第26話 【温泉】

「ひゃああ……とけるねえ」


 かえでがぐだーって温泉にとけている。

 温泉は広くて、悠々と泳げそうですらある。

 水風呂とか、色んな効能があるらしいお風呂が看板で主張をしているけれど、かえでか選んだのは真ん中にある大きなお風呂だった。

 当然かえでがいくならわたしもついて行くわけで、現在に至る。

 お風呂からは蒸気がぶわあーっと立ち込めていて、まるでいつか動画で見た火山みたいだなあ、と思った。

 窓からは薄く外の山が覗くことができ、どうやら山から降りてきたらしい鹿と目と目があった。

 窓から降り注ぐ日光と、天井の控えめな照明が何だか神秘的な空気を醸し出している。

 時間はまだお昼頃、そろそろお昼ご飯がちょうどいい頃合だ。

 わたしたちがきている、この場所はお風呂だけじゃなくて、温泉宿にもなっていてお食事処もある。

 餃子が美味しい、と昔お父さんが言っていた気がする。

 入る前に食べても良かったのだけど、お風呂上がってからの方が美味しくいただけそう、とのかえでの一言でわたしたちは先にお風呂に入りに来ていた。

 お食事処にはチラホラとお客さんは見受けられたけど、温泉のほうは他に来ているお客さんはいなくて、どうやら丁度いい時間に来れたらしい。

 実質貸切状態だった。

 とはいえ、わたしたちもさすがに花をも恥じらい女子高生でありますので、泳いだりはしません。

 ……しないよね? と不安になってかえでを見てみるけれど、かえではすっかり出来上がっていて微動だにもしていない。

 わたしもかえでに倣って足からゆっくりお風呂に入ってみる。

 

「あっつ~……」


 あきは暑がりだねえ、なんてかえでは言うけれど。

 そんなかえではすっかり伸び切っていてその身体の小ささもあって、お湯に浮いて流れて行ってしまいそうだ。

 体をお湯に慣らすために腕にお湯をかけてみる。

 あつ~……。


「あきは貧弱だねえ、もっと大きくなりたまえよ~」


 わたしをジーっと見据えながらかえでが言う。

 おじさんみたいだ。


「おじさんじゃないんだから……今のセクハラだよ」


「え~?」


 知らないなーってヘタクソな口笛を吹きながらかえでが誤魔化す。


「かえでこそもうちょっと大きくなってよ」


「え? セクハラだよ?」


「いや、身長ね?」


「んー……もう伸びないだろうなあ」


 お湯に浸かりながらかえでが足と腕を前にまっすぐ伸ばす。

 そのまま長座体前屈の姿勢になりお湯へと体全てを沈めてしまった。

 それを暑くてよく回らない頭でぼーっとわたし、伊藤あきは眺めていた。

 というかかえで、体柔らかいな。

 体育のスポーツテストの時は……どうだっけ。

 かえでのことに関してはこと細かく覚えているつもりだったけど、その時のわたしは今ほどかえでに興味がなかったらしい。

 その時のわたしはどんなんだっただろうか。

 行動力を言い訳に割と常識外れかつ的はずれな行動や言動を振りまいていた気がする。

 かえでと話していると何だかとても緊張して、ドキドキして、どうしようもなかったんだ。

 今だってそうだけど。

 

「ぷはあ」


 かえでがお湯から出てきて、顔についたお湯を飛ばすためか頭をぶるぶるふる。

 その綺麗な艶のある黒い長髪から水しぶきがこっちへと飛んでくる。

 まるで犬みたいだ。


「犬みたい」


 口から自然と笑みが溢れて止まらない。

 かえでといるといつもこうだ。


「それはあきのほう」


「そうかな」


「そうだよ?」


 するとかえではあの時だって、この時だって、とわたしが犬っぽかったらしい出来事を話し始める。

 案外かえでもわたしのことを覚えていてくれてるんだな、と少し……いや、だいぶ嬉しかった。


「あきはさあ」


「ん」


「なんで友達いないの?」


「……えっと」


 いきなりど真ん中ストレートをわたしへと叩き込んでくるのはやめてほしい。

 口からこぽっ、っと蟹が泡を吹いた時みたいな音が漏れた。


「ごめんごめん」


 少し慌てた様子のかえでが隣までやってきて背中を摩ってくる。

 普段も割とボディタッチは多い方だけど……主に頭。あれやっぱりわたし犬っぽい?

