第15話:報告

 それから数年経ったある日のこと。


「……海ちゃん、あのさ」


「うん?」


「……最近、体調どうですか」


「何急に。別に元気だけど?」


「いやぁ……あのさ……もしかしてなんだけど、もう半年近く生理来てなかったりしない?」


「……あー……言われてみればきてないかも」


「だよね……生理用品全然減らないから」


「……気にしてくれてたんだ」


「逆に君が気にしなよ。自分の身体のことなんだから」


「元々生理不順だし。半年来なかったと思ったら急にきたこともあったし。つわりも全く無いし、妊娠したとは限らんよ」


「つわりは全くない人も居るらしいよ。てか、半年も放置するなよ」


「……婦人科、苦手だし。それに……そのまま女としての機能を失った方が、気が楽になると思って。二度とこないことを何度も願った」


「……そう……か……」


「……ごめん。変な話して」


「いや。……うん。俺の方こそごめんね。……海ちゃん、今日は仕事休みだよね?俺が帰ったら一緒に病院行こう」


「ううん。午前中に僕一人で行ってくるよ」


「……大丈夫?」


「うん。……大丈夫。ありがとう。……ねぇ」


「何?」


「もしさ、子供が出来ない身体にだったとしても、変わらずそばに居てくれる?」


「聞くまでも無いでしょ。言ったろ。俺は君が男でも変わらず愛してたって」


「……そうだったね。仕事、行ってらっしゃい」


「ん。行ってきます。帰ったら結果教えてね」


「うん」


 彼を見送ってから、僕は産婦人科を受診した。妊娠三ヶ月だと言われた。つわりもなく、元々生理不順だったこともあり、全く気付かなかった。

 医者からは「おめでとうございます」と言われたが、素直に喜べなかった。


「……お帰り。麗音」


「ただいま。……どうだった?」


「……バレンタインデーに、生まれる予定だって。男の子。三か月。……なんも実感無いけど、居るって」


 帰ってきた彼に報告をすると、彼は静かに頷いて、そして僕を抱きしめた。そして喜ぶより先に、僕の心配をした。


「……君は本当に僕のことばかり考えてるね。大丈夫だよ。正直自分の腹の中に人間入ってると思うと気持ち悪くて仕方ないけど、ちゃんと産むよ。君の子だもん。堕ろしたいなんて言わないよ」


「……うん。ありがとう。一緒に育てよう。あと……やっぱり、籍は入れておこうか。嫌かもしれないけど、生まれてくる子のためを思ったらやっぱり入れた方がいいと思う。苗字を変えるのが嫌なら俺が変えても良いから」


「……ううん。苗字は僕が変える」


「ほんと?手続きとか面倒じゃない?」


「……うん。でも、統一しなきゃいけないなら君の苗字の方が良いよ。僕、自分の両親より君の両親の方が好きだし。……苗字、変えられるなら変えたいくらい」


「親に何か言われたの?」


「……ううん。何も。まだ、何も報告してない。君と付き合ってることも。報告、したくない」


 両親は僕がレズビアンであることを結果的には受け入れてくれた。だけど、兄の結婚式に出席した時、母がボソッと呟いた。「海はいつまで女の子が好きなの?」と。睨んでやったら母はすぐに謝ってくれたけれどその瞬間、兄の結婚式に出席したことを酷く後悔した。兄のことは嫌いではない。むしろ好きだ。祝いたいから出席した。だけど、どうしたって僕は素直に兄を祝福出来なかった。最後まで居られなかった。

二人はきっと、僕が結婚して母親になることを諦めていない。きっと、心のどこかで願っているだろう。

 彼と結婚して母親になることを話したら、きっと泣いて喜ぶだろう。麗音は昔からうちの両親にも好かれている。結婚するならあんな子が良いと何度か勧められたくらいだ。けど、喜ばせたくない。今までの僕を否定されたくない。祝われたくない。普通になったと言われたくない。


