29話 或る愚者の懺悔

 魚市場のケースが減速して、わたしと学長は倒れこみそうになる。

 話に聞き入っていたから気づかなかったけど、ついにたどり着いたらしい。


 目の前に、黒々として光を照り返さない合金。それが足元から緩やかに上部へと反りあがっている。

「フラスコの、底……これが……最深部」


「降りろ」ケースの縁が下がる。『何か』が短く言って、最初に降りた。と、

「……っ!? ちっ!」

 がくんと、何かは片膝をつく。わたしは自然と体が動いて、

「ちょっ、ちょっと!」

 何かに手を差し出していた。


「……いらん心配だ」

 前を向いたまま何かはわたしの手を払う。妙に、正確だった。


「最外周は重力が強い」

「っ……ミコトの、体だもの」

 言ってから、ハッとした。脚に、百キロ走ったダメージが残っているんじゃないの? だとしたら……体は、やっぱりミコトの体なんだ。


 一つ息を吐くと、何かは立ち上がった。そこから少し歩いていって立ち止まる。その足元から細いポールが二本伸び出して、天井へくっついた。さらにそのポールの間に、平行な棒が何本も渡されてく。あっという間に梯子が出来上がった。


 天井に穴が開く。ぼんやりとした明りが見えた。

「うおっ!?」学長が叫ぶ。驚いてそちらを向くと、黒い蛇のようにのたくる合金が腰を中心に巻き付いて体を持ち上げ、学長は開口部へ押し込められてしまった。


 声を上げる間もなく唖然とするわたしに、何かが顎をしゃくって先に行けと促す。

「先生は「大丈夫だ、こっちだって奴がいないと困るんだ」……分かった」

 梯子を上る音が、むなしく響いていく。掌に伝わる冷たさが、全身に染みていった。


――けれど、頭の芯だけは決して冷えない。


 一つだけ、さっきからずっと意識の片隅に居座る言葉が、在る。

 それは錬金術師を、いや錬金術について調べればほぼ必ず行き当たる……おとぎ話。


 ある、人造生命の名。

〝この世の全ての知識を持つ〟そういう存在が登場するおとぎ話の……タイトルだ。


 もし、ミコトの姿をしたあいつがそうなら、さっきのことは辻褄が合う。

……それは、そうだ。

 そんな荒唐無稽な存在がいるなら、何でもありだ。無茶苦茶だ。


 だから……その言葉は意識の片隅に居るんじゃない。中心にへばりつこうとしているのを、わたしの意思が、理性が、必死に追いやっているのだ。

 

 そんなものは存在してはならない、と。


 そう、そうだ。ありえない。

――『あれ』が外に出られるはず、ない。


 梯子もあともう少しというところで、わたしは息を整えた。慣れない環境は、自分が思っているよりもはるかに体を疲弊させる。


 さっきからわたしが滑稽にもおとぎ話なんかと格闘している原因も、疲れに違いない。


……いや、原因はあいつか。


 さっきのことについて、わたしは安易な方へ逃げようとしている。何かトリックがあるはずだ。何か……。


「おい」

 自身が追いやられていることを思い出して、わたしは再び梯子を上り出す。


 悪い癖だ。今必要なのは、あいつの正体じゃないのに。妄想というのは知らぬ間に逞しく育ってしまう。

 妄想……妄想だ。この妄想は、滑稽極まるとびきりの笑い話だ。


 だって、このおとぎ話を〝おとぎ話〟として広めたのは、他でもない――


 わたしが開口部から顔を出すと、すぐ横に学長は座っていた。言った通り、怪我はない。

 ほっとして梯子を上がりきると、わたしは今自分がいる空間の異質さに気づいた。

 あるのは照明と天井付近のダクト。そして壁際にただ一本、大きな黒い柱状のものが立っている。

 柱〝状〟と一目見て思ったのは、下にあった支柱群と違って根元にシルバーの台座らしきものが備わっているからだ。

 ただ、本当にそれだけ。

 実験施設だったとして、なんの機械もないのはおかしい。なにより、静かすぎる。あの威容を放つ黒い柱のために、存在している空間なのは解るけど……。


――あれ?


 もう一度、ぐるりと部屋を見渡す。全身が総毛だった。

「先生……ここ、本当はどうやって出入りするんですか」


 出入り口がないのだ。単なるデッドスペースじゃない。ダクトがあって、空気が通っているのだから。最初から照明も点いていた。


「最初こそゴウは警戒していたけれど、僕が錬金術師だって証明して見せると、ぶっ倒れそうになってね。普通の天才彫金師の所に来ちゃったんじゃないかとドキドキしたよ」


「え、えっと、あの「だけどそれはただ緊張の糸が切れただけで、まあ自分の一族がひた隠しにしてきた秘密をパッと目の前で使われれば無理もない。

 僕が聞きに行った立場なのに、ゴウはそりゃもういろんな質問を僕にしてきて……気がついた時にはもう打ち解けててねえ……気心が知れるというのか。

 いつの間にか錬金術じゃなくて、奥さんに先立たれて、娘さんも出て行ってしまって、この家は広すぎるとか。

 土蔵は仕事場になっているんだけど、地下にある秘密の研究室を見せてもらえたんだ!」


 目眩が、した。足が震えてる。心臓がうるさいくらいバクバクいってる。

 ここにはもう、まともなものなんて無いのかもしれない。


 年老いた錬金術師はわたしなんか見ずに、思い出を巡らせて読み上げていた。


「結局、ゴウは計画への参加はしなかったけど、そんなことは問題じゃなかった。この歳にして友ができた喜びは代えがたいものだった」

「そして、お前たちは再開の約束をした。お前の計画の第一段階……柱の建造後にな」


『何か』が上がってきた。縦のポールに足場を突き出したものをエレベーターにして。肩に丸めたカーペットみたいな物を担いでいる。

 来てくれて、少し安心してしまった。


「そう、そして合間を縫って僕は日本へ飛んだ。連絡は入れなかった。びっくりさせたかったからね。そして僕は先に例の骨董品店へ寄ったんだ。そこで、僕は……店主に……ゴウの娘さんが亡くなったことを聞かされた」


 何かが柱へ歩いていく。肩に載せた物を脇へ放った。

「僕は、その時の僕は、ゴウに会わない方がいいと思った。店主さんも、そっとしておいてあげてくださいと……連絡をしなかったのは正解だと……心底思った。

 僕はここに来なかったと、店主と示し合わせて、店を出た。空港に、戻ろうと……だけど、だけど僕はただ友達として……! 居てもたってもいられずに……!」


 何かが、柱へ手を当てた。上から徐々に合金が流れてゆく。その下から、ぼんやりとした光で輝く、透明な柱が現れた。


「あの土蔵の地下からっ、僕は……っ! 僕はっ! 彼の娘を、盗み出したんだ…………!」


――柱の中には、わたしとそう変わらない歳の女の子が、一糸まとわぬ姿で浮いていた。

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