魔法による生活改革

「お兄ちゃん! 明日は肥料を回収してきますよ!」


「肥料かあ……アレ高いんだよなあ……」


 作る人には頭が下がるが農業ギルドの肥料は正直に言ってぼったくりだった。大半の人は肥料を使わず土地の栄養だけで作物を育てている。土地が痩せるのを防ぐために畑を二区画にわけて片方ずつ交互に使って土地の栄養を保つなどの工夫はされている。


「何言ってるんですか? とってもいい肥料の素がそこら中にあるでしょう?」


「え?」


「お兄ちゃん、魔物の死体ってとってもいい肥料になるんですよ? 知りませんでしたか?」


「そうなのか?」


「ええ、単純に魔物の体からリンやカリウムも取れるんですが、普通の動物と違って魔物には魔素がたっぷり含まれています。肥料にはうってつけなんですよ!」


 なるほど、さすがは賢者だ。しかし問題はある。


「そもそも魔物ってどうやって狩るんだよ? 俺はイノシシすら狩れないんだぞ?」


 アリスは胸をドンと叩いて言う。


「そこは賢者たる私に任せてくださいよ! もうバンバン狩っていけますよ!」


 ドヤ顔をしているアリスだが、結局根拠らしい物は「私が賢者だから」以上の理由を答えることは無かった。兄としては妹がとても心配なのだが、『農民』と『賢者』では後者の方が圧倒的に信用があり、どちらの言うことを信用するかと何も知らない人に聞けばアリスの方が絶対に信用される。身分制度に近いものになっていた。


 建前上貴族王族とそれ以外で区別されている程度のカテゴリーしか無いが天職というものによる偏見はたっぷりと存在している。


 とはいえ、おそらくアリスならやってしまうのだろうとどこかで考えていた。コイツは天才であり、俺では及びも付かないところに一瞬で上ってしまったのだ。


 不平等を嘆いたってしょうがない。明日のために武器の準備でもしておこうかな?


 そんなことを考えたのだが、あいにく俺は農民だ。武器などと言われても必要が無かったので持っていない。害獣を追い払うことくらいはあったが、それだって精々ギルドから少量の火薬を買って畑に仕掛けて定期的に鳴らして追い払う程度のことだった。駆除をするのはもっぱらハンターや傭兵職の仕事だ。


 そんなことを考えているとアリスから声がかかった。


「お兄ちゃん、私が先にお風呂入っていいですか?」


「え? ああ、沸かせばいいのか? でも今から水を汲んでくるのは……」


 俺の家にもお風呂くらいはある。しかし井戸から大量の水を汲んできて薪を使って沸かすのは結構な重労働だった。しかしアリスが明日大仕事をするんだからそのくらいの権利はあるだろう。


