後日談

黄泉の扉が開く日

 十月三十一日。ハロウィン。現在の日本ではコスプレ祭りのような扱いだが、本来は死者の霊が家族を訪ねてくる日——つまり、日本でいうお盆のような日らしい。

 霊とか、魂とか、そういうオカルト的なものは信じていなかった。けれど、親友二人が亡くなって以来、僕は毎年この日になると仕事終わりに墓を訪ねている。

 奇跡が起きて、一日だけでも会って話せたりしないだろうか。なんて、そんなことを考えてしまうほどに、彼女達には言いたいことがありすぎるから。


 僕の親友二人は、享年二十歳でこの世を去った。二人は恋人同士だった。だけど、どれだけ愛し合おうとも、女性同士であるが故に家族にはなれない。異性同士なら、本気に愛し合っていなくとも簡単に籍を入れられてしまうのに。

 彼女達はそんな理不尽な世界に対する呪いを書き連ねた遺書を残してマンションの屋上から飛び降りた。二十歳になった年の11月22日に。良い夫婦の日。語呂合わせでそう呼ばれ、それにちなんで籍を入れるカップルが多いことに対する嫌味らしい。


 僕は、レズビアンでありながら男性と結婚し、夫との間に二人の子供をもうけた。決して、世間体を気にして妥協したわけではない。彼に対する恋心を自覚したときは葛藤した。彼と結婚することは、愛する人と結婚したくてもできない同性愛者の友人達に対する裏切りのような気がして。愛した人に「男性と結婚するから」とフラれた時、僕は彼女を酷く責めた。「裏切り者」「レズビアンだって言ったくせに」それが後に自分に返ってくるなんて、そのときは思いもしなかった。彼女の決断は世間体を気にしてなのか、本当に彼を愛してのことなのか、今となっては分からないけれど、後者だったなら本当に申し訳ないことを言ったと思う。


「……それでね、海菜が自分は同性愛者なんだって不安そうにカミングアウトしてきて」


 どれだけ語ろうと、二人は相槌一つ打たない。それでも、届いていることを信じて、僕は今年も彼女達に一方的に語りかける。


「ねぇ、月子、帆波。僕ね、今、凄く幸せだよ。頑張って生きてて良かったって思ってる。そんなこと思える日が来るなんて、思わなかった。……あの日、僕に生きる理由をくれて、ありがとう。二人との約束は必ず果たすから……だから、見ててね。僕がそっちに行くまで待ってて」


 彼女達に託された希望は重くて、何度も捨てて逃げ出したくなった。けれど、色んな人に分け与えながら、少しずつ軽くしながら、なんとか生きている。


「じゃあ、そろそろ帰るね」


 そう言って背を向けた瞬間「またね」と、懐かしい声が聞こえた気がした。霊だとか、魂だとか、そんな非科学的なものは信じて来なかったけれど、今日くらいは信じたって構わないだろう。振り返って誰も居ない墓に声をかける。


「またね」


 そうしてまた踵を返すと、ぽろぽろと涙が溢れてきた。そして歩けなくなり、その場にしゃがんでしまう。

しばらくすると、足音が近づいて来た。顔を上げると、視界に誰かの足が映る。夫がよく履いている見慣れた靴を履いたその人はしゃがみ込み、僕の頭をぽんぽんと撫でた。「海ちゃん」と夫の優しい声が降って来る。


「……君は、いつもタイミングよく来るね。見計らってるの?」


「たまたまだよ。あまりにも帰りが遅いから心配でね。二人との話は済んだ?」


「……うん」


「じゃあ帰ろう。はい」


 差し出された手を取り、立ち上がる。そのまま手を引かれて霊園を後にすると、駐車場にうちの車が停まっているのが見えた。

 助手席に乗り込み、シートベルトを締める。


「夜中に墓地に来るのすっげぇ怖かったよ。海ちゃんよく普通にいけるよね」


彼が車を運転しながら苦笑いする。それを聞いて、ふと、幼い頃の記憶が蘇る。

あれは確か小学校に上がる少し前だ。親の都合で彼が家に泊まりに来た時のこと、夜中に一人でトイレに行けないからと起こされたことを思い出した。


「えっ。そんなことあった?」


「あったよ。『お化けこないか見張ってて』とか言って廊下で待たされて。で『怖いから手握って』とか言うから、手握って一緒に寝てあげたんだよ」


「完全に弟扱いじゃん。俺」


「本当に覚えてない?」


「……覚えてない」


「嘘つけ。覚えてんだろ」


「……若干思い出した。けど恥ずかしいから忘れてほしい」


「ははっ。大丈夫だよ。君のダサいところなんて知り尽くしてるから。まず、お化けが苦手なところとか、注射が怖くて予防接種を出来る限り避けてるところとか」


「うぐ……」


 だけど、普段はダサいくせに、側にいてほしい時にはタイミング良く来るし、いつだって僕が欲しい言葉をくれる。それも、僕に媚を売るわけでもなく、素で。『愛してる』という言葉を疑う余地さえ与えてくれない。そういうところがずるい。


「……ねぇ、麗音」


「なに? 海」


 優しい声で名前を呼ばれる。それだけで、泣きそうなくらい幸せな気持ちになる。こんなに幸せで良いのだろうかと、最初は思った。幸せが怖くて、遠ざけようとした。けど今はもうそんなことも思えなくなってしまった。絶対に手放したくない。


「……こんなクズみたいな僕を愛してくれて、ありがとう」


 面と向かって言うのは気恥ずかしくて、窓の外を見ながら言う。


「……うん。どういたしまして。これからもよろしくね」


 そう返す彼は少し涙声だった。車内に少し甘酸っぱい空気が流れる。耐えられなくなり、無言で窓を開ける。冷たい風が顔の火照りを冷ます。けれど、心の奥底に宿った温かい炎までは冷めない。かつて凍りついていた心は、この炎のおかげですっかり溶かされてしまった。


「……愛してるよ。海」


「……知ってるよ。言わなくても十分すぎるくらい伝わってる」


「分かってる。それでも、言葉にして伝えたいんだ」


「……暑苦しい奴」


「けど好きでしょう?」


「うるせぇバーカ」


「はははっ。ツンデレ。可愛い」


「うるさいなぁ」


 きっともう、僕の心は二度と凍ることはないだろう。こんな暑苦しい人とこの先死ぬまで一緒なのだから。

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