25話 窮鼠猫を噛んで居直る

「これ……! これ……!?」

 犀の角のような、金串のような『影』の正体に、わたしは思い当たる。


「部屋を合金で造ったのが仇になったな、ゴルドシュミット」

 知らない声音が隣から発せられた。勝ち誇ったでもなく見下したでもない、無感動な声。


 わたしが油の切れた機械みたいに、ぎこちなく声の主へ首を向けると、

「ひっ」あの眼が、あった。


 姿形は間違いなくミコトなのに、顔の骨格が違っているわけでもない。なのに、何の感情の現われもない表情だけで、別人にしか見えなくなってしまっていた。


「まあ、お前らしい冷静さだったよ」

 わたしと学長を尻目に、零れ落ちたペンダントを悠々拾って、ミコトは中身をしげしげと眺めているようだった。やがてその蓋を閉じると、首にかける。


「さて、動くなよ」

 言われなくたって動けたもんじゃないっての……!


 ミコトはこっちへ向き直ることもなく、言う。その後ろ姿を横目で見ていたわたしの手首にひやりとした感触が這ってきて、思わず悲鳴を上げてのけ反りそうになったけど、串刺しの恐怖が勝って固まったまま耐える。


 ものの数秒で、わたしにぴったりな可愛らしいサイズの腕輪が出来上がった。両手首が8の字みたいにくっついてる斬新なデザインで、せいぜい直径二ミリ程度のくせに、曲がるどころか歪む気配さえない。


 むなしい努力続けてみようとしていると、突如として周りの棘たちが真っ直ぐになって縮みだした。と、次の瞬間、

「うおっ!」「きゃっ!?」


 学長とわたしを囲む形で、棘が勢いよく生える。またも、先ほどの風船を割ったような音が響き渡った。だけど、それ以上のことはなく、棘は縮んで床に戻る。ただ絨毯を引き裂いて、穴を開けただけで終わった。


「脅しにしては……下手糞じゃないかね」

学長は不敵な笑いを浮かべて毒づいたけど、ミコトは事もなげに、

「必要なことをしただけだが」


「え、あっ? ちょ、ちょっと!?」

 絨毯から覗いた地金に沿って、前触れもなくわたしと学長は床ごと沈み込み始めた。この下は……外部装甲じゃないの!?


「ミッ、ミコトッ! ト……!?」

 止めさせようと視線を送ると、わたし達よりも早く、ミコトも床下へ沈み込んでいた。


 するうち、わたし達は本来の床を突き抜ける。黒いベールだった眼前が液体の如く左右に分かれ、分かれた合金は四本の支柱になって、床から天井になった場所からビルの窓ふきゴンドラみたいに吊り下げられる形になった。


 空気は、ある。いくばくか風の流れも。下が外部装甲なら、こんなに穏やかなはずがなかった。

 開けた視界にあったのは最低限の照明が供えられた殺風景な場所だ。オレンジ色の照明はトンネルを思わせて、たぶんメンテナンス用の空洞かなにかなんだろう。

 嬉しいことに、降りた先はわたしの素敵な腕輪と同じ材質らしい。


 前も後ろも、こんなの逃げたって逃げきれそうにない。左右は……一周するだけじゃない!

 定期的に太い支柱が並んでいるだけで、隠れられそうな場所もない。何も、ない。


――こうなったら。


「すまない、マリ君」

 急に話しかけられて、わたしは頭の後ろに伸ばしかけた手を止めた。


……落ち着け、落ち着け、早まっちゃだめだ。こんなのには勝てっこない。

 一人じゃないんだから……大丈夫、たぶん。

 

 目を向けると、学長が体を起こして何とか座り込むところだった。

「君を巻き込んでしまった」

「……この状況に、心当たりが?」


「これで無いと言うなら、俺も怒りを覚えるかもな」

 ゴンドラが目的地に到着する。先に着いていたミコトが無表情に学長を見下ろした。


「提案なんだが、マリ君は送り返してくれないかな?」

「駄目だ。立て。ついて来い。……先に言っておく、お前達が心配するほど、手荒な真似をする気はない。これで、少しは足も軽くなるだろう?」


「いやあ腕が重くて」

 途端に足元から黒い蛇が鎌首をもたげると、学長の手枷にくっついた。瞬く間に手枷は縮み、目に見えて軽量化されてしまう。


「他に言いたいことは?」

「大声を出してもいいかな?」

「その後に、悲鳴が聞こえてもいいなら」

 顔は下を向いたまま、ミコトはチラリと眼だけでこちらを見る。


――――ああ。ああ、ああ!


「マリ君の身の安全を保障してくれるなら……マリ君?」

 錬金術師の性というのは、恐ろしいものだと思う。確かめずにはいられない質になってしまっていることを、諦めて受け入れられるようになってしまったから。

 なにより、それを理由にわたしは我慢をしないと決意してしまうから。


 わたしは、ミコトへ歩み寄っていた。その目を見つめながら。ゆったりと、敵意がないことを最大限表現して。

「なんだ?」


 短く表された意思に、わたしは固定された腕を上げて答える。花のように広がった指は、ミコトの顔に近づいていき、そして。


 ……わたしは単に、その顔を触りたかっただけなのだ。ミコトが手を伸ばしてきたから、特に問題もなく、わたしは腕を掴まれて止められてしまうはずだった、のだけど。

「? そんなこと……をっ!?」


 なぜかミコトの手は、わたしの腕の下で空を掴んだ。その途端にミコトは動揺したらしくて身を引いたものだから、わたしは反射的に、

「なっ……!? 待へっ、離へっ!」

 ミコトの頬を追いかけて、思い切り引っ張ってしまったのだ。


「……ふぅ……うん」

 パッと手を離す。指先の感覚を、わたしは脳内で反芻する。結論は、出た。

「一体……! 一体なんだ、今のは……!」


 初めて表情を崩したミコトは、恐怖がにじんだ目をわたしに向けていた。わたしもあの時、あんな目をしていたのかもしれない。


「特殊メイクかもしれないと思って」

「……は? 何を言って「あんたミコトじゃないでしょ」


 一瞬でミコトは表情を目まぐるしく変化させる。目を見開いた驚愕、次に眉間に皴を寄せたしかめっ面、最後は馬鹿にするような蔑み笑い。


――その笑いが。


「……この顔は、作り物だったか?」

 わたしは、首を横に振った。


「だったら! 他の誰だと「あんたっ! ……あんた、誰なの」

 ミコトの顔から……ミコトの顔をした誰かから、笑いが消えた。瞳に鋭い光が宿る。


「何を、根拠に」

「根拠も何も、わたしはただあんたがミコトなのかそうじゃないのか、はっきりさせたいだけよ。

 わたしの知ってるミコトは、そんな笑い方しなかった。あんたは口調も表情も、果ては雰囲気まで別人よ。演技じゃ説明がつかないレベルでね。

 ……あいつ、そんなに器用そうじゃないし。あいつが景色を見て喜んだり、言葉一つで悲しんだりしてるのほんとのことだったって、わたしは思うから。……それだけ」


 目の前の誰かは苦い顔をして口を開いたけど、答えに窮した様子だった。それを見たら、『それだけよ』と言ったばかりなのに、わたしは込み上げてきてしまって、

「あんた、いい? わたしだってね、こんなあんたのホームグラウンドみたいな場所から逃げられると思ってないし、その気になれば一瞬で殺されるぐらい解ってんの! だから! あんたがミコトかどうか、それだけ答えりゃ黙ってついってってやるっての! 

 答えなさいよ! おとなしく人質になってやるって言ってるんだから、さっさと!」

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