第14話:認めざるを得ない
翌日。ベッドで眠る彼の寝顔が、酷く可愛く思えた。胸がときめく。違う。違う。気のせいだ。これは恋なんかじゃないと否定して、部屋を出てキッチンへ向かう。
朝ごはんを作っていると「おはよう」と彼の優しい声が聞こえた。その瞬間、心臓が飛び跳ねた。違う。これは恋なんかじゃない。だって、彼は男性で、僕は女性で、同性愛者だから。
「……海ちゃん?」
「……」
「海!」
「……」
「海!味噌汁吹きこぼれてる!」
「へっ……うわっ!」
味噌汁が吹きこぼれる音ではっとし、慌てて火を切る。
「海。代わるよ。今日は俺がご飯作る。席ついて待ってて」
そう言って鍋の前に立ってくれた彼の背中がやけに頼もしく見えた。頭を寄せて、腰に腕を回す。彼はわざわざ火を止めて、向き直して僕を抱きしめた。
「どうしたの?大丈夫?」
少し早い心臓の音が伝わってくる。これは彼の音。僕のじゃない。僕じゃない。こんなに早いわけない。
「……海ちゃん。どうしたの。昨日何かあった?」
耳元で聞こえる優しい声に、心臓がはしゃぐ。
嫌だ。怖い。
「麗音……」
「ん?なに?」
「セックスしよ」
「いや、しないってば。朝から何」
「お願い。しようよ。……したらきっと、分かるから。勘違いだって、分かるから」
「……勘違い?」
「僕、変なんだ。君は男なのに。男なんて嫌いなのに。僕は同性愛者で、君は男なのに。なんで……なんでこんなに……心臓がうるさいの……なんでこんなに胸が苦しいの」
「海……」
「ねぇ、お願い。ヤらせて。全部勘違いだって、証明させて。じゃないと、今までの恋が全部、一過性の感情だったことになってしまいそうで——「ならないよ」
彼は僕をきつく抱きしめて、静かに、だけど強めに僕の言葉を否定した。
「……ならないよ。大丈夫。大丈夫だから……一旦落ち着こうか。おいで」
彼は僕を台所から連れ出して食卓の席につかせると、紅茶を淹れてくれた。
「……落ち着いた?」
「……紅茶淹れるの下手くそだね」
「文句言う元気があるなら大丈夫だね。良かった。……昨日、何かあった?」
「……仕事辞めてきたの」
「えっ。仕事?辞めたの?あんなに良い職場だって言ってたのに?」
「ううん。……バーテンダーじゃない方の仕事」
「ん?なんか副業してたの?」
「……身体売ってた」
「へ!? でも、君は……」
「女性間風俗」
「女性間?」
「……いわゆるレズ風俗。キャストも客も女性しかいない。……レズ風俗って言い方は好きじゃないから」
「……」
「冷めた?」
「……ううん」
「……冷めてよ。嫌いになったって言って。そんな仕事してたなんて幻滅したって言ってよ」
「いや……遊びまくってること知ってるし、今更幻滅したりはしないよ」
「なんで……」
「言わなくても分かるだろ?」
『愛してるから』その言葉を今は彼の口から聞きたくない。彼はそれを察してくれたのだろう。だけどそんな気遣いは全くの無意味だった。
胸が痛い。息が苦しい。彼が欲しい。触れたい。触れて欲しい。彼が好き。愛してる。だけどそれを認めたら、月子と帆波、それと美夜を裏切ってしまうような気がした。
好きな男が出来たと二人目の元カノにフラれた時『結局世間体を選ぶんだ』と、僕は彼女に言った。バーでも、レズビアンやゲイの人達からそういう愚痴を聞いてきた。異性を愛した同性愛者は裏切り者だと、僕自身もそう思っていた。結局世間体なんだと軽蔑した。異性と結婚したくせに同性愛者を自称する人に憤りを覚えたこともあった。バイセクシャルの人は最終的には異性を選ぶという偏見が僕の中にもあった。全てがブーメランのように戻ってきて、僕の心に突き刺さる。
「……海」
「やだ!触んないで!気持ち悪い!」
腕に触れた彼の手を反射的に払い除ける。カップに腕が当たり、テーブルから落ちて音を立てて割れた。
「あ……ごめん……」
「待って。俺が片付けるまで動かないで。危ないから」
そう言って彼は雑巾を持ってきて濡れた床を拭いて、割れたティーカップを片付けてくれた。
どこまでも優しい。その優しさが、それにときめく自分が怖くて仕方ない。こんなの勘違いだと証明したくて、僕は彼がティーカップを片付けるのを待ってから、彼の手を引いて寝室に連れ込んだ。
「えっ。ちょ。海ちゃん!?わっ」
ベッドに投げ倒して、上に乗って、彼の服に手をかける。
「ちょ、ちょっと待った!えっちなことはしないって約束!同意のない性行為は犯罪ですよ!」
「知らない!そんな約束もうどうでも良い!全部どうでも良いの!君のことなんて大嫌い!君が傷つこうが、自分が性犯罪者扱いされようがどうでもいい!」
「お、落ち着けって!」
「いいじゃん!君だってしたかったんでしょ!なんで抵抗するの!」
「君のことを愛してるからだよ!」
思わず手を止める。
「……意味分かんないよ。愛してるならしたいでしょ」
「……まぁ、したいかしたくないかで言われたら、正直したいですけど」
「したいんじゃん」
「そりゃしたいよ。好きだもん!けど、こんな雑な抱かれ方は嫌だ!」
「なんだよそれ……乙女かよ……」
「乙女心は複雑なんですぅー」