「……ねぇ、麗音」


「うん」


「……結婚式、挙げたくない。ウェディングドレス着たくない。結婚も出産も、誰にも祝われたくない」


「……うん。分かってるよ。俺も同じ気持ち。式はにしよう」


「挙げる気なの?」


「婚姻制度が異性愛だけの特権じゃなくなったら挙げても良いでしょ?」


「……その頃には死んでるかもよ」


「生きてるよ。きっと。……俺はそう信じたい。他には何か言いたいことある?」


「……一人で子育てするの、不安」


「一人じゃないよ。俺も居るよ」


「君は仕事あるじゃん」


「男でも育休取れるから」


「取らせてもらえるの?」


「……まぁ、うちの会社はまず無理だろうね。男が稼いで女が家事をするのが当たり前だと思っている人がほとんどだから」


「どこもかしこも大体そうでしょ」


「でも、ダメ元で取れるか聞いてみる」


「……ありがとう」


「もし無理だったら仕事辞めてもいい?」


「それは……君が良いなら良いけど……僕は仕事辞める気ないし、貯金も結構あるし」


「俺は良いよ。キャリアなんかより家族の方が大事」


「……けど、また働きたくなっても、そうすぐに見つからないかもよ」


「見つからなくても、海は仕事辞めないんだろ?少し休んだら復帰するつもりだろ?海が稼いで、俺が主夫になるのもありだと俺は思ってるよ。家事嫌いじゃないし」


「……主夫なんて、白い目で見られるかも」


「そうかなぁ。そんな人ばかりじゃないと思うけど。それに、もしそう思われても俺は別にどうでも良いよ」


「君が良くても、君が悪く言われることでこの子が傷つくかもしれない」


「あー……それはあるかもしれないね。……そうだね」


「……ごめん」


「ううん。けど……仮にそう言われても、堂々としていれば周りもわかってくれると思う。生まれてくるこの子もきっと、傷つかなくて良いんだって分かると思う。海だって、今までずっとそうやって周りを黙らせて、同じような境遇の人達に希望を与えてきたでしょう?」


「……」


 誰になんと言われようと、僕は自分を否定してはいけない。マイノリティの希望になると、帆波と約束をしたから。


「一緒に守ろうね。この子のこと。何があっても」


「……うん」


「海はいつから仕事休む?」


「もうすぐに休みを申請するよ。仕事上酒扱わなきゃいけないから……妊婦には出来ない」


「けど、自分で飲むわけじゃないんだろ?」


「うん。でも味見するし。それに……あそこ居たらうっかり飲みそう」


「うっかりって。おいおい。家でも気をつけてよ?」


「大丈夫。……タバコも辞めなきゃね」


「そうだね。税金も上がってくるらしいしね。身体にも悪いし」


「……麗音」


「ん?」


「……ありがとう。君には感謝してもしきれない」


「どういたしまして。あ、そうそう。両親への報告も嫌かもしれないけど、やっぱり俺は、ちゃんと行った方がいいと思う。俺は海のご両親と仲良くしたいし。どっちから行く?」


「……じゃあ、先にこっちから」


「分かった。連絡入れておいて。俺も休み取るから」


「……うん」


 両親の前に、まずは古市さんに報告をした。彼はおめでとうとは言わなかったが『生まれたらみせにきて』と言ってくれた。なのか、なのか迷ったが、まぁ、おそらく後者だろう。

 次に兄に報告した。物凄く驚いていたが、僕の子が自分の子と同級生になることを喜んでいた。兄もおめでとうとは言ってくれなかった。古市さんも兄も気を使ってくれているのだろう。実際僕も、おめでとうと言われるのは複雑だった。


 両親は二人揃って「おめでとう」と言った。そして案の定「普通になれてよかった」と続けた。すると、僕の代わりに麗音が言い返してくれた。「今までの彼女が普通じゃなかったみたいな言い方やめてください。今までの彼女を否定するようなこと言わないでください」と。それを聞いて僕はようやく気付いた。彼のこういうところを好きになったのだと。そして、この人をパートナーとして選んでよかったと、心から思った。


「……ありがとう」


「うん。どういたしまして」


 その日はそのまま、月子と帆波の元へ報告をしに行った。


「……月子、帆波。僕は麗音と結婚することになりました。お腹に一人、彼との子供がいます。……妥協したわけでも、世間体を気にしたわけでもないし、二人との約束もちゃんと覚えてます。僕も驚いてます。男性を愛する日が来るなんて、想像もしなかった。……悩んだけど、籍は入れた。入れたくなかったけど、入れた。生まれてくる子のことを考えるとやっぱり、入れざるを得なかった。ねぇ、二人とも、僕のこと、裏切ったって思う?」


