新しい日本昔ばなし

ninjin

第一夜



「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました・・・」


「ええ~、またモモタロウ~?」


 小学2年生になる息子にせがまれ、寝かせつけの昔話を話し始めたところ、我が子ながら実に我儘に育ってしまったものである。事もあろうに「桃太郎は嫌だ」と言う。


「じゃ、浦島太郎にするかい?」


「やだ」


「んー、そしたら3匹の子豚?」


「やだ」


「それじゃあ、フランダースの犬・・・いや、そういえば、お父さん、フランダースの犬知らないや」


「それ。それにして。フラダンスの犬!」


 クレヨンしんちゃんか?うちの息子は。


 子供には「フランダース」が「フラダンス」に聞こえるのか、それともクレヨンしんちゃんでしんのすけが言っていたのを、訳も分からず面白がっているのか?


 確かにうちの子はクレヨンしんちゃんが大好きで、毎週テレビにかぶりつきで見ている様だ。私も学生時代から大好きな漫画ではあった。


 だがしかし、あれは大人から見て子供の様子が可笑しかったり懐かしかったり、大人たちのくだらない見栄や日常生活の風刺だったりが面白いのであって、当の子どもが影響されてる様じゃ、親である私の教育がまるで為っていないと言われても仕方がない。


「だから、フラダンス、じゃなくて、フランダースの犬は、お父さん知らないんだって。お父さんも小さい頃、テレビ漫画で見てただけで、あんまり話を覚えていないんだよ」


 息子はキョトンとした目でこちらを見ている。


「ん?どうしたんだい?」


「おとうさん、テレビまんがってなに?アニメのこと?むかしはテレビまんがって言ったの?」


 その言い口調は、少し私を小ばかにしているニュアンスを含んでいた。これは絶対に妻の影響に決まっている。


 嗚呼、我が子ながら・・・でも、憎めないんだよなぁ。妻のことも大好き過ぎて、私自身が自分で自分に「俺、本当に大丈夫か?」と思うことさえある。


 会社の同僚は何時も、自らの嫁の悪口を言い、子供の反抗期を嘆いているけれど、私にはまったく理解のできない話だった。


 分かっている。結婚10年も経って「妻と子供が大好きです」とか、真面目にそんなことを言う奴は「気持ち悪い」奴に決まっている。私もつい10年前まではそう思っていた気がする、多分。


 まぁ、そんな話はどうでも良い。今は寝かせつけに何の話をするかを決めなければ。


「そうか、そうだね。お父さんの子どもの頃は『テレビ漫画』って言ってたけど、お父さんちょっと古臭いな。ははは。じゃ、古くない、『新しい』お話をしよう」




「昔々、あるところに・・・」


「え~、また一緒じゃぁん」


「ちゃんと聞いて。『新しい』タイプなんだから。じゃ、行くよ。昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんは住んでいましたか?」


「?」


「さぁ、答えて。住んでいましたか?」


「えっと、住んでいました」


「はい、住んでいましたね。ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きましたか?」


「ええと、行きました」


「分かって来たねぇ。そう、おじいさんは芝刈りに、おばあさんは洗濯に行ったんだよね」


「ねぇ、おとうさん、違う答えしていいの?」


「良いよ、好きに答えて良いよ」


「どうなるの?」


「さぁ?どうなるのかな?じゃ、続きを行くから、ちゃんとお布団に入って」


 私は半身を起こしてしまった息子をなだめるように布団に戻して、再び話に戻った。


「おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から何やら大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきましたか?」


 息子は少し考えてる風にしてから答えた。


「・・・来ませんでしたっ」


「桃は流れて来ませんでした。おばあさんは洗濯が終わると、家へ帰りましたとさ。おっしまい」


 息子は再び上半身を今度はガバッと跳ね起こし、目をぱちくりさせて私を見詰めた。


「おとうさん、ずるい」


「ずるくないさ、桃が流れてこなかったら、おばあさんだって洗濯が終わったら、そのまま帰るだろ?」


 クスクス笑う私に、彼は子どもながらの怒りの目を向けて「おとうさん、もいっかい」と言う。


「良いよ。じゃぁこうしよう。お手つきは3回まで。今ので1回。あと2回お手つきしたらお終い。分かったね」


 息子は何故かニコニコしながら自ら布団に潜り込む。


「じゃ、最初から。昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんは住んでいましたか?」


「住んでいましたっ」


「ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きましたか?」


「行きましたっ」


「おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から何やら大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきましたか?」