 それでも普段のそれと今のそれでは色々と状況が違いすぎる。

 慌てて振り払おうとも突き放そうとも言えない微妙な感じで腕を振り回すけれど、何だかバカっぽいな、と何処か冷静なわたしが傍観していた。

 溺れた犬みたいだ。


「ちょちょっと」


「ご、ごめん」


 顔が紅いのが自分でも額の熱からヒシヒシと伝わってくる。どうやら茹で上がってしまいそうだった。


「あき顔真っ赤」


 そろそろ上がる? とその原因がわたしへと尋ねてくるけれど、動かないで欲しい。

 その……色々と、あるから。


 何だかかえでを直視もできないし、顔も紅いしで、両方どうにかしたくて出した結論が鼻から下をお湯につけてしまうことだった。


「……なにやってるの?」


 なんでもないよ、と伝えたつもりだけど、口から出るのは意思ある言葉なんかではなくて、ぶくぶくとわたしが泡を吹く音だけだ。


 そうしているうちにぷはあっと、息苦しさに耐えきれなくなって、プールに浮いているみたいにお湯にプカプカと浮く。

 うちのお風呂じゃできないな、これ。

 

「あらはしたない」


「かえでしかいないし……ちょっとぐらい」


 広いお風呂でただ一人、目を瞑って光を拒絶したまま、ぷかーっとお湯に流されて漂う。

 海月はこういう気分なのだろうか。


「こら、少しぐらいは恥じらいの心を持ちなさい」


「うーん、かえでだし」


「私ならいいんだ」


「良くはないけど……」


「いえすおあのー」


「……いぇあ?」


「どっちだよ……」


「好きにして……」


「じゃあ遠慮なく」


「ふむふむ……」


 そういったきりかえではふーん、とか、へーとか曖昧に何かを呟いていて、視線を強く感じた。

 なんだこれ……。


「ちょ、ちょっと」


 慌ててお湯を体に沈めて、かえでの方へ視界を向けてみれば、かえではいつの間にか窓の方へと移動していて、鹿と見つめあっていた。


「見てあき。鹿だよ鹿」


「あ、うん」


「何しょぼくれてんの? やれやれ鹿くんめ。うら若き乙女二人を覗くとは罪深い」


 ふははは、と何だか不敵にかえでは笑う。

 一方鹿はボケーッと窓越しにかえでを見つめている。

 何だかシュールだ。


「それで、あきは友達いないの?」


「……いるよ」


「例えば?」


「………………」


「まあ、私もいないんだけどね」


 へへへってかえでは笑うけれど。

 開き直っているとかそういうのではなくて、心の底から必要だと思っていないんだろうな、と思わせるような、そんな笑顔だった。


「わたしは、かえでがいい」


「……うーん。マ、いいけど」


「はああ……」


 それっきり会話することなく二人してお湯に静かに浸る。

 そのままこっそりかえでのほうを見てみる。

 前一緒にお風呂と入った時と変わらない、小さくて綺麗な体。

 それでも直視はすることが出来ない自分がいて、どこか後ろめたかった。


「ん~そんなジロジロみられると恥ずかしいね」


 かえでが腕で体を隠す。


「えっちめ」


 かえでがこっちを見て口だけで伝えてきた。


「違うって……」


 わたしの頭はこの暑さですっかりとけてしまったのかいつもより回転もレスポンスもおとなしめだ。

 思考も心なしかゆったり、まったりしていてのほほんとした感じになっている気がする。



 

 ――その後も結局、かえでとずっと温泉に浸かっていた。

 いつもなら二人でよく話すものだけれど、不思議とその時は会話を交わすことはなかった。

 たまにはこんな時間もいいな、って思った。

 何ていうかお互いに多くを語らなくても通じ合っている――みたいな感じがして。

 その後はご飯を食べて、卓球をして、マッサージチェアの上で寝ているかえでの顔を眺めている内にわたしも寝落ちして。

 二人でいるのは、心地がいい。浄化されているような、そんな気持ちになる。

 だけど同時に物足りなさもかんじてしまっているわたしがいるのだ。

 一体わたしはかえでをどうしたいのか、それすらわたしはよくわからない。

 わたしはかえでを、どうしたいんだろう。

 

 それでもかえでが選んでくれた季節外れな白いオーバーサイズパーカーを着て思うのは……なんだろう。

 好き~っていうか、大好き~っていうか、愛してる~……っていうか。

 何ていうか……。


 まあ『好き』だな。

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