 墓に問いかけても、二人は何も答えない。代わりに隣から「大丈夫」と聞こえた。そして手を握られる。


「水元さん、天龍さん。二人が海に託した希望は、俺も一緒に背負うことにしました。俺と結婚することで海のこと『同性愛者じゃなくなった』とか言う人も居たけど、そんなこと無いです。この人、今でも女の尻追いかけてます。街中で美人見ると立ち止まって振り返って凝視してます」


「おい」


「女の子の方が良いんでしょって聞くと、悪びれることなく『そりゃそうだ』とか言う人ですよ。この間も女性からナンパされて『僕女だけど良い?』とか言うし。お店通ってるし。遊びだから浮気じゃないとか言うし。海は今でも女の子大好きですよ」


「ごめんて」


「やだ」


「……愛してるよ。麗音」


 僕がそう言うと、彼は黙り込む。そしてため息を吐き、天を仰いでこう続けた。


「……水元さん、天龍さん。海は見ての通り、クズです。愛してるって言えばなんでも許されると思ってるクズです」


「事実じゃん。ね。許してよ。ハニー」


「……ずるいよダーリン」


「ははっ。君がちょろいだけだよ。……けど、愛してるのは本当だよ。君は男だけど、そんなことどうでも良くなってしまうくらい、君が好き」


「……らしいです。……今でも女の子にしか興味ないけど、何故か、俺だけは例外なんだって。周りの人はあんまり理解してくれないし、批判する人も少なくないけれど、俺は海がそういうなら、それで良いと思うんです。誰がなんと言おうと、俺は海を信じます」


「……」


「泣いてる?海ちゃん」


「……ムカつくから遊んで発散してくるね」


「ちょっと。なんでそれわざわざ言うの?せめて隠してくれない?」


「妬いてる君が可愛いから」


「うっわっ!タチ悪っ……」


「はははっ。ごめん。冗談だよ。今日は行かない。……ありがとね。こんなクズを愛してくれて」


「……冗談も度がすぎると愛想尽かすよ」


「大丈夫大丈夫。君は愛想尽かさない」


「何を根拠に」


「そりゃ、幼い頃からずっと執着してるのに、今更簡単に手放せるわけないじゃん。……それに僕も……」


「……僕も?何?」


 期待するようにニヤニヤする彼。愛してると伝えようとしたが、その顔を見るとなんだかムカついて素直に言えなくなってしまった。


「……こんな都合の良い男、手放したくないしね」


「最低!そこは素直に愛してるって言ってよ!」


「はいはい。愛してるよー」


「心がこもってない!」


「……愛してるよ。麗音」


「くっ……顔と声が良い……好き……」


「はははっ。ちょろいな」


「悔しい……」


 こんな最低な冗談を言っても許してくれるのはきっと彼だけだ。……都合の良い男だと思っているのはまぁ、嘘ではない。だけど、彼を愛しているのも本当。じゃなかったら今腹の中にいるこの子を産もうとは思わない。


「……そんなわけで、帆波、月子。ごめんね。僕は主人公にはなれなかった。けど、二人が託した希望を繋ぐことは死ぬまでやめないから。約束する。僕は死ぬまで絶対に希望を捨てないって。主人公にはなれなかったけど、代わりに、マイノリティとマジョリティの架け橋になることにしたの。多分、僕みたいに異性愛者そのものに対して憎しみを抱いているマイノリティって少なくないと思うんだ。ほとんどは無意識かもしれないけどね。僕もこっち側に立って初めて気づいたから。平等を謳うなら、憎むべきは差別そのものであって、異性愛そのものではないってことも訴えなきゃいけないと思うんだ。だから……うん。僕はあれだ、主人公じゃなくて、的なポジションに立つことにするよ」


「ということは、シーズン2の主人公はこの子になるのか?」


そう言って麗音が僕の腹を撫でる。


「はははっ。そうなったら胸熱だよね。けど……この子が誰を愛そうとも、恋愛をしない生き方を選ぼうとも、それはこの子の自由だってことは忘れないようにしなきゃね。僕らの夢を押し付けないようにしなきゃ」


「……そうだね」


「帆波、月子。いつか、二人が夢見た希望の物語が始まったら、その時は必ず報告しに来るね。……またね。二人とも」


 それから数日後に彼の両親にも報告をした。驚いてはいたけれど、泣きながら祝福をしてくれた。式を挙げないことに関してもあっさり納得して、僕らの想いを尊重してくれた。彼の家は、実家より居心地が良かった。泣きたくなるほど暖かかった。

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