アラサーから始める異世界召喚 ~魔王を討伐してくれと言われても、パンピーには厳しいです~

@YA07

第1話 召喚


 某日午前零時頃。

 会社にとって欠かせない存在───もとい社畜である倉本健介は、疲労しきった身体に鞭を入れながら自宅へと足を進めていた。

 明日は一週間ぶりの……いや、二週間ぶりだったか。とにかく久々の休みだ。かといって、予定は空白なのだが。


「どうしてこうなった……」


 そんな呟きが口からもれる。

 人生こんなものじゃなかったはずだ。毎朝寝ぼけ眼で通勤ラッシュにもまれ、終電間際まで汗水たらしながら働き、家に帰って寝るだけ。こんな社会人生活を送るために今まで頑張ってきたわけじゃないのに。

 いつも通りそんな暗い感情を抱きながら、いつも通りの帰路を進む。唯一今の人生に満足していることがあるとすれば、家が駅から近いことだろうか。なぜなら、こんな暗い感情を抱くのも短時間で済むからだ。

 しかし、そんな健介にも一つだけ日々の疲れを癒してくれる存在がいた。


「ただいま」


 家に着き、呼びかけるようにそう声を出す。すると、奥の方から「うにゃぁ」という鳴き声と共に一匹の猫が健介を出迎えるようにやってきた。


「ただいまクロ。いい子にしてたか?」


 健介の問いかけに応えるようにして、再びクロが鳴き声を上げた。

 このクロは三年前に健介が路頭に倒れていたところを拾ってきた猫で、それからずっと一緒に暮らしている。一人暮らしで寂しかったら猫を飼えという団体がいるが、今ではすっかり健介もその一派だった。


「明日は一日中一緒だぞ~」


 戯れるようにクロを撫でまわしながら猫撫で声を出す。普段ならクロが少しうざがってどこかへ行ってしまうのだが、今日はなぜか健介の疲れを癒すかのようにじっと撫でられていた。


「おっ?今日はやけに大人しい──な?」


 健介がクロを揶揄おうとした刹那、突然摩訶不思議な紋様が床に描き出された。クロを中心にして円状に描き出されたその紋様には奇妙な図形や記号が所狭しと並んでおり、うっすらと紫色に光っている。

 それが一体何なのか健介にわかるすべはなかったが、似たようなものなら見覚えがあった。いわゆる、魔法陣というやつだ。


「……どうなってんだよ」


 激務の疲れからか、はたまた健介の意思か。その場から一歩も動けず呆然と立ち尽くすことしかできなかった健介は、そうぽつりと呟いた。

 そんな健介を他所に、その魔法陣は徐々に光を強めていった。それを見て今すぐこの陣から抜け出した方がいいという警告が健介の脳内を駆け巡ったが、それでも健介の脚は動かなかった。その代わりに、ふとクロと視線がぶつかり合う。クロの瞳はどこかもの悲しそうな色を宿していた。





 気がつくと、健介は見知らぬ場所にいた。

 目の前には偉そうな衣を纏ったおっさんがいて、さらにそれを見守るように重そうな甲冑を着込んだ連中が整列している。一言で言うなら、王様とその護衛というのがピッタリだろう。

 そしてもう一人、健介の後ろに佇む謎の女性。健介を見つめるその瞳は、どこか見覚えのあるものだった。

 戸惑う健介を他所にその王様に該当する人物が健介を一瞥すると、髭に包まれた口を重く開いた。


「そちらが我々に協力してくれる方というわけだな?」

「はい。クラモト・ケンスケという方です。陛下」

「……は?」


 健介には今のやり取りが露ほども理解できなかった。

 協力。陛下。そして、自分の名前を知っている謎の女性。

 ひとまずは状況の把握だと、健介は必死に頭を働かせて今の状況を整理しようとした。


(……ダメだ。頭回んねーや)


 こちとら法律なんて知ったことかの十五時間勤務を終えた直後の、テコでも動かない脳みそになっているのだ。テコでは動かずとも上司の喝では動くが。

 そんな自嘲を浮かべた健介は、ふと一つこの状況を説明できることを思いついた。

 そう。夢だ。夢に違いない。きっと、過労で倒れて夢でも見ているのだろう。

 そう思い至った健介は、わざとらしく咳払いをして注目を集めた。


「初めまして国王陛下。私は倉本健介。この度あなた方の期待に応えるべく馳せ参じました」


 どこぞのアニメで見たような敬礼を添えて、それっぽいセリフを口にする。こういうのは雰囲気が合っていればいいだろう。夢なのだから。

 健介のその思惑に応えるように、周囲が少しざわめきだす。ちらりと陛下の顔を盗み見ると、モノを見定めるような厳しい目付きで健介のことを見つめていた。


(怖ぇ~……けど、ここで怯んじゃダメだろ、俺!)


 いったいいつからそんな役者魂に目覚めたのか、健介はそう自分に喝を入れると今度は謎の女性の方に視線を向けた。

 するとその女性は驚いたような表情でこちらを見つめており、目が合うと慌てて逸らされてしまった。


「キュリエ。あれから三年……我々もできうる限りの抵抗はしているが、もはや一刻を争う状況だ」

(三年……?)


 陛下が口にした言葉に、健介は引っかかるものがあった。

 あれから三年。つまりは三年前。三年前といえば、クロを拾った時期とちょうど同じだ。それに、先程の魔法陣はクロを中心に描かれてもいた。


(いやいや、偶然だろ。あるいは話の都合を現実にすり寄らせてるとか。なんてったって夢だしな……)


 そう無理矢理に自分を納得させ、再び陛下の話に耳を傾ける。


「つい先日だが、帝国の討伐隊も甚大な被害が出たそうだ。その分我々の『勇者』に対する期待は高まっている。……頼んだぞ」

「……任せてください」


 少し言い淀み、ちらりとこちらを見るキュリエと呼ばれた謎の女性。その仕草は、クロが時折こちらを盗み見る時のものとそっくりだった。

 なんとも言い難い不安が健介を襲う。

 そもそも、健介の脳内にはあそこまで詳細な甲冑の仕組みなどなかったはずだ。雰囲気くらいなら知ってはいたが、一目でもそんなレベルのものではないとわかる。それ以外にも、夢にしては疑問が浮かぶ点がいくつもあった。


「……クロ」

「……!」


 試しにその名を呼んでみると、キュリエがピクリと反応を示した。


(……まさかな)


 異世界召喚なんて、ファンタジー小説じゃあるまいし。

 健介は自分の不安を打ち消すために頬を強くひねってみたが、ただ痛みを感じるだけだった。

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