『I LOVE YOU』には敵わない。

春菊 甘藍

第1話 進まぬ原稿


大学生、江藤辰巳えとうたつみは悩んでいた。


「書けない……」


彼は小説家を夢見ていた。今度、新人賞に出すための作品が書けないで居るのだ。モラトリアムに許された時間を費やして、孤独にひたすら……スマホにメッセージが入る。


『今日む?』


 孤独ではなかったけども、書いていた。大学の同級生、綿貫紗菜わたぬきさなからのメッセージ。素っ気ない文面は彼女らしい。


「呑む!!」


 酒に酔った翌日に書いた物は見るにえない。誤字脱字だけならまだしも、素面しらふでは絶対に書けない臭い文言もんごん赤面悶絶せきめんもんぜつ、間違い無し。


 酒を呑むのが好きだから。二十歳はたちを越えたがゆえの楽しみ。数少ない交友関係の中、誘われたとあっては断る理由は無い。


「あー……」


 書きかけのプロット。付箋ふせんだらけのノートパソコン。一人暮らしのボロアパートの一室には、彼のいまだ道半ばな夢がある。


「よし」


 ネタ帳を持ち、まるで言い訳をしているような気分で部屋を出る。財布とスマホはいわずもがな持って。


 待ち合わせの店へと急ぐ。彼女は喫煙者であるため、決まって店は喫煙可、うるさいのも苦手なため個室席の予約は欠かせない。こうして誘ってくれたということは事前に予約してたのだろう。


「えーっと。あ、いたいた」


 目的地、店の看板の辺りに彼女はいた。


 ダボついた黒いバンドTシャツにホットパンツ姿というラフな格好。大きめの帽子キャップに左耳のピアス。少し長めのショートヘア。確かミディアムと言うんだったか。インナーカラー、髪の内側だけピンクになっている。


 こちらに気付き、小さく手を上げる。何だかその控えめな仕草が……


「ィィ……」


「しみじみと言わないでよ」


 控えめな声。少し低めの声を彼女自身は気にしているみたいで。


「小声で喋ったのに聞こえてるのか……」


「バンドマンだからね」


 綿貫わたぬきは大学のバンドサークルでベースを担当している。ボーカルは恥ずかしくて出来ないらしいが、僕個人としては彼女のハスキーな歌声を聞きたい。中々言い出せないが。


「いこ」


 綿貫はこちらに振り返り、入店をうながしてくる。店に入る時、何故か彼女は縦一列になって僕の後ろに隠れる。


 何だ、そのなりで恥ずかしいはないだろう。


「あ、二名です」


 店員さんに案内され、個室に到着。綿貫が帽子を外す。


「行き詰まってた……でしょ?」


 早速、煙草に火を付け、綿貫は言う。

 図星。彼女の前で、僕は嘘がつけない。


「そそそ、そんなことねぇし」


「ほんとさ。もうちょっと嘘上手くなった方がいいよ……」


 ため息みたいに煙を吐いている。

 綿貫は僕が小説を書いていることを知っている。


「最初は何頼む?」


 やれやれとばかりに彼女はメニューを見る。僕はビール、彼女はカクテルスクリュードライバーを頼んだ。つまみはコースでまずは枝豆らしい。


「乾杯~」


「ん」


 乾杯の音頭おんどを取るが、彼女はあくまでクール。ノッてこない。


「バンドはどう?」


「なに、その父親みたいな質問」


 彼女は枝豆を口に運びながら、カクテルを一口。


「この前のライブは上手くいった」


「おう、見てたよ」


 彼女が所属するバンドのライブ。ライブハウスは大学の人だけでなく、何名かメンバー以外の人もいた。


「ずっと私ばかり見てたでしょ」


「え~、だって他に知り合い居なかったし~」


 思えば、そのライブ中の記憶は彼女ばかり。立体的な音響は、会場の熱気も相まってステージに立つ彼女はやけにきらめいていたのを覚えている。


辰巳たつみは、サークル入らないの?」


「さすがに、ね?」


 笑って、誤魔化ごまかす。


「そっか……」


 料理が運ばれてくる。にもかない僕の会話に、綿貫は時々笑ってくれる。彼女が吸った煙草は五本目に入った。


「ねぇ……」


「何?」


 彼女の目が少しトロンとしてきた。いつもジト目の彼女だが、酔うと少しその目は優しげになってくる。僕自身も少し酔いが回ってきたかもしれない。


「……もう、死のうとしないでね」


 彼女の頬に涙が伝う。

 たった一粒。頭がズキリとする。


 痛みと共にフラッシュバックする記憶。

 あの時も君は泣いてた。


「しない。大丈夫だから、心配すんなって」


 心を落ち着け、彼女の目を見る。

 安心させてやれるように。


「これくらいにしておこう。すいません、会計お願いします」


 店員を呼ぶ。


 彼女はだいぶ酔いが回ってしまってる。

 僕自身は、そこまではないが止め時だろう。


 会計を済ませ、店を出る。

 かなり酔ってる綿貫が心配なので、送っていく。

 自販機で彼女の水を買っていると、綿貫が袖を掴んでくる。


「どした?」


 綿貫はうつむいている。袖を掴む力が妙に強い。


「……ごめん。吐きそう」


「ふぁっ?!」


 月が綺麗な夜だった。


 








 


 





 





 

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