 息子はここで、すぅっと息を吸い込むようにしてから、


「流れてきましたっ」


 勢いをつけて嬉しそうに答える。


「よぉし、さっきのところまでクリアだ。良かったね。じゃ、次行くよ」


 私も段々と楽しくなってきた。


「おばあさんは、その大きな桃を川から拾い上げましたか?」


「ひろいました。ははははっ」


 何故だか息子はそこでゲラゲラ笑いだした。私も笑いを堪えながら、話を続ける。


「おばあさんは拾った桃を、家へ持ち帰りましたか?」


「もちかえりました」


「おばあさんは、持ち帰った桃を戸棚に仕舞って、おじいさんの帰りを待ちましたか?」


 あれ?息子は返事をしない。どうしたのかな、と思って息子の顔を覗き込むと、彼は少し考え込むような顔をして、私の方を見返してきた。


「どうしたの?」


「おとうさん、そういえば、『とだな』ってなに?」


「?」


 私も一瞬答えに窮したが、「ああ、成程」と合点がいった。


「ああ、戸棚かぁ。戸棚っていうのは、お母さんがいつも言ってる『収納』ってことだよ。台所の流し台の上とか下とかにあるだろ?ん?ちょっと違うか?でも、そういう物を仕舞う場所のことだよ」


 そういえば、妻は何でもかんでも『収納』という言葉を使う。彼女は「そのサラダボウル、収納に仕舞っておいて」「あなた、キッチンバサミを収納から取って」みたいな感じで、大体に於いて『収納』から物を出したり仕舞ったりを、私や息子に指示する役目の人だ。


 いや、勿論、彼女の悪口を言っている訳ではない。


 ふと、息子に目を遣ると、再び彼は眉間に小さな皺を寄せ、何やら考え込む様な顔をしていた。


「おとうさん、『しゅうのう』なんかにモモをしまうと、おいしくないよ。モモは冷蔵庫がいいんじゃない?」


「そうかそうか、じゃぁ、冷蔵庫に入れることにしよう」


 おや?何か話がおかしくなってきたかな。まぁ良いでしょう。子どもの想像力を無闇に否定してはいけないのだ。


「では、おばあさんは、持ち帰った桃を冷蔵庫に仕舞いましたか?」


「しまいましたっ」


「そして、おばあさんは、おじいさんの帰りを待ちましたか?」


「ユーチューブを見て待ちましたっ」


「ん?何でユーチューブなの?」


「だって、おかあさん、いつもおとうさんが帰ってくるまでユーチューブに教えて貰いながらお料理作ってるよ」


 へぇ、そうなんだぁ。毎日おいしい夕飯を作ってくれている妻に、改めて感謝だなぁ。結婚して10年、未だに日々新鮮な気持ちで毎日を過ごせるのは、私には過ぎた妻のお蔭だ。


 少し感動して、涙さえこぼれそうになる。


「どうしたの?おとうさん?」


 息子の言葉に我に返った。


「ああ、いや、何でもない。おかあさんは偉いね。毎日お料理のお勉強して、美味しいご飯を作ってくれてるんだね。おかあさんには感謝しなきゃいけないなぁ。毎日、美味しいご飯をありがとうって」


 すると息子はちょっぴり不満そうにこう言う。


「でもぼくは、本当はエビフライが好きなんだけど・・・もこみちさんは、エビフライ教えてくれないみたいなんだよね」


 ‼


 あ、そういうことね。結婚前の交際時代から、妻は速水もこみちの大ファンだった。別にそれはどうこういうことは無い。唯、『オリーブオイルを切らしたから、会社帰りに買って来て』とリクエストされる頻度が、多分、他の家庭より随分と多い様な気がしていたのは間違いではなかったという事が、今、証明されました。


 もこみちと言えば、=オリーブオイル。オリーブオイルと言えば、=速水もこみち。これ、日本の常識。『ちょっとあなた、そこのもこみち取って』と言われれば、そこにあるオリーブオイルを渡してあげれば良いのだ。


 気を取り直して、


「でもね、エビフライは家で作るのは大変なんだよ。じゃぁ、今度の休みはエビフライを食べにジョナサンに行こう」


 息子の顔がパッと明るくなって「うん、行こう、行こうっ」とはしゃぎだす。


「さて、どこまで話したっけ?」


 おや?


 今の今まで『エビフライっ』とはしゃいでいたと思ったのだが、いつの間にか息子はスースーと寝息を立てている。


 私は起こさない様にそっと息子の寝床から起き上がり、ちゃんと寝たかどうか、確認する様に顔を覗き込んでみた。


 何だか嬉しそうにニヤついてる。


 エビフライの夢でも見ているのか、桃を冷蔵庫に仕舞っている夢なのか・・・。


 私は小さく「おやすみ」と言ってから、息子の部屋の扉をゆっくりと閉めた。


 リビングキッチンに戻ると、妻がこちらを見ながら「寝た?」と訊いてきた。


 私はキッチンカウンターの調味料置きに目を遣りながら「うん、思ったより早く寝てくれた」と答えた。


「何か、あなた楽しそう」


「え、そう?」


「うん、楽しそうよ」


「ところで、明日、帰りにオリーブオイル買ってこようか?」


「どうしたの?お願いしようと思ってたんだけど、超能力?」


 妻も可笑しそうにクスクス笑う。


 調味料置き場のオリーブオイルの瓶は、1/3ほどになっていたから。




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