私は、私の子供達に、『自分の好みに合わない作品を貶す時間があるなら、自分の好みに合う作品を探す時間に充てた方がずっといい』と諭しています。なので、私の作品は読まずに他の方の作品を読んでいますへの応援コメント
だからこそ子供と同じものに熱中できる事を幸せに思うのかも知れません。
作者からの返信
確かに。娘と一緒にアニメを観ていると楽しいですし、たまに息子も一緒に楽しんでくれると嬉しいです。
その一方で、子供達の好みに合う作品を書ければよいのですが、これについては親子といえども別の人間ですから、私の好みを押し付けることはできません。
私も、ISDN以前からインターネットに触れてきた者の一人ですが、もし、その当時からインターネットに触れてきた方々が今なお、『ネットとリアルは別』だと考えてらっしゃるのであれば、大変に残念に感じますへの応援コメント
ネット以前を知らない人にとっては、むしろネットこそがリアルになっているように感じます。
作者からの返信
そうですね。かつて自分が触れることのできなかった情報に容易く触れることのできるネットにこそ真実があると考える方も増えてきているように感じます。
ですが、だからこそ、
『面と向かって相手を罵倒し嘲ることが正しいのですか? そのようなことをしていて本当に穏やかな日常生活が送れるのですか?』
と私は考えるのです。
ましてや、他所様のお子さんを死に追いやるような振る舞いなど、親として認めるわけにはいきません。
編集済
<イジメを原因とした子供の自殺>これがある以上、私は、『<努力>がすべてを解決する』という発想に対しては懐疑的であることをやめられません。<自分の子供が他所様のお子さんをイジメている事実を放置する親>への応援コメント
努力という言葉は自分を奮い立たせる好きな言葉。だけど人を評価する時に使うのは違和感がある。
努力とは、好き嫌いと同じで十人十色で主観的な概念なんだと思う。
作者からの返信
確かに。私も、他者を評する際に努力という言葉を用いるのは強い違和感を覚えます。
努力は大なり小なり誰でもしていることだと思います。ただそれが結果に繋がったか否かというだけの違いなのでしょう。
そして人によって<できる努力>も違うのでしょうね。