第19話 確信

 どうなっているんだろうか、今日は。

 今日一日、わたしもかえでもなんか情緒不安定気味だ。

 というか一日にしてお互いの情報が溢れすぎている――というか、情報過多気味というか。

 お湯に浸かりながら考える。

 っていうかお風呂大きいな……。

 かえではやっぱり意外とお金持ちな家系なんだろうか?

 なんだろうっていうか……だったのだろう、か。

 

「はあぁ……」


 思わず溜息が漏れる。

 いや溜息が漏れるほど悩んでもいないんですけれども……。

 かえではわたしに心を開いてくれたってことでいいのだろうか? 

 いや心を開いたって言えるのかな。 

 どちらかって言うと……甘えているって感じ? 

 猫みたいだ。

 自然と体から力も、浮力も抜けていき、お湯の中へと沈んでいく。

 なんか語尾が、だろうか? って疑問符ばっかりだな。


 わたしはかえでについて何も知らない。

 知っていることはほかの人と比べたら多いと思う。

 だけど、知らないことのほうが圧倒的に多い。

 かえでについて知悉しているとはとても言えない。

 今かえでは何を考えているのだろ……


「あき!?」

「ゴボッ!?」


 突然かえでに腕を引っ張り上げられ、浴槽から飛び出る。

 わたしを引っ張り上げた衝撃でかえでが尻もちを付いているのが目に入った。


「ちょ、ちょっとあき! 大丈夫?」


 慌てて起きだしたかえでが、わたしの背中を叩き始めた。

 何のこと? って返事をしようとしたが、わたしの口から飛びてできたのは言葉ではない何かで、言葉を発することができずむせてしまう。


「ほんとに大丈夫?!」


 背中をかえでに叩かれ、体の中に侵入していた水を吐き出す。

 水……? 


「返事できる?!」

「は、……はい」

「私の目の前で溺死とかやめてよね!」

「息するの忘れてた……」

「……嘘でしょ」

「……」


 そういやお風呂のお湯の中に沈んだままだった。

 またドジった……。

 ドジったなんてレベルではないが。

 

「……はあ」


 すっかりずぶ濡れになったかえでが信じられない……といった顔でわたしを見ている。


「ごめんなさい……」


「ほんっとうにびっくりしたんだからね? あきをからかいに来たつもりがさ、返事がないからっ慌てて扉開けたらブクブク言ってて……」


「……ごめんなさい」


「ごめんなさい、よりありがとう、のほうが嬉しいんですけど」


「ありがとうございます……」


「ま、まあ無事なら良いんだけど! 気を付けてよね」


「はい……」


 本当に介護されてるおばあちゃんみたいだ。

 実際こうやって溺死することもあるんだろう。

 情けないし申し訳ない……。

 というか、かえでが怒っているところを初めて見た。


 かえでのいろんな表情が見えてきて嬉しい……けど心配はかけちゃだめだ……。

 恐る恐るかえでのほうを見てみると、自分の体を見ながら『すっかり濡れちゃったな……』なんて言っている。


 申し訳ない……。頭を項垂れる。

 素っ裸で同年代とはいえ、自分より小さな女の子に説教される……というのは今後の人生において二度と経験することはないだろう……。

 そんなしょうもないことを考えていたら、かえでが何かを思いついたかのように立ち上がった。


「う~ん。わかった、あき。ちょっと待ってて」

「はい……」


 すっかり元の調子に戻ったかえでがお風呂場から出ていく。

 今のわたしには怒られた犬みたいにしゅんとして同意することしかできない。

 一体何を……。

 とぼとぼした足取りで浴槽へ再び入る。

 すると扉が控えめに開き始め、かえでが入ってき……た?!


「お待たせ!」

「かっかえ、え?」

「一緒に入ろ」

「なななな」


 何を言い出すんだこの人は。いや、待て落ち着けあき。

 何か問題があるのか? 冷静になれ。

 問題な……くないか? 

