悪魔の主人


 数日後。


 弩級の吸血鬼2騎は要塞都市ノースフォートレスにたどり着いていた。

 夜闇に紛れた砦の一角は、すでに殺戮が完了していた。

 見張りをしていた騎士たちの血で、天井も床も壁も赤に染まっている。

 転がったランタンの明かりだけが、怪しげに血と暗闇のなかに怪物の姿を照らしだしていた。

 

 2騎は血溜まりのなかから、巨大なノースフォートレスを見下ろす。

 

「暴れがいがあります」

「我の血の魔術で、すべての灯火を破壊してやろう」

「ダメでしょうそれは。ハドスレイ、あなたはセカンドプランです。こちらが先手を打ってそれで万が一にでも終わらなかった場合の暴力です」

「所詮は人間。我ら一級の厄災の敵ではないだろう」

「それでもです。万が一があるかもしれませんからね」

 

 恐ろしき厄災の怪物には等級がある。

 人間が倒せるとされるのは三級と二級まで。

 一級になると緻密な作戦展開、長期にわたる討伐活動、はたまた複数の英雄が討伐にあたってどうにか出来るかという領域だ。

 ゆえに、一級は実施的に”倒せない”とされる超厄災級の怪物である。


 ナダの血脈、第三席次、呪われた血ヴェルフラム。

 ナダの血脈、第六席次、怪腕の血ハドスレイ。

 両者は一級に属し、数多の英雄を葬ってきた怪物のなかの怪物である。


「報復攻撃おいては呪いは最大の威力を発揮します」


 ヴェルフラムは血溜まりを撫でて、舌で手についたそれを舐める。


「あぁ、楽しみですね、高明なナダの血脈を倒せて有頂天になっているのでしょうね」

「ヴェルフラム?」

「くっふふ、待ちきれません、人間の英雄が、血に溺れながら命乞いをする姿、私の血で死なせないようにしながらら、ちょっとずつちょっとずつ内臓を引っ張り出し、咀嚼しながら、死を懇願させるんです。どうですか、ハドスレイ、たまらないでしょう?」


 ハドスレイは目を細める。

 ヴェルフラムは普段は話ができる男だ。

 だが、ひとたび興奮すると、本性が表に出てきてサディスティックに変質するのだ。


「で、どうやって敵の名を知る?」

「簡単です。いくつか殺戮を起こして、ひっぱりだしましょう。人間の英雄は同胞を殺されるとたいていは動いてしまうものですから。一番強そうなのがルドルフィーナを滅ぼした者でしょう」

「なるほど、では我は先にいくぞ」

「くれぐれもそちらは本気で暴れてはいけないですよ。ひっそり、殺戮してください」


 ハドスレイは肩をすくめてうんざりしたように夜の町へ降りて行った。


「さあ、君の名前を教えてください。苦しむ姿を見せてください、くっふふふ」


 呪われた血は、高らかに、楽しげに、新月の夜に笑った。



 ────


 

 アガサは虚無の書を開いたまま立ち尽くし、瞳を閉じる。

 デラメストレアの言うままにしていると、脳裏に不可思議な風景が浮かんできた。

 暗い空、荒廃した大地。

 そのまんなかにある古びた屋敷。


「アガサ様は虚無の悪魔の主人であると共に、悪夢の主人でもある。その悪夢の所有権はアガサ様へ移ったと見ていいです」

「悪夢の主人には何ができる」

「練習次第ですが、おおよそ何でもできます」

「なんでも?」

「悪夢を中継して長距離を移動するのがよく使う方法でしょうか。我々がポンっと現れて、パッと消えるのは悪夢を使っているからです」


 アガサは目を丸くする。

 悪魔と同じことができるのか。

 それはいいな、とちょっと上機嫌になった。

 虚無の書はその後、概念となってアガサのなかへ沈澱した。

 名実ともに悪夢の主人となったのだ。


「おや」

「どうしたんだ」


 デラメストレアは遠くの空を見やる。


「どうやら客人のようですな」

「えぇ?」

「まったくわからないけれど、ねえお兄さま」

「まったくです。ねえお姉さま」

 