「ああ、水なら魔法で作るから構わないですよ」


 ああ、そうだった。畑に水を降らせられるならお風呂程度の水は簡単に作れるのだろう。


「じゃあ沸かすだけでいいのか? 本当に便利だな」


 賢者というのは便利すぎやしないだろうか? 人をダメにする能力と言って差し支えないだろう。


「いえ、水は炎魔法で簡単に沸きますよ?」


「マジか……」


 どこまでも便利な魔法使いだった。賢者の力でお風呂を用意するなんて無駄遣いもいいところだができるというなら甘えさせてもらおう。


 そのくらいにはお風呂の準備というのは重労働過ぎた。


 アリスはお風呂に行って詠唱をした。


「ジェネレートウォーター」


 ドバッと大きな水の塊が出現して湯船から溢れ、こぼれた水は排水されていった。普段なら溢れないどころか、体が浸かる程度しか水を入れないので贅沢感がとてもすごかった。


「で、後はこれを温めるだけですね」


「ファイアーボール」


 言葉とともに小さな火球が湯船に落ちて消えたかと思うと途端に湯気がもうもうと立ちこめた。


「え!? これでもうお風呂が準備できたのか?」


 今までの重労働は一体なんだったのか……


 アリスは良い笑顔を俺に向けて言う。


「ね、簡単でしょう?」


 それはお前にしか出来ないだろう……


「ま、これで毎日お風呂に入れますし、明日は盛大に狩りができますね!」


 汗や土、あるいは魔物の血まで洗い流せそうな湯量を見て、明日はどんなことになるのか心配になったのだった。


 俺は野菜で料理を作りながら、賢者にこんな粗末な夕食を食べさせていいのだろうかと不安になった。何しろ炒めた野菜と固いパンのみなのだ。アリスならもっと言い食事をすることだって簡単なはずだ。それを俺のために蹴ったのだから俺が精一杯料理くらいはしようと決めて、いつもより具を多く入れたスープや、野菜炒めに卵を入れたりと奮発するのだった。


 料理が出来上がった頃にアリスがお風呂から上がってきた。


「お兄ちゃん、お風呂どうぞ。追加で少し沸かしておいたのでいい感じの温度ですよ」


「ああ、先に食べてていいぞ」


 俺は皿に盛り付けた夕食をテーブルに置いてお風呂に向かった。


「マジで賢者ってすごいな……」


 完璧な温度調整のお風呂に浸かりながら、職業とやらのすごさを改めて理解した。普通なら必死に水くみから始めるのでこんな贅沢な水の使い方はできない。


 お風呂から上がった時に、一枚の紙が置かれているのに気がついた。


『私がいればお風呂だって入り放題ですよ!』


 それだけ書かれた紙を見て、どういう意味かは分からないが今後も安心という意味だろうかと思いながらもう済んでいるであろう夕食のテーブルに向かった。


 そこには俺が盛り付けた時と寸分違わない夕食が並んでいた。なんと湯気までちゃんと出ている。まるで時間が経っていないかのようだったが、俺がお風呂で数刻使っていたのは間違いない、これはあり得ない光景だった。


「ああ、お兄ちゃん! 来てくれましたね、じゃあご飯にしましょうか!」


 そう言って笑顔で俺に向かいに座れと顎でさした。俺は何が何やら分からないまま食事を始めた。


 料理から出ている湯気は間違いなくできたての料理から出るそれであり、一度作った物を炒めた様子は無く不思議でしょうがなかった。


「なあアリス、料理を待っててくれたんだよな? これはどうやって……」


 間違いなくアリスの力だろう。温め直せばいいスープはなんとかなるにしても、一度焼いてしまったパンや、野菜炒めを再び焼き直すと焦げたりパサパサになったりする物だがそんな気配はまるで無かった。


「ふっふっふ……簡単なことです! 料理の時間を止めれば冷めることも固くなることもないんですよ!」


「なっ……時間を止めた……」


「お兄ちゃんも私の手際の良さに驚いているようですね!」


「いやいや、時間停止とか国家の魔道士が総動員されるレベルだろ!? それを料理の保存に使うとか……」


 アリスは何でもないことのように言う。


「こんなんちょろいですよ?」


「タイムフリーズ」


 ピタリと料理が湯気を止めて静止した。試しに盛り付けてある皿に触ってみるがスープに波紋の一つも経たなかった。


「リスタート」


「熱っ」


 料理が再び湯気を立てながらほかほかになる。指に熱が伝わってきて手を引っ込めた。スープの表面はゆらゆらと揺れて先ほどまでの様子はまるで無く、どこからどう見ても普通のスープに戻っていた。


「どうなってるんだよ……」


「これが賢者の力なのですよ! ちなみに空間も弄れるので収納魔法も可能ですよ? これと組み合わせれば無限に傷まない食料を保存できます!」


 食糧事情に革命を起こしそうなとんでもない技術を粗末な料理に使ったことに驚きながらも食事を始めたのだった。


 本当に時間を止めたのは料理を口に入れた時に分かった。これは間違いなくできたてだ。俺が作った直後のまま、何一つ変わっていなかった。


 俺は夢うつつな気持ちのまま明日の予定を立てられるのだった。そこには魔物を乱獲するなどと言う無茶もあったのだが、とんでもないことをしているので呆けてしまい、それがとんでもないことであることに気がついたのは寝る時だった。

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