第七話 希う『射手』

 中層にある図書室目掛けて、塔を登る。いつもと何ら変わらない、なんなら短い道のりの筈だが、一番上を目指さないというだけでなんだか長く感じた。


 チラリと後ろに目をやると、流石というか何というか、射手はさして苦もなさそうについてきていた。


「射手さん」

「……なんだ?」


 振り返ると、また意外そうに射手が首を傾げた。


「今日はあの眼帯をつけてないんですか?」

「まあな。あまり人に見せるようなものでもないのだが……いざという時、君を守れないようでは話にならないから外してきた」

「そうなんですか? 綺麗ですね」


 素直に思ったことを口に出すと、射手はその深緑と深紅の双眼を細めた。


「あまり見るな。褒めないでくれ」

「どうしてです?」

「……どうしたんだ? あれだけ言ってもやめなかった日課をやめて、いつもはしない質問だらけ。やっぱり、今日の君はどこか変だ」

「そうですね、自分でも思います。らしくないなぁ、なんて」


 歩みが止まる。不気味のくらい静まり返った塔の中を、一陣の風が吹き抜けた。


「……ひょっとして、昨日のことを気にしているのか?」

「迷惑だったら、すみません」

「そんなことはない。そんなことはないが……それでどうして、そうなるんだ?」

「最近ずっと、寂しいんです。なんでもない世間話でも、稽古の話でも、皆さんと話してると胸の奥が痛くなる。どうしてかずっと考えてました」


 頭の中を、聖女の背中が掠める。


「でも、分かりませんでした。今の自分じゃ多分、一生分からない。だから『勇者』としてじゃなくて、ただ一人の少年として、皆さんに話を聞いてみようと思ったんです。聖女さんにも、もっと皆を頼って欲しいって言われちゃいましたし」


 射手は立ち止まって、しばらく何も言わなかった。胸の奥が何となく痛んだ気もしたけれど、それよりも彼女の方がずっと苦しそうに見えた。


「——らしくないどころか、君そのものだ」


 やがて弓を携えた廃雄は、大きく息を吸って、歌うように語り始めた。


「遠い昔の話だ。あるところに、エルフの女の子がいた。人を呪い殺すという真っ赤な血の魔眼を持って生まれたものだから、彼女はひとりぼっちだった。数えきれないくらいの罵倒と迫害を乗り越えて、一人前の弓使いに成長した後もそれは変わらず、少女は孤独のまま生きた」


 淡々と話は続く。アルバムのページを捲るように。


「そうしてそんな時、転機が訪れた。世界の危機を救う為、里から誰か腕利きを魔王の討伐隊の元に送り出すということになった」

「それって……」

「そう、行った奴はまあ帰らない。だがそこで厄介払いしたい里と、里を捨てたい少女。二者の利害は見事に一致して、少女は晴れて形だけは英雄として里を出ることが出来た」

「英雄に……」

「その言葉の意味も責任もどうでも良かったからね。最初、少女は出会った誰も彼もを信用しなかった。幾度死線を潜り抜けても変わらず、角を立て続けた。彼女はそもそも、人の信じ方を知らなかったんだ。実際のところ、みんな似たような境遇だったのにな……」


 そこで言葉を切って、射手はふっと上の方を見た。一緒に星を見た、あの場所を。


「そんな時だよ。彼女の目を綺麗だと言った男が居たんだ。なんの恐れもなく、少女がどんな苦労をして来たかもなんとなく分かっていて、それなのに言って来たんだよ。信じられるかい? どう考えても触れない方が色々と円滑に進むというのに……まあ、馬鹿な奴だった」


 少し呆れたように、射手は笑っていた。でもやっぱりどこか嬉しそうで、照れ隠しなのだと思う。


「誰とも馴染めず、信じず、人並みの生活も幸福も、何一つとして知らなかった少女は、そこで初めて人になった。喜怒哀楽も、恋のようなものも知った」

「その人と、ですか?」

「そうだよ。苦労ばかりだったけどね。育ちが育ちだから、身なりを綺麗にすることも知らない、恋敵はたくさん居る、おまけにそいつは超が付く鈍感……それでも彼女にとっては、夢にも見たことが無いよう時間だった。命より大切なものがたくさん出来たんだ」

「それは……でも、それって……」


 耐えきれなくなって思わず口走ると、彼女は悲しそうに頷いた。


「その通り。そんな穏やかな時間なんて、いつまでも続くものじゃない。結局、綺麗と言った彼はもうこの世界のどこにもいない。僕はね、君にはそうなって欲しくなかったんだ」


 ——そうか。だから射手は、毎朝俺が落ちてくるのを待っていたんだ。亡霊に会うのを、塔を出るのをやめさせる為に。


「俺は——」

「分かってるよ」

「射手さん……?」

「分かってる。そんなものは僕のエゴだし、そもそも彼と君は違う。君は、君のしたい通りにすればいい。ただ……こんなろくでもない世界よりも、君のことを大切に思っている人間が居ることだけは忘れるな。みんながみんな、英雄なんてものになれる訳じゃないんだから……なんて、な。ほら着いたよ」


 一瞬だけふっと笑って、いつの間にか前にいた射手が目的地の扉を開く。


「——はい。ありがとうございます」


 深紅の目に映る俺の顔は、いつもとどこか違う風に見えた。

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