「男だろ君は……」
「男だよ。ほら」
そう言って彼は着ていたシャツを脱いで上半身裸になる。
「……ぶえっくしゅん!寒っ!」
「馬鹿。寒いに決まってんだろ。冬だぞ」
肌布団を彼の肩にかける。すると彼は布団に包まって語り始めた。
「……海ちゃん。俺は今まで、同性を好きになったことはないんだ。同性を好きになるなんて考えられない。だから自分は異性愛者だと思ってた」
「思ってたって何。違うの?」
「うーん……俺ね、今まで彼女いた事あったけど、結局好きになれたことなかったんだ。ずっと、君のことばかり考えてた。それでね、改めて考えてみたら、君のことはきっと、男でも好きになってたと思うんだ。君は女の子だから、仮定の話でしかないけど」
「……なにそれ。キモいな」
「はいはい。キモくてごめんね。……人間ってさ、必ずしも異性愛者と同性愛者の二種類だけに分けられるわけじゃないじゃない?例えばほら、なんだっけ……バイセクシャル?っていうの?男性も女性も恋愛対象になるよって人もいるんでしょう?」
「……うん。けど僕は同性愛者だよ。男性は恋愛対象外だから」
だけど、心臓は激しく主張する。彼に対する恋心を。瞳から溢れた涙を彼の指が拭う。
「……俺のこと、好き?」
「好きだよ。けど、恋じゃない。だって君は男で、僕は同性愛者だから。恋だって、認めたくない」
「……俺的には認めてほしいな」
「嫌だ。認めたら僕はレズビアンじゃなくなっちゃう。帆波達を裏切っちゃう」
「水元さん達は怒らないと思うけどなぁ」
「……やだ。今までの恋を否定することになっちゃう」
「……ならないよ。今までの恋は全部本物。誰がなんと言おうとも、君が本物だったと言えば本物になる。さっきも言ったろ。世の中は同性愛者と異性愛者しかいないわけじゃないって」
「っ……けど僕は、バイじゃない。男性を好きにならない」
「君がレズビアンだというのなら、レズビアンでいいんじゃない?」
「けど、君は男だ」
「じゃあきっと、俺は例外なんだね」
「自惚れんな。好きじゃないって言ってんだろ」
「……なら、俺のこと抱いて」
「はぁ!?今の流れでなんでそうなる!?」
「それで白黒はっきりするんだろ?」
そう言って彼はベッドに転がった。
「……優しくしないからね」
「えー……初めてだから優しくしてほしい」
「童貞じゃないくせに何言ってんだ」
「抱かれる側になるのは初めてだよ。ねぇ、どうしたらいい?」
「……何もしなくて良い。僕に任せて」
「ん。分かった。嫌になったらやめて良いからね」
「抱かれる側のくせに何言ってんだよ」
改めて上に乗り、唇を重ねる。恋がそうでないかの証明なんて、それだけで充分すぎた。けれど、そこで止めることなんてもう出来なかった。彼に触れたいとうるさくはしゃぐ心臓に従って彼に触れた。しかし——
「っ……か、海ちゃん……待った……ストップ……」
「誘ったのは君だろう。やめないよ。最後までする」
「いや、あの……そうじゃなくて……良いとは言ったけど物凄く大事なこと忘れてる……」
「……大事なこと?」
「……赤ちゃん……出来ちゃったら大変だから……」
「……あぁ……そうか。……セックスって本来、子供作るための行為だったね。ごめん。今までそんなの気にしたことなかったから」
「そ、そうか……」
女性同士のセックスしか経験のなかった僕は、避妊のことをすっかり忘れていた。
「……今日はこれでおしまいにしようか。もう、自分の気持ちに答えは出ただろ?」
「……出てるよ。とっくに。認めたくなかっただけ」
「もう認められる?」
「……ありがとう。麗音。僕のこと愛してくれて。……愛してる」
僕がそういうと、彼は目を丸くして、そして潤ませて、ぼたぼたと涙をこぼし始めた。
「泣くなよ。認めろって言ったのはそっちだろ」
「だって……叶わないって諦めてた恋だったから……」
泣き噦る彼を抱きしめる。
「……好きだよ」
「俺も好き。ずっと好き。これからもずっと」
「……うん。……ねぇ、麗音」
「何?」
「……こっちに引っ越してきて。一緒に暮らそう」
「……うん」
「……けど、結婚はしたくない。異性愛者の特権なんて、利用したくない」
「……うん。分かった」
「……好き」
「ありがとう。俺も好きだよ」
彼の涙に釣られて、僕も釣られて涙をこぼす。
「……今まで……ごめん……」
「良いよ。全部俺が好きでやったことだから」
「……馬鹿だな。少しくらい責めろよ。全肯定はしないって言ったくせに」
「……反省してるなら、愛で返して」
「なんだよそれ……」
「……俺の恋人になって。海」
「……うん」
こうして僕は彼と正式に恋人同士になった。そのことを友人に話すと、案の定、同性愛者の友人からは『裏切った』とか『結局世間体か』という声が多く上がったけれど、祝福してくれる人が全くいないわけではなかった。だけどその祝福の声の中には「やっと普通になれたね」というような声もあって、その言葉は僕の罪悪感を煽った。それでも彼のことはもう、手放せなかった。
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