが、ずいぶんと几帳面なんだなと思った。


「馬鹿言え、そんな物いちいち取っておかんよ。ただ、一度作ったロボットの内部構造など、そうそう忘れるもんじゃないんでね」


博士はそう言って、ただ、人差し指で頭をコツコツと叩いて見せた。


「は、はあ…そうですか…」


“私達ロボットには「物忘れ」はないが…この人には、その面でも勝てないのだろう…”


私は、ロボット工学の最前線を走っていた過去のある老人に、少々恐れをなした。


“この人の事を、普通の人間と同じに見る事は、もう出来ないだろう…”


そう思っていると、ターカスについても、少し希望が湧いたような気がした。とにかく今日は、お嬢様を少しでも元気づけられるお報せを持って帰らなければ。


「さて、ターカス。回路を落とされる前に儂に聞く事は?それとも、機能停止は不服かな?」


するとそこで、初めてターカスが口を開いた。


ターカスは、無表情より少し不安寄りのランプを目に灯し、博士をまじまじと見る。そしてこう言った。


「私は、普通に過ごしていました…私は、自分に対して、自分で問題を見つける事が出来ませんでした…ですから、博士に委ねます…」


その言葉を受け取って、博士は一つ頷く。


「もちろんじゃ。安心しなさい。すぐに元に戻るかは分らんが、原因は絶対に解る」


博士が言った事で、ターカスは安心して微笑み、目を閉じた。


“お嬢様の期待に応えられるようになれるのだ”


ターカスは、そう思って喜んでくれたのだろうか。


それとも、今の彼には、周りに居る我々の不安は、“なんだか分からないけど騒いでいる”としか映らないのだろうか。


“いいや、ターカス自身も、この違和を、お嬢様の様子から感じ取って、自分にはどうにも出来ない苦しみなら感じていたはず…”


私は、自分の手元にある希望を、懸命に支えた。




「フム…ここは、もちろん違うじゃろうな…ここも…関係がないからのう…早く外さない事には…」


博士は、自分にしか分からない独り言をたくさん言い、ネジを外したり、カバーをと取り除いたりしていた。その内に、ターカスのスケプシ回路が表れる。


それは全く完成度の高い、小さな球形の空間だった。


そこには、ごく小さな部品がたくさん押し込まれて、街のようにきらきらと光り、芸術家が作った作品のようだった。でも、奇妙だと思った。


私が“奇妙だ”と思ったのと同時に、バチスタ博士は「あっ!」と叫ぶ。


「やーっぱりそうじゃ!脳細胞を当てはめたパーツが抜き取られておる!君!これは由々しき事態じゃぞ!まだ聞いていなかった!ターカスを解体した工学者は分かるのか!?」


慌てて振り向き私に詰め寄った博士を、傍に居た“イズミ”は止めたそうにしていたが、彼も驚いており、博士の慌てようがただごとではないと分かった。


私は両手を上げて博士との間にやんわり壁を作り、落ち着いてもらいながら話をする。


「え、ええ…軍の方のお調べしたお話によりますと、なんでも、穀物メジャーの、デイヴィッド・オールドマンという研究者だとか…」


「かっ!?」


博士はその時、両目を大きく広げて叫んた。その目があまりにぎょろっと大きかったので、私は驚く。


それから博士はふらりと体ごと虚空へ向かって、一瞬、放心したように見えた。だが、博士はだんだんと物凄い形相になり、脅威を前にしているように歯を食いしばって、その隙間から「いいい…」と声を漏らし、肩を震わせる。


下を俯いてからは何かをぼそぼそと呟き、博士はしばらくこちらを見なかったが、やがてこう呟いた。


「まずい奴に見つかった…一番まずいぞこれは…」


そう言ってラロ・バチスタ博士は私を見て、私の両肩を、小さな両手でがっしと掴んだ。彼は頼み込むようにこちらを見上げて大声で叫ぶ。


「その軍人に、儂も会う訳にはいかぬか!もしくは、早急に政府に話を通さなきゃならん!これを悪用されたら、儂の地位どころじゃない!国家転覆の危機じゃ!」



その叫びは、ターカスには聴こえなかった。





つづく

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