 双子とインダーラは釣られるように夜空へ視線を投げた。

 アガサも遠くを見るが、とくになにがあるわけでもない。


「吸血鬼がアガサ様を探していますね。それも2匹います」

「わかるのか?」

「ええ、まあ。どうしますか、良ければ私たちが信頼の礎として片づけますよ」

「わたくしは賛成しかねますねぇ、おじいさま。わざわざわたくしどもが出る幕ではないでしょうぅ」

「それはが逆だよ、インダーラ、アガサ様が出るほどの敵ではないのさ」

「雑魚ですかぁ?」

「雑魚さ」

「でもぉ、出費がぁ」

「我々は暗黒への帰属をやめたのさ。多少は融通が利くだろう」


 アガサには把握できない話だった。

 ゆえ目でインダーラに説明を求める。


「つまりですねぇ──」

「私たちはすべての能力の使用に魔力を使います。つまり攻撃モーションをとるだけでお金がたくさん消えるのです、ねえアガサ様」

「殺したらもっとたくさん出費がかさむんです、ねえアガサ様」

「ねえって言われてもな……」


 なぜかカィナベルとぺォスが答えた。

 

「あっはは、つまりわたくしたち──」

「でも、アガサ様に積極的に前に出てもらうのはなにか忠誠を誓った配下としてなにか違いような気がするのです、ねえお兄さま」

「でも、無駄な出費と浪費は悪魔のポリシーに反します、ねえお姉さま」


 双子は目をうるうるさせてアガサを見上げる。

 ところで、インダーラはいじめられてるんだろうか。

 アガサは不憫な相棒へ淡白な視線をおくる。強く生きろよ、と。


「2人のことはお気になさらず。利用価値を示させていただきましょう」

「それなら半分にしよう。とどめも俺が刺す。だから片割れをたおして見せてくれ」


 悪夢に貯蓄されている資産の利用法の決定権がアガサに移っている以上、浪費はアガサ自身の財布が軽くなるのと同義であった。ゆえに決して裕福な生活を送ったことがないアガサは”浪費”という言葉に敏感であった。


「では、参りましょう」


 デラメストレア率いる虚無の悪魔はそうつげて──気がついた時には、砦のうえのカフェのテラスから、彼らは姿を消していた。主人を連れて。



 ──しばらく後


 

 アガサたちは半径100mに渡って、瓦礫の山とかした中央に吸血鬼を発見した。

 街は荒廃し、火の手がまわり、血が乱れ、そして──氷山に囲まれていた。

 いったい何が起こったのか。

 アガサは目を丸くして、幻像的で、美しい氷に指先をふれる。

 触れた瞬間、そこに剣を感じた。


「これは……」


 これは剣だ。

 この氷すべてが剣におけるひとつの回答。

 炎にたどり着いた剣士がいたように、アガサとは違う回答を出した者がまたひとり現れたのだ。

 

「おんやぁ、あれは剣聖ですねぇ、アガサ様」

「なに?」


 吸血鬼が氷に貫かれ、氷山に固定されている。

 アガサはその技に興味を惹かれた。


「わかった。剣聖は俺がやる。お前たちはあの吸血鬼だ」

「御身もままに、アガサ様」

「すべてはアガサ様の意のままに」

「全力をつくします、アガサ様」


 と言った瞬間、ぺォスの姿は掻き消え、カィナベルは見えざる者を展開し、インダーラは未知の金属で黒い杭を構築し、デラメストレアは枯れ木のような指を鳴らしていた。

 

 なにが起こったのか、理解できた者はアガサをおいてほかにいない。

 悪魔の秘術は超常であり、神秘の最奥だ。

 結果だけ述べるなら、吸血鬼は両目を焼かれ、はらわたを引っ張り出され、四肢を落とされ、黒い十字架にはりつけにされていた。


 一方のアガサは剣聖のもとへ歩みを進めていた。


「この氷はお前の剣だな」

「ひぇ」


 アガサに問われ、剣聖はひどく情けない声をもらした。

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