第10話:11月22日
それから数日後の11月21日の夜。
古市さんに頼み込み、月子と帆波のために店を貸し切った。
「……カクテルにはカクテル言葉っていうのがあるんだ」
「へぇ。花言葉みたいなやつ?」
「そう」
二人のために作ったのはジンをベースにしたギムレットというカクテル。
「……ギムレットのカクテル言葉は『遠い人を想う』それともう一つ『長いお別れ』」
「……長いお別れか」
「友人の門出にはぴったりだろう?」
「気障だなぁ」
帆波は、この後死にに行くとは思えないほど平然としていた。
「……今日まで協力してくれてありがとね。海」
月子がじっとテーブルを見つめたまま言う。いつも通りな帆波とは対照的に、月子は震えていた。帆波が上着を脱いで、月子に着せる。震えているのは寒さからじゃないということは帆波には分からないのか、それとも分からないフリをしていたのか。多分、後者だと思う。
「本当、助かったよ。ありがとう。海」
これから遊園地に遊びに行く子供のようにご機嫌に足を揺らす帆波。だけどその瞳には、一切光が差さない。
「……うん」
「……」
「……」
静寂の中、時計の針の音が店内に大きく響く。二人があらかじめ決めた最期の日が、刻一刻と近づく度、心臓が高鳴る。二人に伝え残したことがないか、必死に探す。
「……ねぇ、海。この国の法律が変わるのって、何年後になるかな」
ギムレットを一口飲み、一呼吸置いて、帆波は僕に問う。
「……僕が生きている間には変わる。そう信じているから……僕にあのビデオメッセージを託したんだろ?」
「……うん」
託された希望が重くのしかかる。『寿命が来るまでまで生きる理由ができて良かったね』と、もう一人の僕が嫌味っぽく笑った。
「……あ、そうだ、海。これもお願いね」
帆波はそう言って、カバンから二通の手紙を渡した。差出人はそれぞれ、月子と帆波。宛先は美夜だ。
「……預かっておく」
「ありがとう。……ごめんね。こんな辛い役やらせちゃって」
「……僕はあの日、死ぬはずだった。いや、死んだ。今ここに居る僕は……ただ単に、寿命を迎えるまで死ねない呪いに操られてる屍だ。だから……辛いとか、そういう気持ちも、もう無いんだ」
嘘だ。本当はすごく辛い。
「その証拠に、君達がこれから死ぬっていうのに——もう一生会えなくなるってのに、涙一つ流れない」
これは本当。泣きたくてたまらないのに、涙は一滴も出ない。
空になったカクテルグラスにウィスキーを注ぎ、一気に流し込む。現実から逃げるように。
「だから、罪悪感を覚える必要はない。僕は二人の選択を責めたりしないから」
「……相変わらず優しいね。海は」
「……優しくないよ。大切な人を大切に出来ないクズだ」
「大切な人って、美夜のこと?」
「……さぁね」
カチッ、カチッ、カチッ……時計の針が、二人の命日へのカウントダウンをする。二人が時計を見あげた。釣られるように見る。日付が変わるまで、あと五分。
「……輪廻転生の周期って、どれくらいなんだっけ」
帆波が僕に問う。僕は彼女を見ずに答える。
「百年から二百年くらいだって言われてるよ」
「……そっか。じゃあ、またいつか、向こうで会えそうだね」
「……あぁ」
時計の長針が、カチッと音を立てて、一歩先にいた短針に追いつき、重なった。
「……変わったね。日付け」
二人の方を見ずに呟く。顔を見てしまえば、引き止めてしまいそうだから。
「……うん。行こっか。月子」
帆波が立ち上がり、月子に手を差し伸べる。
月子は俯き、ふーと長いため息を吐いて、顔を上げた。そして、震える手を、恐る恐る帆波に伸ばす。帆波はその手を握って、優しく笑った。そして月子を抱きしめ、これから死ぬとは思えないほど優しい声で、彼女は囁く。
「大丈夫。一緒だよ。月子」
「……うん。……じゃあ、海。またね」
「……あぁ。……また」
二人は手を取り合い、店を出て行く。二人の方を見ずに、背を向けて手を振った。
カランカランと、バーの玄関の鈴が音を鳴した。まるで、二人の門出を祝うように。
二人が居なくなった瞬間、タイミングを測っていたかのように涙が溢れ出した。
カチ、カチ、カチ……秒針の音が響くたび、心臓が高鳴る。二人と過ごした日々が走馬灯のように蘇る。行かないでほしい。僕を残して行かないでほしい。行くならせめて、一緒に連れて行ってほしい。だけど——
『私達の物語は悲劇で終わる。けど、主人公は私達じゃない。物語はまだ続く。私達の悲劇は希望のための舞台装置』
『海が居ないと、私達の死はただの悲劇で終わっちゃう。すぐにみんなに忘れられてしまう。ねぇ海。私達の終わりを意味あるものにして。後世に語り継いで。お願い。海にしか頼めない。お願いします』
帆波の言葉が鎖のように足に巻き付いて、僕はその場から一歩も動けなかった。
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