春は桜と言うけれど

しの

はじめに

 日本人は八百万の神々を崇め奉っている。皇族や歴史上の権力者などの人物だけでなく、山や海に存在する大木や岩などの”自然”をご神体として祀っている地域もある。瀬戸内海に浮かぶ島には山の神と海の神の両方の顔を持つ神様が祀られている神社がある。境内には大きな楠の木があり、ご神木とされている。この神社がある島は、サイクリングの聖地とも呼ばれており、週末になるとサイクリングを兼ねた観光客で賑わう。おそらくこの島に降り立った観光客のほとんどが、この神社を訪れるであろうが、参拝する人は皆、本殿の前に鎮座するその大木の前で頭を下げ、手を合わせている。初めてここを訪れた私は無知ゆえに、その光景に異様さを感じてしまった。天邪鬼な私は、大木を素通りして本殿に参った。しかし、本殿を出て境内の出口に向かおうとしたその足が、自然と大木の前へ向かって行った。そして他の参拝客と同様に、ご神木に向かって合掌してしまったのである。

 今振り返ってみると、その日は気温35℃を超えていたであろう真夏の昼間。本能的に、深緑の葉によって作られた大きな日陰に入りたかっただけかもしれない。私があの木が樹齢2000年を超える由緒あるご神木だと知ったのは、帰宅してからである。


「みんなあの木が、立派なご神木って知ってたんかな?一回素通りしたから罰当たるかな…」



 河川敷に桜の花びらがはらはらと舞う4月上旬、私は桜の木の下で踊り歌う花見客を遠目に眺めながら、そんな昨夏の出来事を思い出していた。そしてふと思った。


「花は神様になるのだろうか」


 花とは、生物学的に言えば、おおよそ植物が子孫を残すために発達させた生殖器官である。一部例外もあるが、義務教育の理科で履修する範囲で説明するならば、植物は、種子から発芽して、茎・葉・根を伸ばし、花を咲かせて雄しべと雌しべを受粉させ、種子を作って子孫を残す。つまり花とは、植物の一生のうち、ごく一部の期間で発達する器官のひとつである。あの楠の木などの樹木でも花を咲かす。

 ここで、山や海を構成するものについて考える。どちらも植物と動物および無機物(水や空気、金属など)から構成される”自然”である。つまり、花は植物の一部であり、また、植物は自然の一部であるのである。

 したがって、我々人間は自然の一部として、何かしらの花を崇め奉っていてもおかしくはないはずだ。


 私は河川敷をヨタヨタ歩きながら、このように仮説を立てて帰宅した。すぐにパソコンを起動し、翌日には大きな本屋を訪ね、関連しそうな本を数冊購入した。1ヶ月ほど考え続け、以下の結論にたどり着いた。


「花は神(もしくは神に準ずる対象)への捧げるためのものであり、花そのものが崇められることはほとんどない」


 まず、一般に神社に奉納される植物はさかきである。花は咲いていない、照葉樹の葉である。神の一人である仏様を奉る寺社は、主に菊などの仏花を捧げている。最近は花手水と言う手水に花を浮かべる神社もある。神の奉られている神社を色鮮やかに彩り、神への信仰心を表している(参拝客誘致に繋がっている)。したがって、花は神に供えるものであるというのが、我々日本人の基本的な思想である。


 しかし例外として、現時点で桜だけは神に近い存在であると私は考えた。桜は万葉集の時代から、何らかの象徴として和歌に詠まれている。


『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』

 これは文字通り『桜』が含まれている歌、教科書に出てくる有名な在原業平の歌。


『願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃』

 これは、西行法師が死期を悟って歌った歌。この歌の『花』は桜を指していると言われている(諸説有り)。どういうわけか、個人的にこの歌は昔から印象に残っている。


 桜を含んだ多くの歌は、作者が自分の強い思い、特に恋の苦しみや死への恐怖や諦めなどの感情を、儚く散る桜に重ねて詠んでいる。辛さから解放されたいという願いを桜に訴えているのかもしれない。この姿は、神社で神に何かを祈願する人の姿と重なるところがあるだろう。

 さらに、春になると日本人が桜の木の下に集い、酒を交わしなが歌い踊る姿は、まるで、帝や将軍などの時の権力者の前で、雅楽に合わせて舞を舞う姿に重なるものがあるのではなかろうか。

 したがって、神に近い(神と同等の)存在である花は、現時点で桜だけであると考えた。



 「もしも桜以外の花が神様になったならば、どのような人がどんな願いを訴え、花はどのように願いを叶えてくれるだろうか」

 そんな世界について考えてみようと思う。

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