 だって、女の子同士……だしな。


「だいじょぶだいじょぶ、うちの湯舟広いし、私小っちゃいから……身体がな」

「ど、どうぞ」


 かえでが入るスペースをつくり、わたしは隅に寄る。

 落ち着け、特に問題はない。


「誰かさんのせいですっかりずぶ濡れになってしまったので……」

「ごめんなさい……」

「それに一人であきお風呂に入れとくの心配なので」


 お姉さんぶっている子供みたいに胸を張ってかえでが言う。


「今私の胸見たでしょ。……エッチだ」

「ち、ちっちが! かえでが胸張るから!」

「冗談だって、そんな焦らなくてもいいのに」


 かえでが小さく笑う。どうしてこうなった。

 どうしてこんな状況に……。今日一日ほとんどの時間を寝て過ごしたはずなのに、すごく濃い一日を送っている気がする。


「そう言えばさ、あきが寝言言ってたんだけど……気になる?」

「えっな、なにそれ」

「かえでがぁなんちゃらあ……って」

「な、なんちゃら……?」


 意地悪にかえでが大事なところをボカして言う。

 バカ野郎わたし……何を言った……。


「……秘密」

「か、かえで?」


 かえでが突然湯舟へ潜り、ぷくぷく言い始めた……と思ったら顔を真っ赤にして出てくる。


「あきってさ、……好きな人とかいないの?」

「と、突然何……」


 脈略なく、突然かえでがそんなことを言い始める。のぼせてないか? かえで。


「いや別に……なんかあきってそういうの興味あるのかな……と」

「か、かえでは?」

「私はねぇ、……いるよクラスに」

「え」


 絶句する。

 まるで頭を鈍器で殴られた気分だ。かえでに好きな人が……いる。

 誰が? 

 一体誰なんだ。なんでこんな気持ちになる……。


「あ、あき!」

「ゴボッ!」

「ちょっと! さっき約束したじゃん!」

「ごめん……」


 またわたしの体はお湯に沈んでいたらしい。

 心も、体も沈んでいく。

 なんで、こんな気持ちになる。


「そ、それで、誰?」

「え?」

「かえでの……好きな人」

「うーん、知りたい?」

「……知りたくない」

「そっか〜」


 かえではわたしに背を向けたかと思ったら、わたしの足の間に入り、寄りかかってくる。


「はあ……落ち着く」

「……かえで」

「なあんだい、あき婆さん」

「……何でもない」


 深く、踏みこんで質問しようと思った。けど、わたしの口は動かない。

 動かしたくない。

 知りたくない。

 ……怖い。


「逆にさあ、あきは誰だと思うの? 私が好きな人」


「わたしクラスの人の名前ほとんど知らない」


「……確かに。私以外と話してるところあんまり見たことない」


 納得したようにかえでが言う。


「かえでだってそうじゃん……」


 何か悔しくて、同意してもらいたくて、呟く。

 かえでがわたし意外と仲良く話しているのは想像できない。

 ……したくない。

 

「そうだよ? でも別に私はそれでいいと思っちゃうんだよね、最近」


「え?」


 あっさりとわたしの希望は同意される。


「でも、好きな人いるんでしょ……?」


「そうだねえ」


「……ヒント」


「簡単だよ、私あんまり人と話さないの知ってるでしょ? その人と良く話すんだよね」


「誰……わたし以外と話してるとこ見たことないよ……」


「さあね~……」


「そそ、あき。背中流してよ」


 浴槽からかえでが立ち上がり、風呂椅子へ座りわたしを手で誘導する。


「髪もやる……」


「お、気が利くねえ~。お風呂上りにもさ、髪乾かしてついでに梳いてよ」


「……いいけど、条件」


「なあんだい」


「好きな人教えて」


「……知ってどうするの?」


 かえでがわたしのほうを見て聞く。からかうような、それでいて何か納得しているような顔をしている。


「……手伝う」


「ええ?」


「かえでがそれで幸せになるなら、手伝う。わたし」


「……そっかあ。いいよ」


 かえでは正面を向き、長い髪を軽くまとめ背中を露出する。

 やっぱり小さな背中だ。

 その小さな背中で、今までも、きっと今もそしてこの先の未来も一人で大変なものを背負ってきたし、背負っていくんだろう。

 その荷物をわたしが半分背負ってあげられたとしたら、どれだけ幸せか。

 もしかえでが幸せになれるのなら、わたしはそれを見たい。

 かえでに幸せになってほしい。

 ……なんだ、そんなもんか、わたしの本心。

 かえでが好きな人と一緒になって、幸せになれるなら、それでわたしは……。


 


 

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