第九話 雑記帳
それは、ありのままなのだと俺は聞いた。何を、どこから書いてもいい、言葉のままの雑記帳。
今も居る人、もう居ない人。言葉の壁を超えて、彼らの本当を遺す本の形の思い出。
——何度生まれ変わっても、俺はお前を愛している。
開いた側からこれだ。一ページ目に堂々と、我が者顔で居座る告白の一文。
誰のものか、詮索するのは禁止らしい。だから、これを見る時も書く時も、一人でなければならないのだという。
まるで、本当の名前を呼ばないここのルールのようだと思ったのを、今でも覚えている。
——また、青い空を見に行きたいものだね。
——明日も、上手く行ったらいいな。
——メニューが浮かばねぇ。
行も列も何も無く、雑多な言葉がただ並んでいる。捲れど捲れどしわくちゃのページが、次から次へと流れては消えていく。
——世界なんざ、救わなくてもいいってのに。
——誰も、応えなどしない。
そんな言葉を見ていると、昔を思い出す。誰かを助けようとして騙される度に、預言者の奴に人間なんか簡単に信じるなって怒鳴られたな。
正直、あいつの言ってることは合っている。簡単に他人を信用しないなんて、この世界に生きてる人間なら多分誰でも知ってること。
まあ、あいつと同じ境遇で育っておきながら、俺にはそれがどうしても正しいとは思えないから、魔王を打ち倒す『勇者』なんだろう——
——私は、私に出来ることを。
噂をすればなんとやら。このミミズが這ったような字は、間違いなくあいつのだ。
禁止だと分かっていても、見た瞬間に分かってしまった。寝不足の中で、毎日毎日夜な夜な練習に付き合わされたから、見間違える筈もない。
というかこれだけでなく、どの言葉を誰が書いたのか、俺にはなんとなく分かる。分かってしまう。きっと、心が知っているんだ。これはこの人のだ、って。
色々な物が込み上げて来て、ひとまず花屋が淹れてくれたお茶を口にすると、心地良い思い出の味が喉を通り抜ける。
すうっと胸が軽くなったのが分かったから、またしわくちゃのページを捲っていく。
あの人のはまだ見つからない。この本のどこにも無いかもしれないけれど、俺は探している。
——支えると、約束したんだ。
「あっ……!」
見つけた。ようやく見つけた。一番最後のページ、目に入れた時にはもう、これだという確証があった。
そしてその瞬間に、図書室中の明かりが消える。何一つと見えずとも、何が入って来たかは分かった。そんな気がした。
「ソレ……ハ……」
目の前からまた、あの声がする。今すぐ近づいてくる気配は無いが、べっとりと張り付くような殺意を放っている。
冷静に考えるなら、外で待っている射手を呼ぶべきだ。呼ばなければならない。
でも、声を上げようとは思わなかった。今はもう、負ける気がしない。やっぱり、自分はそういうものなんだとはっきり分かったから。
大きく息を吸い込んで、剣を抜く。あの時とは打って変わって、身体が軽い。まるで綿のように。
俺が剣を抜いたことに反応したのか、その形を変えている音がする。何かする前に、そこに居るだろう黒い影に流れるように一閃、今度はそれで終わった。
「——勇者!」
バン、と扉が開く音がした。暗闇が一気に晴れて、人が図書室になだれ込んでくる。
「……また、例のあれかい」
「怪我してないっすか!?」
「大丈夫です。今度はちゃんと——」
司書や花屋が駆け寄って来るのを押し退け、射手は一直線に俺を抱きしめた。
「射手さん……?」
彼女は、何も言わず涙ぐんでいた。少し悪いことをしたような気がする。
「約束だったのに、すみません」
「……君が、無事ならいい。僕は……それだけでいいんだよ……」
「勇者殿……? 気のせいかな、顔付きが変わったような気が……」
射手の肩越しに、怪訝そうに学者が首を傾げているのが見える。
確かに、彼の丸眼鏡に映った自分は今までの自分とは違うような気がした。
「——よっ。お楽しみのところ邪魔するぜ」
陽気な、鍛冶屋の声がする。扉の方を見れば、彼女が目の下に大きな隈を作った探偵を小脇に抱えて立っていた。
「鍛冶屋貴様ぁ……! またしても僕の邪魔を!」
「今度は知らねぇよ! 俺はただ、こいつが現場まで連れてって欲しいなんて抜かしやがるから、仕方なく担いできただけだ! 文句ならこの寝不足馬鹿に言いやがれ!」
探偵を放り投げ、二人が取っ組み合いの喧嘩を始める。一方探偵は、空中で五回転してから壁に激突。そのままふらふらと立ち上がり、ピシッと真っ直ぐに人差し指を突き立てた。
「はっはっは! 事件ある所に探偵あり! 探偵、推参!」
「うげぇ……これはやばいっす。目が完全にやってる人の目っすよぉ……」
花屋がドン引きしている。すっかりハイになって高笑いが止まらない様子の探偵の方が、よっぽど事件だろう。
「図書室では、静かにしなさい!」
「離しやがれ、学者!」
「そうだ! 今良いところなんだ!」
「はぁ。どいつもこいつも……後始末はどこの誰がやると思ってるんだい?」
喧嘩を止める学者と、呆れる司書。目の前の光景を見ていると、ふっと時間がゆっくりになった。
この大好きないつもがもうすぐ見られなくなるのだと、気付いてしまったから。
「決めたんだな?」
唐突に、鍛冶屋が俺の方を見る。どうやら、一目見ただけで見抜かれてしまったらしい。
「……はい。明後日にします」
きっぱり言うと、図書室が騒ついた。皆が驚いている中で、驚いていないのはやっぱり鍛冶屋だった。
「明後日だな? んじゃ、明日の夜面貸せ。景気悪ぃ空でも見ながら飲もうや」
ニィッと、初めて会った時のように彼女は笑った。俺も、それに負けないよう精一杯笑い返した。
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